歴史4 風向きの変化
「張り切ってるなぁグレント!なにか良いことでもあったのか!」
2日目の作業が始まった。穴掘り班で掘り起こした岩や土塊を邪魔にならない場所へと運ぶ運搬役の狼人族、グレントは誰よりも早く、多くの運搬をこなしていた。
他のワーウルフが張り切るグレントに軽口を叩くと、グレントは心の高鳴りに、少しの羞恥心と独占欲が入り混じる心境から適当にお茶を濁す。
「別に!なんでもねえよ!」
「グレントと言ったか。水を差すようだが、そんなペースで動いていたら体力が持たないぞ」
近くにいた耳長人族が軽く注意を促す。
「バカいうな!ワーウルフがこの程度で疲れるかよ!」
しかし、グレントに聞き入れる様子は見受けられない。
「本人がそういうなら私はなにも言わないが……」
初日に穴掘り班のサブリーダーを務めるエルフが、他種族間における認識の齟齬から起こった吸血事件で大慌てしていたのを後で聞いた彼女は、サブリーダーと同じような目に合うのは御免だと考え、あまり突っ込んで機嫌を損ねられたりしないよう、適当なところで会話を区切った。
吸血事件を起こした張本人である吸血人族と、血を吸われた蛇人族との両者の間には、いまだに淀んだ空気が漂っていた。
狭い空間を広くする為に、先頭に立って穴を掘るヴァンパイアとラミアの両種族間との距離は、現状で狭い為に必然的に距離が縮まり、お互いに離れたくとも離れられない。
初日にそれなりのスタートを切ったとはいえ、まだまだ作業は始まったばかり。よほどの問題が起きれば話は別だが、多少のイザコザで持ち場を離れる訳にはいかない。
被害者のラミアはともかく、悪意があったわけでは無いとはいえ加害者のヴァンパイアは特に気まずい思いをしていた。
これまで他種族の表情の変化を気にした事はなかったが、昨日の一件から目に見えて吸血されたラミアの機嫌が悪くなっている。
ヴァンパイアという種族にはあまりお喋りな者が存在せず、女性優位の社会を築くラミアも、男性の多いヴァンパイアに対して普段の調子で喋る事はなく初日の会話は必要最低限のものであり、後はほとんど無言だった。
吸血事件の当事者であるヴァンパイアとラミア以外は普段の調子で黙々と作業を続けているが、当事者のヴァンパイアからすれば今この場における沈黙は非常に気まずいものであった。
吸血してしまったラミアの気を引こうと話しかけてみるかとの想いが頭を過るが、普段から口数が少ない為に会話の糸口を掴めず、どう話しかければ良いのかと悶々と考え込むうちに、昼の食事休憩の時間がやって来た。
作業の手を止め、保存食と飲み水を取りに行こうと穴掘り班の皆が移動しだすと、初日に血を吸われたラミアが勢い良く立ち上がり、勢いよく当のヴァンパイアへと振り返るや否や、自身の両腕で首元を覆いながら、嫌悪感を露わにする表情でヴァンパイアをひと睨みしてから、そそくさとその場を立ち去った。
鬱陶しい蠅がブンブンと辺りを飛び交うかのように様々な負の感情が行き交う中、睨みつけられたヴァンパイアはしばしその場で硬直してしまう。
あまりの反応に、思わずヴァンパイアが動きを止めるなか、ワーウルフのグレントも地面に仰向けに寝転がった状態で、その場からろくに動けない状態にあった。
エルフが注意したとおり、前半に飛ばし過ぎた為に後半で体力が尽きてしまったのだ。
食事を受け取りに行く気力すら湧かず、倒れた状態で息を乱す自身の頭部へと、誰かが近づく気配を感じるグレント。
わざわざ反応するのも面倒だが、一応、顔を上げてみると、そこには、2人分の保存食と飲み水を手に持った精吸魔人族のエルヴィーグの姿があった。
「ようやく休憩ですわねグレント。運搬作業の方はどうでしたか?」
「余裕!」
柔らかく微笑みながら尋ねるエルヴィーグに、グレントは親指をグッと立て、強がった返答をかえす。
「流石ですね、私なんかもうヘトヘトなのに」
「ヘトヘト?マッサージの方はそんなに忙しいのか?」
「えぇまぁ、お昼休憩はちょっと仮眠を取っとこうかと考えていますの。けど、昨日も言いましたけど、私だれかを膝枕している方が眠りやすくて…」
エルヴィーグがそこまで言うと、勢いよくグレントが起き上がった。
「じゃあササっと飯だけ食って一緒に寝よう!」
「うふふ、急ぎすぎて喉に詰まらせないでくださいね」
手短に食事を終えると、昨夜と同じように、
