第1話 はじまりの出会い
「ソフィア、父さんも、母さんも、ずっと一緒だ」
あたしは思う。
みんな、みんな、うそつきよ!
そうで無いなら、帰って来てよ!
あたしは、ちゃんと、一人で待ってるから……
いつまで、いつまでも、ずっと、ずっと、その日まで……
嫌な夢……
そんな時は、外の空気に触れるときっと……
扉を開ける。
早朝の澄んだ冷たい外気に全身が包まれる。
寒さで身が引き締まる感覚。それが、身を清めてくれたかのよう。エルフ特有の銀色の長い髪を風に泳がせれば、不快な寝汗と共に、嫌な現実も運び去ってくれた。
いつものように、静かな森で、両手を天高く突き上げて、大きく背のび。
新鮮な空気を肺に入れると気分爽快!
湖までの短い道のりを歩くことにした。朝の陽射しが残雪をキラキラと照らす。
そんな、朝の散歩。
道中、早起きの小鳥が仲間たちと楽しそうにさえずっている、いつもの日常。
でも、今日の井戸端会議は、なんだか騒がしい。
それにしても、いつの頃からだろう。
季節が、もの言わず巡るようになったのは?
雪がとけ、地肌があらわになっていた。草木にも新芽の気配が見てとれる。
深い、深い森の中にも、もう、春は、すぐそこまで、来ていた。
遠い、遠い昔。
幼い頃の記憶が、かすかに、よみがえる。
人間たちの神職が、里にあいさつに来ていた頃の風景。
春を祝う神事も、幼子にとっては、にぎやかで楽しいお祭りだった。
神職たちは、やがて来なくなった。
それでも、人間たちは時折、里を訪れた。
母さまは、いつも「人間たちに、魔法を教えるのは、およしなさい」とか「必要以上に触れ合ってはダメよ」とか小言が多かった。
でも、そんなの心配しすぎよね。
深い、深い、森の奥が開かれる春は、外の世界との交わりが始まる季節だったはず。
それが、物言わず巡る季節になったのは、いつの頃からだろう。
誰も彼もが、この森のことを、きっと忘れている……
湖のほとりに城は、いつ見ても立派で美しい。
朝もやに包み隠された姿は、より幻想的で、あたしの知らない誰かが隠れ住んでいるかもしれない。そんな、子どもじみた想像をしてしまう。
一人になってから、対岸の小屋に居をかまえたのは、お化けが怖いからじゃない。
あんな立派な城に、一人だと、きっと何かと不便に違いないから……
それでも、最後の一人、そして、王の娘なのだから、
「お城の手入れは、しないとね」
腰に手を当て、ため息をついた。
もう一度、周りを見渡す。
使い魔のフクロウは見当たらない。
まったく、主人を放って、何をしてるのか……
「まあ、どうせ、おなかが空いたら、戻ってくるでしょ」
職務怠慢でサボり癖のあるフクロウのことは忘れて、小屋に戻る。暖炉の炎が弱々しい。威勢良く、手をそちらの方へかざし、魔力をくべると、炎は、踊るように火力を増した。
飾り台の上に置かれたティアラとクラウンが視界に入る。
いつもだけど……
ただ、なんとなく、お辞儀をしてしまう。
それも、首を軽く曲げるお辞儀。
そして、いつも、思うのだ。
父さまと母さまなら、行儀が悪いと叱ったに違いない。その時の彼らの笑顔が、脳裏に浮かぶと、あたしのほほも緩んでしまうのだ。
礼装なんてすることないし、使い魔のフクロウのために、身なりを整えるなんて、なおのことめんどう。
暖かいものでもと思い。
銀製のケトルを火にかける。
小屋の両開きの窓が開かれ、レースカーテンが風に大きく波打った。
お腹を空かせた使い魔は、礼儀というものを忘れるらしい。
あたしの妹分で、母さまから引き継いだ使い魔のフクロウ、ミネバが、小屋に飛び込んできての第一声がこれよ。
「ソフィアさまぁ〜! 大変でーす!」
やれやれ、まったく、この娘たら、いくつになっても子どもなんだから! もう少し、落ち着きというものを学んでほしいわ!
「そんな大声で叫ばなくても聞こえてるわよ。なに? また、冬眠中の熊の巣穴でも崩れちゃった?」
ミネバは、翼を広げ、肩に止まると、くちばしを開いた。
「それが、ホントなら大変ですけど違います。もっと、もーと、たいへーんで珍しいこと、なんですぅ」
巣穴より大変?
あれかしら、狼たちのけんか?
でも、それは、この間もあったし珍しくもないわね。
なら、これだわ!
「千年大樹のおじいちゃんが、もう、お目覚め? なら、まだ寒いから、早くあいさつに行ってあげなきゃ、おじいちゃん、大変よね!」
へっへん、ご名答よね!
