第2話 強者の誓い
狼の遠吠えがこだました。
群れのリーダーがあたしをジッと見つめると、彼らは、森の奥へと戻っていく。
後に残されたのは、傷ついた人たちだった。
その中の一人、うずくまっている人の元へ。
「だ……」
その先の言葉、「大丈夫ですか」などと言えなかった。
血の量がひどい。
剣で斬られ肉は裂け、ライフルで穴が開いた傷は、もっとひどい。あの鉛玉を体から抜かないと……
あれは、絶対にダメな気がする。
「うっ」
異物を魔法で引っ張ると悲鳴。
痛いよね、痛いに決まってるよね……
「ごめんなさい、でも、頑張って」
暴れる手足を自らも騎士と名乗るラーシュが抑えてくれた。
こんなに痛いにのに、なんで、人間は、同族同士で殺し合いなんて……
手当てをしながら父さまとの剣稽古を思い出す。
父さまの剣筋には、いつも、よどみのない規律がやどっていた。その真面目さが、幼いあたしを夢中にさせた。
父さまが真っ直ぐにあたしと向き合う瞬間。
それが、あたしにとっての剣稽古だった。
けがの痛みを想像することはできる。手当てする傷口から目を背けそうになるぐらいつらい。本当の激痛は、想像を超えて、きっと、当人しか感じ得ない。
鉛玉は、傷口から、絡んだ肉を引きちぎり、血のしずくの赤い糸を垂らすようにして抜けてくる。そこに、魔力を注げば、空気に触れる傷口の肉を焼き止血をした。
本当は、傷を完治させたい。でも、そんな奇跡はおこせない。
剣で裂かれた傷口もそう。
結局、完治させるには、この人の力と時間が必要。あたしは、その手助けをしてるだけ。
もし、あたしがけがをして、それでも、誰かが襲ってきたら、手加減なんてできるかしら?
次々と手当てをしていると、その隙間、隙間で思い出が語りかけてくる。剣稽古に絡む思い出だ。
稽古の時、父さまは、いつも言う。
「ソフィア、強者の誓いを忘れてはいけないよ」
「きょうしゃのちかい?」
「この前、教えたじゃないか?」
「もう、あなたったら……ソフィアは女の子なんです。優しさと思いやり、それと原典の教えてで十分よ」
父さまと剣の稽古をしてると、母さまが大抵、割って入って終わりを告げる。そんな時、母さまの胸元で包まれるのは嫌いじゃなかった。柔らかくて、優しい甘い温もり。
でも父さまは、言葉を続けた。
「いいかい、ソフィア、真の強者は争いをしない」
「あらそわない? それじゃ、かてないよ」
「争わなくても勝てるし、血を流さなくても、争いを止められる、それが強者の誓いだ」
「いみ、わかんない」
「ソフィアには、とても強い才能があるから、きっとすぐに分かるさ」
強者の誓い。
その真意なんて、いまだにわからない。
だって、あたし自身は、そんなに強くないし臆病だ。
でも、母さまのティアラの力を借りれば、人間よりはずっと強い。それが、ちょっと怖い。
殺すのも、殺されるのもいや。
殴られたら殴り返す。剣で斬られたら斬り返す。
それが当然のような気がして恐ろしくなってくる。
上空で旋回していた、使い魔のフクロウ、ミネバが、あたしの頭に飛んできて、青年騎士、ラーシュに問いかける。
「ラーシュさん、どうして、あんなところで人間同士で争っていたんですか?」
けが人の手当てをしながら、その話に聞き耳をたてた。
「王国で反乱があったんだ」
ラーシュさんの話では、王国に内乱が起きたらしい。あろうことか、王陛下が殺されてしまったとか……
そして、王国兵は、ラーシュたちを大殺しと言っていたのを思い出す。
「それじゃ、あなたが悪いじゃない」
「俺は……俺たちは無実だ。こいつらこそ、魔法使いのクソに寝返った、裏切り者だ!」
ラーシュは、あたしが傷口をふさぐ手当てをしていた王国兵を蹴ろうとする。
「ちょっと、よしなさいよ!」
慌てて止めに入った。
こんな乱暴な人だとは思わなかった。
「君だって、王国兵をいっぺんにやっつけたじゃないか! そいつだって、裏切り者の仲間なんだから、助ける必要なんかない!」
手当てをしている王国兵まであたしをにらむ。
「銀色の悪魔め!」
そして、無理をして声を出したものだから、けが人の王国兵は、苦しそうなうなり声を出した。
なんて! おバカ!