エルヴィーグがグレントに膝枕をするかたちで両者は休憩していた。
「ダメじゃ無いかエルヴィーグ、いくら忙しいとは言ってもほどほどにしないと体が持たないぞ」
自分の事は棚に上げてグレントがエルヴィーグを注意する。
「仰る通りですわ。いくら張り切っても途中でバテて倒れたりなんかしたら、介抱する者の労力も考えれば結局のところ逆効果ですものね、子供でも無いのに自分で自分の体調も管理できないなんて恥ずかしいったらありゃしない」
意図的に声に抑揚を付け、恥ずかしいとの言葉を強調させるとグレントの全身が一瞬だけビクリと飛び跳ねる。エルヴィーグが次の言葉を紡ぐまでの間に様々な思いが脳内を飛び交う。
「私としたことがとんだ不覚でした、そう思いませんか?グレント」
「え?あ、あぁ、そうかも……な………け、けどまぁ、頑張ろうとした事に変わりはない訳だし、それ自体は良いことじゃん?つ、次から気をつければ良いと思うぜ?次から……」
まるで弁明でもするかのように、自分に言い聞かせるかのように、慌ててグレントがフォローの言葉をかける。
「ありがとう。優しいのですね」
「べ、別に!?これぐらい普通じゃね?」
エルヴィーグがお淑やかに微笑むと、グレントが照れ隠しの相槌を返す。
「それじゃあ次からはほどほどに気をつけますね。疲れたので今は少しだけ眠るとします」
「う、うん。おやすみ」
「おやすみなさい」
エルヴィーグが両目を閉じて寝息を立てると、それに釣られるようにグレントが眠る。
『まだ1分も経ってないのに、よっぽど疲れていましたのね』
グレントが眠ったのを確認すると、狸寝入りを決めていたエルヴィーグがゆっくりと両目を開き、視線を動かし、眠るグレントの頭から爪先までをじっくり眺める。他者の精気を糧とするサキュバスは、どこをどう刺激すれば対象の活力を高める事ができるのかを見通す目を持つ。
エルヴィーグが観察した限り、グレントの身体でいちばん疲労の溜まっている部位は両足だったが、今の体勢のままでグレントを起こさずに足を刺激するのは難しいと考えたエルヴィーグが、グレントの頭部へとそっと手を伸ばし、指でゆっくりと頭部をマッサージする。直接足を揉むのは難しいが、少しでも疲労を回復させる為に睡眠の質を高めようとの考えで、エルヴィーグは頭部のマッサージを行う。
『しっかり休んで元気になってくださいねグレント、あなたが満たされればそれだけ私も満たされるのですから』
グレントが安らかに眠る頃、鉱石採掘班の鬼人族と鉄工人族はいまだに作業を続行していた。
「おい、オーガ、そろそろ飯休憩にしようぜ」
そろそろ昼時かと砂時計で時間を確認したドワーフが、オーガに休憩しようとの意見を出す。
「どうせまた不味くて量も少ないホゾンショクとやらだろう?飯を楽しむ気にもなれん、休憩はいらん。腹と喉だけ満たして採掘を続けるぞ」
「お前が休めなかったら俺も休めねぇんだよ!休憩ぐらいさせろよな!」
「知らん!見ているだけだ!楽なものだろう!」
「あのなぁ、簡単に言うがただ見てるだけってのも結構神経を使うものなんだよ」
「知らんと言っている!一刻も早くコウセキを見つけて一刻も早くドラゴンを殺すんだ!のんびりと休憩なんかしていられるか!」
「はぁぁ〜勘弁してくれよなまったく……」
見ているだけとはいえ昨夜から作業を続けているのだ。ドワーフもそれなりに丈夫な体をしているが、老齢も重なり流石に疲労感を感じる。ずっと働き通しでなお平然としているオーガの体力は桁外れだ。結局、就寝時間になるまでドワーフの要求が聞き入れられる事はなかった。
3日目の作業も、グレントがペース配分をほどほどにした事以外にこれと言った変化は無かった。吸血事件の当事者となるヴァンパイアとラミアの間に漂う気まずい空気、ろくに休憩もせずに作業を続けるオーガとドワーフ。穴掘り作業はなかなか順調だが、目新しい鉱石はいまだ見つからず。良くも悪くも、1日目、2日目と概ね同じ流れだ。
同じような流れは4日、5日、1週間と続き、10日目に大きく変わる事となる。
「む?」
黒色やら茶色やら、似たような色が延々と続く中で、壁を掘り続けるオーガの目の前に、明るい黄色の壁が表れた。
「おっ、おっ!ま、待てオーガ!ちょっと手を止めろ!」
後ろで見ていたドワーフが、慌ててオーガの前に出て、作業用の手袋を外して黄色壁を手でさする。
