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翔の結論

『ご覧、愛紗の弟だ』

 轟音と同時に、地下室が赤く染まった。水槽越しの光に、浮かび上がる大きな影。声を上げて飛び退ると、水槽の脇から翔と先生が姿を現した。

「怖がることはありませんよ。その子は私達の弟です」

 龍だ。人間よりも遥かに大きな龍が、水槽の中で眠っている。鋭い歯が並んだ細長い顎。水槽の底に届きそうな翼。赤い光を受け、艶やかに輝く鱗。冷たい眼差しを見つめていると、捉えられてしまいそうだ。

「アキラ!」

 化け物に構っている場合ではない。私は翔に駆け寄ろうとしたが、爪先が何かに当たり慌てて足を引き戻した。ケーブルだ。電源用のケーブルが、何本もバンドで束ねてある。

「アキラ……どうして」

 黙って一人で出かけたりしたの? やっとの思いで絞り出した言葉は、情けなく上ずってしまった。喉が痛い。余りの暑さと埃っぽさに、口の中が干上がっていまいそうだ。

「先生が、教えてくれたんだ。もうすぐカケルが生まれるって」

 先生は口を挟まず、車椅子の後ろで微笑んでいる。自分が伝言しなければ、先延ばしに出来ると思っていた。私はなんて浅はかだったのだろうか。連絡先を教える機会は、今までいくらでもあったのだ。

「生まれるって、カケルは何か月も前に……」

 口にしかけてから、私は再び龍を見上げた。一か月そこそこでは、ここまで大きく育つ筈がない。私が入ろうとしたとき、地下には既にこの怪物がいたのだ。

「一匹目のカケルはミニチュアだったんだ。これが本物のカケルだよ」

 SHHとBMP2の相互干渉による微細な櫛状のパターンと、回折と反射が生みだす構造色。太陽の下でならこの巨体が青い輝きを纏うのだと、翔は熱っぽく語った。

 龍を染め上げているのは赤色LEDだろうか。コンピュータ、空調、培養槽、濾過装置。他の装置も二世代前の電気式だ。大昔の実験室を、そっくりそのまま引き上げてきたかのように。

「説明して頂けますか」

 立ち竦んでいた私を、根深い怒りが突き動かした。この人から聞かなければならないことは、それこそ山ほどあるのだ。

「無断でアキラ君を連れ出したことは謝ります」

 先生は物憂げな微笑みを浮かべたまま、こともなげに種を明かした。

「ですが、各木さんの同意を待っているわけにもいかなかったのです。今のうちにアキラ君の波形を覚えさせなければ、手遅れになってしまいますからね」

 それ以上、答えるべきことはないということだろう。先生は厚かましく、私の相槌を待っている。

「他にもあるでしょう、私達に、ずっと隠していたことが」

 私は俯いたまま、罅だらけの声で訊き直した。血が煮詰まって脈が頭に響く。固く握った拳の震えが止まらない。

「話す必要がなかっただけです」

 水槽に歪んで映る先生の横顔は、いつものように穏やかで優しい。こんな時にもこんな風に話せるような人だなんて、考えたことは一度もなかった。

「騙してたんですね。最初から、私達のこと」

 何も知らずに、対等に取引していると、どころか、愛されているとさえ思いこんでいた。私はさぞ愚かに見えたことだろう。

「違うよ、姉さん」

 冷ややかな翔の声に、私はふと顔を上げた。

「先生は僕に全て教えてくれた。その上で僕が決めたことだ」

 私の返事を待たずに、翔は先生に目配せした。余裕に満ちた先生の微笑みと、力強く、長い相槌。

「僕達の目的は一致しています」

 私は翔を見つめ、小さく首を振った。なぜ翔が先生の味方をするのだ。正にその先生こそが、翔を陥れようとしているというのに。

「アキラ、騙されちゃ駄目! その人はアキラのことをモルモット程度にしか思ってないの!」

 翔の味方は私だけだ。せめて私一人だけでも、翔を守るため悪意に立ち向かわなくてはならない。悲鳴混じりの説得は、しかし、最も恐れていた言葉によって断ち切られてしまった。

「そんなこと言っても無駄だよ……僕は生まれ変わる」

 そして自由を、手に入れるんだ。翔の瞳に灯った、赤い光。翔が行ってしまう。翔が翔でなくなってしまう。

『アキラも失うことになる』

 耳元で蘇る、母の予言。私はケーブルを飛び越え、翔に手を差し出した。

「帰ろう! アキラ」

 右手が弾かれる、余りにも軽く、致命的な音がした。

「僕は姉さんのペットじゃない」

 ペットなどではない。翔は私の弟だ。かけがえのない家族だからこそ、これまでずっと、惜しみなく愛を注いで来た。この十三年の間に、この子にはそんな簡単なことさえも伝わっていなかったというのだろうか。

「帰るなら、一人で帰ったら?」

 実験体と全く同じ、底知れぬ冷たい瞳に、私は震えあがった。私に背を向け、翔は地下室の奥へと帰ってゆく。先生と目が合ったけれど、先生は小さく首を振っただけで、翔を追って消えてしまった。

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