「あたしは、悪魔じゃないから、安心なさい!」
王国兵はずっとあたしをにらんでいる。
ほんと、バカばっかり。
それと、あの乱暴者にも、ちゃんと言わなきゃ!
「勘違いをしないで! さっきのは追い払っただけよ! 誰も傷ついてはいないのよ」
けが人を助けたかっただけよ!
「なんだって! そんなことをしたら……」
ラーシュのなんとも言えない表情。
「追い払っただけよ! それがなに?」
「もういい、どんなにバカでも、どうせ部外者だ!」
「バカですって!」
「それと、コイツは裏切り者の王国兵だ!」
「違うわ、けが人よ」
そうよね? と手当てをしてる王国兵を見たら……
ぷいっと目をそらされた。
ほんと!
わからず屋のコンコンきちばかり!
「けがして戦えない人を恐れるなんて、臆病なひとね」
「なんだと!」
「なによ!」
「痛い!」
「あら、ごめんなさい!」
思わずけが人にのせるていた手に体重を少しかけちゃった。
ラーシュという青年騎士は、肩を怒らせながら、ふんふんとどっか行ってしまう。
もう少し紳士的な人だと思ってたけど期待外れね!
結局、王国兵の手当てが終わっても、ラーシュとかいう青年騎士は戻って来なかった。
手当てをはじめた頃、「悪魔」とか失礼を連呼していた王国兵だって、治療が終われば「ありがとう」と礼を言ってくれたのにぃ。でも、最後まで、目を合わせないのは、何かの信念かしら?
あらかたの応急処置が終わったので、ふぅーっと一息つくと、ご年配のおじさまが話しかけてきた。
「銀色の髪の乙女よ、ありがとうございます。私は、トゥーレと申します」
あらあら、トゥーレのおじさまったら、「銀色の髪の乙女」ですって!
「あまり、ラーシュさまのことを悪く思わないで下さい」
「はい、もう気にはしていません」
トゥーレさんに、うそをついてしまう。
本当は、もう少し、ラーシュという青年に言いたいことがあった。まだ、聞きたいこともある。
「そうですか……。本当の殿下は、勇敢でお優しい方です」
ええ!
「殿下?」って誰?
「ラーシュさまこそ、王国の王子。そして、殿下は、父君を殺められ、その下手人にされたのですから、その心中をお察しすると……」
ラーシュ殿下? 王子? そんな呼び名より、なんだろう? ピンとこない。それは、目の前、トゥーレさんにも当てはまる。どんな人柄なのか? なんて、まだ一言、二言の言葉を交わしただけだ。
ラーシュだって、言い争いをしたけど、お父さまを殺されたばかりとか、そんな彼の事情は、一切知らない。
彼にとってすれば、裏切った王国兵は、親の仇に等しいのかも……
ただ、彼が、本当に無実なのかも、何が王国であったのか? その真実もわからない。
「でもなんで、あたしに身分を隠したのかしら?」
トゥーレは、両肩をすぼませた。
「さあ、迷惑をかけたくなかったのでしょう」
「迷惑……」
どんな迷惑なのか、あたしには想像ができない。
王を殺せば、国の乗っ取りができる。そんな単純な仕組みではないことぐらいは、知っていた。その先の、権力争いなんていう政治の世界は、未知の領域。
それぞれの事情、複雑な関係。それを知ることで、もっと、この人たちことを理解できるのかしら?