「ちがいます! ソフィアさまは、いくつになっても、発想が子どもなんだからぁ!」
ムムムム!
「ミネバは、あたしが産まれた後に、母さまが錬成した使い魔でしょ! あたしの方が、お姉ちゃんなんです!」
「そういう、とこです」
火にかけてたケトルが、カタカタと音を立てる。暖かい飲み物を準備して、椅子に腰を落ち着かせた。
「ソフィアさまは、ククルース神話の偉大な魔法使いの名前を頂いているんですよ。もう少し、自覚してください」
使い魔のフクロウ、ミネバは、小言モードに入ってしまったらしい。
多分、この娘たら、何かを伝えるために急いでいたことも、忘れてるんじゃないかしら?
「そうね……でも、あたしは、勇ましい魔法使いにはなれないわ」
肩で羽を休めているミネバの頭をなでてやる。同時に、彼女に、魔力を注ぐ。
「そんなことはありません。ソフィアさまの才能は、同胞の誰もが認めておいでです」
彼女は目を細め、気持ち良さそう。あたしも、彼女のふわふわな羽をなでると心地いい。
一応、彼女が寝てしまう前に「大変なこと」の詳細は聞いた方が良いわね。
「ねぇ、何が大変か、教えて頂戴」
フクロウの使い魔、ミネバは、「えっと……」とつぶやくと、両翼を広げた。
「ソフィアさま、森の境界に人間が迷い込んだみたいです」
「人間? この森に?」
「はい、それと、これは、私の推測なのですが、その人間たち、何かに追われているようです」
「何かって?」
「それが、私にもわからないのです」
ミネバが、わからないと言う時は、本当に何もわかっていない時だ。追われているなら出迎いに行った方が良さそうね。
小屋を飛び出し、森の境界へと続く道の入り口に来た。
道は随分と荒れている。
パタパタと後から追いかけてきたミネバは、口ばしにくわえたティアラを、あたしの頭に置くと、
「ほら、ソフィアさまが、ちゃんと手入れをしないから」
などと小言を言う。そんな時の彼女は、母さまのようで、ちょっと苦手だ。
「この道の手入れは、人間の担当よね」
あたしたち、エルフは、外界には興味がないんだから当然よ。それに、ずっと誰も来なかったじゃない。
「とにかく、行きましょう!」
あたしたちは、森の中に入った。
道を外れた両脇から狼たちの気配が、あたしたちに、ついて来ている。
「ソフィアさま、少し急いだほうが……」
あたしの肩に飛び乗ったミネバが耳元でささやく。羽が首筋に触れてくすぐったい。彼女があたしの頭に、母さまのティアラを載せた理由には気づいている。
「はいはい、魔法でしょ」
「そうそう、ちゃんと古代ククル語は、覚えてらっしゃいますか?」
こういう時の彼女は、口調まで母さまにそっくり!
「エル・デ・ランド!」
古代ククル語で「風よ、運べ!」の意味。
母さまのティアラが光り輝く。精霊に、あたしの言葉を伝えてくれた。
女王の命令となったあたしの言葉に、大気たちは、あわてて、あたしたちの進行を後押しする。
そして、それは、濃密になり、あたしたちを巻き込んで一陣の風へと……
「ソフィアさま、エル・デ・ランドの裏の意味は?」
「しっかり、つかまってなさい!」
「ソ、ソフィアさまーー!」
ほら、あたしの肩で横着しようとするから、ばちが当たるのよ!
ククルース神話の原典は、古代ククル語で書かられている。表、裏、文脈に関わらず同時に存在する表と裏の意味を持つ面倒な言葉。
きっと、ミネバは、しっかり勉強してない、あたしが誤魔化したと思っているかもしれないけど、ちゃんと、あたしは、知っている。
「エル・デ・ランド」の表は「風が運ぶ」
裏の意味は……
「変化と未来」
目的地を風が察して、はぜるようにバラけてくれた。
「なに……この……臭い……」
これは、多分……血の臭い。それも、かなりひどい。それに、もう一つ、遠い昔、お祭りで人間たちが打ち上げた花火の匂いのような……
物騒とは、ほど遠い匂いがなんで?
「ソフィアさま、この先ですよ。どうしますか?」
「どうするって……助けに行くしかないでしょ?」
「人間には深く関わるのは禁じられてます!」
ミネバたらっ、こんな時まで!
「困っている人を助けることは、禁じられてません!」
それに、父さまだって、絶対に助けろとおっしゃるわよ!
母さまも、生きていれば助けることは誉めてくれるもん!
助けることを禁じる人も世界も、ある訳ないじゃない!!
「ソフィアさまらしいです。わかりました。お供します」
そう言って、ミネバは、あたしの肩から離れると、空高く舞い上がった。
お供って……これじゃ、なんだか逆じゃない?
