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漸く帰って来た

 ヘッドライトの光が見えなくなってしまうと、暗い森がざわざわと押し寄せてきた。時折雲が低い声で唸り、青白い光が林の底を照らし出す。家族で楽しく散策したのと、同じ道とはとても思えない。

 額に小さな雨粒が当たった、その時だった。遠くに大きな雷が落ち、稲光の中に小さな人影が浮かんだ。

「待って!」

 白い服の女の子を追い、私は走り出した。白いスニーカーが泥を跳ね、激しい鼓動が心臓を揺さぶる。頭と肩を打つ雨脚。近づくにつれて大きくなる、女の子の背中。風になびく長い黒髪に、あと少しで手が届きそうだ。私は力を振り絞って彼女の手首を捕まえ、開けた場所に飛び出した。見間違える筈もない。湖畔に佇む白いコテージ。私達が五日間を過ごした、先生の別荘だ。

 私は戻って来たのだ。十年以上かかって、漸く、この場所に。表に黒い四駆が止まっているのを確かめ、私は温室に向かって歩きだした。

 強風に振り回されているのだろう。ウィンドチャイムはせわしく音をまき散らし、鳴り止む気配は全くない。温室の扉を開けると、中から重たい熱気が溢れ出して来た。

 厚い靴底でガラス片を踏みしめ、私は色とりどりの鳴き声を掻い潜った。夏の日差しに緑が輝く度、鋭い雷鳴が鉄籠を震わせる。

『見せたいものって?』

 私が来るのを知ってか知らずか、ポーチの灯りが点いている。そこに佇む蒼い小鳥は、私と入れ違いに飛び去っていった。

『赤ちゃんがいるんだ……そうだね。言ってみれば、愛紗の弟みたいなものかも』

 ノブを捻ると、扉は何の手ごたえもなく開いた。小屋の中は真っ暗だが、スイッチの場所は分かる。灯りの下に現れた古い夢の一部分は、感じていたより遥かに狭かった。

「アキラ、先生……どうしてこんな……」

 地下室に下る階段は、向かって右手の壁際だ。私は濡れた前髪を払い、慎重に階段を下っていった。

 暑い。地下とは思えないほど、暑く乾いた風が下から昇ってくる。確か突き当りに、アルミでできた扉があった筈だ。深く降りてゆくに従い、記憶は少しずつ輪郭を取り戻した。

『走って下りたら、危ないよ』 

 そうだ。お父さんに呼び止められ、私は踊り場で振り返った。そして再び、階段を下ったのだ。間違いない。あの日見たのと同じ扉が、今私の目の前にある。

 先生の言っていた新しい実験体は、恐らくこの中で育てられているのだろう。扉を通して、機械の熱と息吹が伝わってくる。私は大きく息を吸い込み、熱い扉を押し開いた。

 ここの電灯も消えていて、入り口から差し込む光の他に光源らしい光源はない。はっきりと見えるのは段ボールの並んだ棚だけだ。奥には見えない輪郭を含んだ、一面の闇が広がっている。

「アキラ、ここに居るの?」

 スイッチを探してもそれらしいものはなく、私は地下室を手探りで進んだ。一寸先も見えない暗がりだというのに、誰かに見られているような気がする。辺りに満ちた微かな水音と静かな気配の正体に漸く気づき、私は足を止めた。一つや二つではない。この部屋は培養槽だらけだ。

 その中でもひときわ大きな存在を目の前に感じ、私は恐る恐る手を伸ばした。生暖かいアクリルの壁。相当に太い円筒形だ。この中で二匹目の翔が眠っている。私は直感した。

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