そして、さっきは、ラーシュに言いすぎたという罪悪感が強くなってくる。
言葉を選んで話し合いをすべきだった。
肉親が死に、それ以外にも別れがあったかもしれない。
風が木々の隙間を吹き抜ける。その冷たい風が、肌をさす。
木漏れ日が、揺れている。
いつまにか、傷の浅い者たちが、どこからか馬を引いてきて、けが人を運ぶ準備をしていた。
ラーシュも、ちゃんと手伝いをしているし、王国兵をなじる者もいない。
興奮が収まった今、動ける人ですら、ボロボロに疲れ切っていた。
フクロウの使い魔、ミネバが肩に戻って来た。
「ソフィアさま、彼らは、どこに行くつもりなんですか?」
答えたのは、トゥーレさん。
「気になさらず。エルフの方は、人間同士のいざこざには関わらないとうかがっております」
いざこざには、関わりたくないけど……
「傷がいえるまでなら」
「心配はご無用です。迷惑は、かけたくない」
この場合の迷惑は、追っ手のことだろう。
「それなら、心配はいりません」
ミネバが、トゥーレさんに、口をはさませない。
「この森は、ソフィアさまの魔法で、人間の住む場所と、隔離されてます。人間には、入って来れません」
フクロウのミネバは、あたしの肩で、誇らしげに言い切った。
トゥーレさんが、剣の持ち手に、手を置く。
表情に緊張感がただよう。
自慢げなフクロウにご立腹だなんて!
「百年前なら、そうかもしれません。人間の魔法も、時を刻むごとに、進歩をしているのです」
強い風。
反射的に顔を守る。長い髪が、暴れて気持ち悪い。
押し倒されないように、開いた両足で、しっかりと踏ん張った。
「あら? 生きてるエルフってほんとにいたのね」
若い女の子の声。
乱れた髪をそのままに、ゆっくりと顔を上げると、その先に、同じぐらいの歳の女の子が立っていた。
あたしとは正反対の黒髪。とんがり帽子の長いつばが邪魔をして顔はよく見えない。
彼女の背の向こう、少し離れた木々の隙間からは、王国兵が様子をうかがうようにして構えている。その中には、さっき、追い払ったはずの兵も見てとれた。
「敵は、逃しても増えるだけ。ソフィアさま、そういうことです。争いを知らない、エルフの理想は、不幸を増やす」
トゥーレさんは、あたしをかばうようにして前に出ていく。
ミネバが優しく、あたしのほほに、体をよせる。
「ソフィアさま、落ち着いて、大丈夫です」
落ち着いてるし、大丈夫よ!
「トゥーレ、そんな言い方はよせ。コイツは、何も知らない!」
背中をポンと叩いてきて「おバカだ」と言い切ったのは、ラーシュだった。
コイツ呼ばわり、そして、またバカだなんて!
さっき、少し同情したけど、この大バカは、刻一刻と言葉づかいが失礼になるらしい!
最初の紳士のイメージは、どこにいったのよ!
「さっきは、すまない。それと、ありがとう」
あら? 突然の謙虚!
「勘違いするなよ。俺は、戦う意思のないものを襲う卑怯者じゃないってことだ!」
「へえ、そうなの?」
「そうだ! それと、おまえのことは、別に嫌いではない」
「それには、同感ね」
口ケンカぐらい、ミネバとしょっちゅうだから慣れてるわ。
それにしても、この人、隙だらけだな。
なんだか、突っ立ってるラーシュを見て思う。
棒立ちじゃない。これが、稽古中なら、父さまの逆鱗に触れるわよ。
ジッと彼を見る。
「なんだぁ? 俺に、なんか、言いたいことでもあるのか?」
「さっきは、ごめんなさい。あたしも、少し言いすぎたわ」
「ふん、気にするな」
「じゃあ、また、口ケンカをしましょう」
「は?」
「きっと、あたしも、あなたのことを、好きにはなれないわ! それには、同感よ!」
隙だらけのラーシュの腰に手を伸ばし、彼の剣を鞘から抜いて奪いとる。
「くそ! おまえ! 俺の剣を返せ!」
ラーシュの腕をかいくぐり、みなの一番まえに躍りでた。
「トゥーレさん、エルフだって魔法だけじゃないのよ」
剣を横にビュンと振る。太くて重い、ぶっ格好な剣だけど、扱えそうね。
女の子の魔法使いが大笑いをしている。
「エルフの剣なんて、聞いたことないわ」
「だって、見せたことないもの」
多分、あの女の子が結界を破ったに違いない。
だから、あの娘をなんとかすれば、森は平穏を取り戻すはず!
「見てみたいけど、ごめんなさい。剣より、魔法が早いわよ」
「それは、どうかしら?」
「おい! 早く、剣を返せ!」
ラーシュの言葉を無視して、あたしは駆け出す!
女の子が詠唱に入った。
それでも、前へ!
そして、
「後悔なさい!」