風に飛ばされる
練習が進むにつれ、翔の身体は次第に水面から浮き上がるようになってきた。翔曰く、先生のアイデアがツボに嵌ったのだという。
「迎え角を大きくすると、逆に揚力が減ってしまうんだって。頭を前に出すようにしたら、羽がぐっと持ちあがるようになって――」
言われてみれば、昨日の練習では翔がもっと身体を起こしていたような気がする。あれが良くなかったということなのだろうか。
「うん。私が見てても、後ちょっとで飛べそうな感じがする」
その瞬間が訪れたのは、その後すぐのことだった。
「もう一度!」
静かに泳ぎ出した翔を、じっと見つめる先生。上体が水面から浮き上がり、青黒い翼が水面を叩いた。翔は身体全体をくねらせ、飛沫を上げながら湖を滑ってゆく。スピードが伸びきってしまい、今回も失敗かと思われたその時、湖上を薄い波が渡り、水飛沫が横に浚われた。
「飛んだ!」
続く横風が、唸り声を上げながら翔の身体を巻き上げた。翔は完全に湖面を離れ、空の中を漂っている。漸く訪れた好機を出来るだけ引き伸ばそうと翔は必死に羽ばたいたが、瞬く間に風から転がり落ちてしまった。
「先生、大丈夫でしょうか?」
遠めにも、大きな水飛沫が上がっていた。落ち方によっては、翼をどこか傷めているかもしれない。先生は双眼鏡を覗き、鼻でうなった。
「見てみないことには、何とも言い難いですね」
私達の心配をよそに、翔はケロリとした顔で岸辺まで戻って来た。
「やりましたね。数秒とはいえ、文句なしの初飛行です!」
意識を戻した翔の両肩を、先生はしっかりとつかんだ。
「自分が一番びっくりしました。いきなり風が吹いて、翼が持ち上がって……よく分からないままもがいていただけだけど、あの時確かに、空を飛んでた……」
風の止んだ湖の上に、翔はうわごとを刻んだ。風を受け、宙に浮かんだ翔の影。思い出した瞬間、背筋を冷たい汗がなぞった。もし、あのまま飛び続けていたなら。いや、風に流されていたなら。
「姉さん?」
不意に声をかけられ、言うべき言葉が見つからない
「あ、うん。お姉ちゃんも見てたよ。凄いよね。本当に飛んじゃったね」
アキラ、おめでとう。私は漸く、答えに辿り着いた。二人と一緒に喜ぶべきだと分かっている筈なのに、良くないことばかり考えている。翔がすぐに落ちて、本当は助かったのではないか、と。