木々の間を縫うように飛ぶ彼女を追いかけて、あたしは走る。少しだけ、大気の力を借りて、素早く動く。
狼たちがそんな、あたしを追い抜いていく。
みんな、やる気まんまんね。
視界が開けると、そこには、地面に倒れ伏す三、四人の男女と、それを、取り囲もうとしている複数の人影。
その奥では、狼たちが人間たちと争いはじめている。
剣を振るい狼に対抗する人間、それと……
大きな、大きな破裂音。
持ち手のついた筒からは煙が見えた。
剣が弾け合う音。
人間同士で戦っている??
争いの最中、破裂音を出す、その筒が倒れている人の方へ……
「やめてぇ!」
あたしは、両手を広げて立ちふさがった。
「ソフィアさま、危険です。あれは、人間の兵器です!」
使い魔のフクロウ、ミネバが、上空からあたしに声をかける。
兵器? 離れていても攻撃できるの?
「何者だ?」
長い筒を向けた敵? が叫んできた。
倒れている人たちは人間だ。
襲ってきている人も人間……? なの……
「あなたこそ何者よ!」
「我らは王国の兵士だ! 王殺しの大罪人を追っている!」
王殺し……
「だまされるな! こいつらこそ、魔王に寝返った裏切り者だ!」
魔王? 王殺し? 人間同士で殺し合い??
善悪、正邪、真偽の区別なんて……
「いいから、みんな、落ち着きなさい!」
大きな、大きな破裂音!
全てが、全てがゆっくりと時を刻む!
ミネバの叫び声は、まだ、途中。きっと、あたしの名前を呼んでいる。
母さまの声が聞こえた気がした。その声は「しっかりなさい」と叱っている。
ひたいの一点に強烈な衝撃!
首が勢いで後ろに持っていかれ、天を見上げた!
「ソフィアさまぁーー!」
ちょうどエルザが飛び降りてくる!
ひたいがズキズキする。
「いったぁーーい!」
もう、泣かないと決めたのに、痛みで涙があふれてくる。
母さまのティアラに魔力があふれ光り輝く!
「ばっ、化け物だあ!」
筒を持った兵士が、失礼を叫ぶ!
「失礼ね!」
自分で言うのもなんだけど、それはお世辞かもしれないけど、みんなは、
「エルフで一番、かわいいって言ってくれたんだからね!」
「エルフ??」
王国兵が、あたしに注目をする。
狼たちは、いったん、距離をとって、低いうなり声を発した。
人間同士の斬り合いの音も聞こえない……
とにかく争いは、収まった? のかな?
けが人の手当てをしたいけど、一言、言いたい。
「謝ってちょうだい!」
ほんと、痛かったんだからね!!
「ライフルて撃たれて無傷だなんて……」
「古の森に住む悪い魔法使い」
「銀色に輝く悪魔のエルフ!!」
「ちょっと、悪魔なんかじゃない。あたしはソフィア! これでも」
複数の破裂音が、あたしの言葉を遮った。
「無駄よ」
母さまのティアラがあたしを守ってくれるわ。
だから、筒から弾き出た、何もかも全ては決してあたしに届かない。
この場を包む大気は全力であたしを守ってくれている。
宙で失速した初めてみるライフル? の小さな球が空中でそのまま停止した。
その場所に近づき手に取ってみる。
想像より、とても小さい、そして、これは鉛かしら?
発砲音はやまない。
「化け物」とか「悪魔」とか失礼なことばかり言ってくる。
ほんと、頭にくる。
「いけない! ソフィアさま、強者の誓いを思い出して!」
「そんなこと! 承知してるわ!」
人差し指をたて軽く宙に円を描く。
そして、唱える魔法の呪文。
「エル・デス・デススレイ! 大気よ! 無礼者を拒絶なさい!」
裏も表も「拒絶」という古代ククル語の強い呪文。
大気が本気を出せば空間すら断絶をする。
これで、あたしの悪口を言った人たちを森から追い出してくるだろう。
だってもう……
「これで、静かになったわね」
「ありがとう、俺の名前は、そうだな、ラーシュ、王国の騎士だ」
さっきまで剣を振り回していた青年が、邪気のない笑顔。そんで、もって、木漏れ日に照らされた汗を袖でぬぐい、そのまま握手を求めてきた。
へぇー、歯が白いんだね。
「それより、けが人の手当てが先よ!」
止血や痛みは、魔法で和らげられるけど、完治するまでは、時間の力がどうしても必要になる。
助けることは禁止されてないけど、どこまでが許されるのか、それが、あたしには判断できなくて混乱してしまう。
その混乱をよそに、手当ての最中も、青年は手伝ってくれたりして、妙に馴々しくて、そして、変に紳士的なので苦手だ。