「ほぉぉ〜。こんなにたくさん。はあああぁ〜。こりゃ驚いたぁぁ」
感嘆の声をもらしながらドワーフがひとしきり壁をさする。
「なんだ。ついに新しいコウセキが出たのか」
ドワーフの様子を見ていたオーガが、少しだけ明るい声でドワーフに質問する。
「繋ぎ石だよ!繋ぎ石!」
ドワーフは壁から目を離そうともせずにオーガに生返事を返す。
「ツナギイシ?なんだそれは?」
「貸せ!素人には任せられねぇ!」
一瞬だけ振り返ったドワーフがオーガの手からハンマーを取り、いそいそと懐からタガネを取り出してはすぐにまた振り返り、タガネの刃の部分を壁に当て、タガネの背をハンマーで叩き壁を掘っていく。
「おい!質問に答えろ!ツナギイシとはなんだ!それがあればドラゴンを殺せるのか!?」
答えを待ちきれないオーガが苛立たしげに声を荒げる。
「繋ぎ石、またの名を万能石。これ単体でもそれなりの強度があるんだが、なによりすごいのはコイツの性質よ!」
「バンノウイシ……セイシツ……?」
相槌の打ち方からしてオーガは単語の意味を理解していない様子だが、ドワーフは聞き手の様子の機微に構わず、興奮気味に言葉を続ける。
「高温で溶かして液状になった鉄とか他の鉱石に、同じく高温で溶かした繋ぎ石を混ぜ込むと、冷えて固まった際、本来のソレにそのまま繋ぎ石の強度が上乗せされるんだ」
「高温で溶かして冷えて固まって上乗せされる?なにを言っているのか全然分からん!もう少し分かりやすく説明できないのか!」
「つまりだなぁ!例えば鉄だけで作った武器の強さが10だとすれば、鉄と繋ぎ石で作った武器なら15になるって話だよ!」
「強さが10から15になる?つまり、ツナギイシはあればあるだけ良いんだな?」
「そういうことだ!」
「なるほど、じゃあツナギイシが有ればドラゴンを倒せるのだな」
「それは分からん!」
「何!?何故だ!」
「さっきも言ったように繋ぎ石は混ぜれば混ぜるだけ強度が上がる!10が15、15が20と言った具合にな!だが強度の底上げには限界があるんだ!組み合わせる材料によって多少の差異は有るが、俺達ドワーフの経験からして強度を上乗せできる限界値は凡そ鉄の3倍!無制限に強化できる訳じゃ無い!だからドラゴンを倒せるとは言い切れない!ドラゴンの強さがどれほどなのかは分からないからな!だが繋ぎ石があって邪魔になる事は絶対にない!コイツは大きな追い風だろう!」
「分かるような分からないような……結局のところドラゴン退治に向かって進んでいる事には違いないのだろうな?」
「当初の頃よりはな!」
ドワーフの言葉を聞くと、オーガの気難しい顔が幾分か明るくなる。
「そうか、ようやく一息つけそうだな」
オーガは大きく息を吐いて、その場に腰を下ろした。
「なに!?なんか言ったか!?」
水を得た魚が泳ぎ回るかのように金属音を鳴らしながら繋ぎ石を掘り進むドワーフが前を向いたまま大きな声をあげる。
「どれだけ掘ってもなかなかコウセキが出ないから焦っていたんだ。ドラゴンの事を考えると腹が立って眠れもしなかった。だが、寝る間を惜しんで働いた甲斐があった。今夜は少しだけ良い気分で寝られそうだ」
「馬鹿野郎!体力自慢のオーガが何を眠たい事言ってやがる!こんなに大量の繋ぎ石を目の前にして平静でいられるか!先に言っとくが今夜は徹夜だぞ!」
「なっ、なに!?さっきまで疲れただの眠たいだの言っていたじゃないか!」
「興奮しすぎて眠気なんか飛んで行っちまったよ!お前も付き合え!俺も今まで散々付き合わされた訳だし、自分だけ断ったりはしないよなぁ!?」
「チッ!面倒なジジイだ!」
オーガは腕を組みながら、顔を付き合わしているわけでもないドワーフに対して、忌々しげな表情で顔をそっぽに向ける。
「ガハハッ!そういうな!後で皆には内緒で俺の秘蔵の肉を分けてやる!」
「肉だと!?嘘じゃないだろうな!」
肉という単語に反応したオーガが食い気味でドワーフに問いただす。
「おうともよ!まぁちょっとした祝いみたいなもんだ!」
「肉が食えるのなら徹夜にも付き合おう」
オーガが肉に反応して盛り上がる中、外の見張りを行う翼人族と猪人族もまた、食事の話で盛り上がっていた。
「そうそう!あそこの川魚がまた絶品なのよ!プリプリと身が締まってて臭みもないし!まぁ、たまに怪詩人族と鉢合わせて大喧嘩になるんだけどね。あいつらが魚と友達になってる場合も少なくないから。オークはどんな食べ物が好きなの?」
