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テレビの中の母

 明くる日から、私達がギムナの中で言葉を交わすことはなくなった。小まめに尾行されていないか確かめ、郁美達がいない時は寄り道せず家に帰る。怪しい人影が鏡に映ることは未だに一度もないけれど、私に見つかるような人がプロになれるとも思えない。私は諦めを装い、母は無関心を装う。終わりの見えない根競べが続いた。

「見えますか?」

 打ち合わせは週に一度、あのリビングで行われた。友達と遊びに行くように見せかけ、一度街を離れてから、私は抱かれに戻ってくる。ここが一番、人目につかないという理由で。

「見える範囲では、いませんね」

 双眼鏡を下し、先生はカーテンを閉めた。あの日からずっと続いている、あまりに露骨な静けさ。素直にとれば、命取りになるかもしれない。

「疑いは晴れたんでしょうか」

 私はケーキ皿にシュークリームを移し、フォークを添えた。かけ流しの国際ニュースは、三菅中央管理棟前のデモを報じている。

〝例えば、皆さんは、オートアニマの一生について考えたことがおありですか〟

 聞き慣れた声に目を向けると、そこには母の姿があった。記者にマイクを差し出され、メランコリックな眼差しでカメラに縋っている。

〝彼らには普通の生き物が持っている、欲求というものがありません〟

 自分で餌を探すこともなく、結ばれて子孫を残すこともない。工場で蜜を与えられて、与えられた命令通りに働き、最後は再び分解されてしまう。マイクを片手に話す母は、目を背けたくなるほど人道的だ。その大事な息子を軟禁しているとは、皆夢にも思わないだろう。

〝このような生き物を生みだしてしまったことが、正に人間の罪だと言えるのではないでしょうか〟

 自分達こそ、生き物の味方だとでも言いたいのだろうか。生体工学がなければ温暖化にも歯止めがかからず、数えきれない種が喪われていたかもしれないというのに。

「誘いに乗ってみましょう。試しにアキラ君を、公園に連れて行ってあげて下さい」

 見られているなら、出かけていても私のところではないということで、それも実績です。

先生は薬缶をどけて、コンロに蓋を被せた。

「まあ、そうですけど」

 この間のようなことがあってはたまらない。尻込みする私を、先生は宥めすかした。

「そもそも尾行は気づかれたら失敗です。向うから何か仕掛けてくるようなことはそうそうありませんよ」

 薄闇を撫でる軽い水音。キッチンから、コーヒーの穏やかな香りが伝わってくる。出がらしを捨て、ドリッパーをシンクに横たえると、先生はお盆にカップを並べた。

「私、頑張ります」

 先生の背中は、温かい。


 頑張るとは言ったものの、私がやったことといえば、以前と何も変わらない散歩だった。アジサイのちりばめられた雨上がりの公園を、水溜りを避けながら翔を推して歩くだけ。ひっきりなしにコンパクトを覗いても、不審者がいないのだから仕方ない。

「それでね、先生が、もうすぐ培養を始められるって」

 先生からは、もっと具体的な進捗を聞かされていた。曰く、やれbmprの配列をシレサウルスと差し替えた。やれhoxdの9から13の標的にパラログを追加した。聞いている間は分かったような気にもなれるけれど、今ここで思い出せと言われても無理がある。

「あと三か月もあれば、飛ばせるみたい」

 私が頬笑みかけると、翔は目を丸くした。

「どうしたの……姉さんは、あんまり乗り気じゃなかったのに」

 あどけなさの残る瞳に、全て見透かされているような気がして、愚かな私はうろたえた。この数週間の間にあったことを、翔はまだ何も知らない。

「そんなことないってば」

 ハンドルを握る手に、力が入る。手の中で転がる、粉っぽいプラスチックの感触。しばらく歩くと木立が開け、不意に虹が現れた。

「大きいね、虹」

 木立を縫う日差しは、早くも黄色がかっている。一応時計を呼び出すと、手の甲から数字がホップアップした。四時五二分。後は母のお小言が貰えるよう祈る他ない。出方によっては、翔に発生中の胚を見せてあげることも出来るだろう。

 その日の夜、私はやはり母に釘を刺された。先生との密会に比べれば、余程可愛い秘密だというのに。母はあの男と、本当に無関係なのかもしれない。私は先生と相談し、母のいない日に合わせて、翔を先生の家まで連れていく段取りをつけた。

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