「う〜ん、肉も好きだし魚も好きだし虫も好きだし植物も果物も美味しいしどれもこれも迷っちゃうなぁ〜。全部好き!ってのはダメ?」
「ちょちょちょちょちょい待った!オークは好き嫌いしないって聞いたけど本当になんでも食べるの!なんで!?お腹壊さない!?」
基本的に魚か虫しか食べないハーピィからすればオークの言動は自身らの常識からすれば考えられないものだった。
小さなハーピィが驚いた様子でばさばさと翼を上下に動かす。
「え…なんでって言われても、お腹減るし食べると美味しいからに決まってるでしょ?お腹を壊すってなに?なんで食べ物食べただけでお腹を壊すの?」
「美味しいってどこが!?植物なんてただの草じゃん!味しないじゃん!あんなので腹が膨れたら狩りなんかしなくて良いじゃん!苦労しないじゃん!てゆーか果物食べたらお腹痛くなるでしょ普通!?」
「狩り?あぁ、僕たちオークは狩りなんかしないよ」
「え?」
オークの言葉を聞いたハーピィの表情が思わず引きつる。
「そんなわけないでしょ!?あんた私を馬鹿にしてる!?狩りをしない種族がどこにいるって言うのよ!冗談なら笑えないわよ!話しのテンポが悪くなっちゃうからハーピィは冗談を好まないの!」
やいのやいのと騒ぎながらハーピィが翼で何度かオークを軽く叩く。
「あたた、じょ、冗談じゃないよ〜。本当に僕達オークは狩りをしないんだってば。そりゃあ他に食べるものがないんならするかも知れないけど、食べ物なんかそこら辺にいくらでもあるんだし、そもそも危険で疲れる狩りなんかしたくないよ」
「マジ………で?」
恐るべしオークの生態。ほとんどなんでも食べれるから食べ物に困る事はまず有り得ない。故に狩りで食料を得る必要も無し。
なんと便利な体なのだろう。出来る事なら自分もオークに生まれたかったと思うハーピィであった。
「川魚以外はあんまり食べれないし狩りもしなければならないなんてハーピィは大変なんだね。僕はオークに生まれてよかったぁ〜。けどハーピィみたいに空を自在に飛び回るのにはちょっと憧れちゃうけど」
会話の流れが食べ物の話から種固有の身体的特徴の話しに路線変更するのをハーピィは見逃さなかった。
五指を備えた両手こそないが、それを補って余りある機能美、そして造形美。
最大の特徴にして最大の誇りとなる翼の話しについて思う存分語ろうとしたハーピィだったが、視界の端で不穏な物影が動いたのを感じたハーピィが、翼を被せるようにしてオークを押し倒す。
「隠れて!」
「なっ!?なにが…」「シッ!」
自体を飲み込めずに困惑の声をもらし掛けたオークに、声をあげないようハーピィが合図する。
ハーピィとオークは屈んだ姿勢のまま鉱山内の物陰に体を隠した。
オークが身を小さく丸めて屈む中、ハーピィは壁に腰をピッタリとつけたまま頭部を僅かに動かし、瞳を細めながら遠くを睨む。
遠くを睨んでいたハーピィは、しばらくして緊張の糸を僅かに緩め小さな息を吐いた。
緊張の糸は僅かに緩みこそしたが切れた訳では無い。
先ほどまで子供のように騒がしくはしゃいでいたハーピィが、冷たく突き刺すような警戒心を醸し出している。
「ま、まさか」
「そのまさかよ」
他種族の考えは分かりにくいが、常に命の危険に晒される彼等の野性は生死に直結する感覚の恐怖には敏感だ。
理性と本能の両方が、遠方の狂気の正体を告げる。
「ど……ドラゴン……」
「こっちには気付いてなかったけどね……それに、やけに小さいドラゴンだった。まだ子供なのかも知れない……いずれにせよ、皆に知らせないと。私はもう少しここで見張っている」
「うん…わかった」
見張りを続けるハーピィを尻目に、オークは鉱山の中へ走って戻って行く。
採掘班のドワーフとオーガが繋ぎ石を発見してしばらく後に、見張りのハーピィがドラゴンを発見した頃には、既にある程度の繋ぎ石を掘り起こしていたドワーフが、普段から自分達ドワーフが拠点としている鉱山内の一画に戻っていた。
「これだけあればとりあえずは充分だ。俺はこれから武器の作成に取り掛かる。他のドワーフを付けるからお前はもう少し採掘を続けていてくれ」
老齢のドワーフが、他のドワーフに繋ぎ石の採掘を命じ、硬い岩盤に当たった時の為にとオーガと2人1組で行動させる。
「約束は守れよ」
オーガが鼻息荒く念を押すと、ドワーフは笑顔で「任せとけ」と答えた。