歴史3 相互理解 それは難解
採掘班に大きな進展は無かった。
穴掘り班は悪くないスタートを切ったが、食事休憩の際に、鉄工人族から支給される味気なく量も少ない保存食は大不評だった。
特に、量が少なすぎると愚痴をもらす猪人族と、血を吸わせろと喚く吸血人族の両種族は最後まで騒ぎ立てていた。それを肉が食えなかった鬼人族が八つ当たり気味に一喝して黙らせると一気に空気が張り詰めたが、比較的に温厚で理性的なドワーフと耳長人族と精吸魔人族の3種族が空気を和らげようと気を利かした為に大事には至らなかった。
食事休憩を終えて作業を再開し、しばらく働き続けて、再び食事を済ませたところで1日目の作業が終わった。
「うぅん!んん〜」
半蜘蛛人族が人型の上半身を大きく上に伸ばしてから、大きく息を吐く。
「まっさーじとやらも楽じゃないわ。大した力は使ってないはずなのに、慣れない動きだからすごい疲れる。あなた達はいつもこんな事やってるの?」
背伸びを終えたアラクネが隣のサキュバスに話しかける。
「別に、毎日はやってませんわ。私としては相手が気持ち良くなるのなら毎日でも構いませんけどね」
大して疲れた様子もなく笑顔で受け答えするサキュバスにアラクネは感心と呆れが入り混じったような感情を抱いた。
「ラミアの言葉を借りる訳じゃないけど、性行為だけが取り柄じゃないのね」
「サキュバスとしましてはそれがいちばん得意なんですけどね。貴女さえ良ければ実践してさしあげましょうか?」
「はい?実践?」
サキュバスの提案に、アラクネが首を傾げる。
「だからぁ、私と貴女で一緒にやりませんか?って話しですわ」
「なんで?同性同士でヤッて何の意味があるの?」
アラクネにはサキュバスの言葉の意味が分からなかった。サキュバスの提案は彼女には、いや、アラクネと言う種族全体から見ても理解の外にある行為に他ならなかった。
「何の意味って…気持ち良くなる為に決まっているじゃないですか」
「それだけ?」
「それだけですけどなにか?」
両者の間になんとも言えない空気が流れる。そもそもの価値観の違いからか、お互いがお互いの事を理解できない。
「あ…あぁ〜…なるほど分かった。それがサキュバス風の冗談ってわけね」
なんだそういう事か。冗談だったのなら全てに説明がつく、と言った具合にアラクネが、いまいちスッキリしなかった物がストンと腹に落ちたかのように明るい声をあげると、サキュバスは微妙な表情と声色で「いや、冗談じゃないんですけど」と返答した。
「??」
更なる謎がアラクネに降り掛かる。
快楽を得る事自体は悪いことではないが、なぜわざわざ同性同士でそれを求めるのか。そういった行為を行おうにも体力を消耗するし明日も作業が待っている。そもそも普通に異性同士で済ませればいい事だし、大体、現状の自分は繁殖期でもないのだ。
『なにこいつ?冗談じゃなければどういう意味なの?あ、もしかして私達とサキュバスの繁殖期ってずれてたりする?今がサキュバスの繁殖期なの?ああ〜そういうことか。今はサキュバスの繁殖期なのか。…………あれ?繁殖期だったらなんで異性を捕まえようとしないの?普通は雄と雌が番いになる筈なのに、サキュバスはそうじゃないの?え!?嘘!?そんな生き物って存在するの!?」
珍しいどころの問題じゃない。圧倒的な未知に、警戒心と好奇心が入り混じったアラクネが、恐る恐るといった具合に質問する。
「あっ!あのさ!もしかしてよ!?もしかしての話だけど………サキュバスって、その…ど、同性同士で子供を作れるわけ!?」
聞いた。聞いてやった。おそらくは、いまだかつて生物が踏み込んだ事のない領域の禁断の知識へと勇気を振り絞ってにじり寄った。
大物の獲物を捕らえた時以上の達成感と、他のアラクネが絶対に知らないであろう事を、自分だけが知った優越感がざわざわと湧き上がってくるのを感じる。
さあ答え合わせの時間だ。私の観察力と感の冴えを褒め称えて祭り上げるが良い!私はアラクネの中でも進化の最先端を行く最も素晴らしき存在なのだ!
「なにを言っているのですか?同性同士で子供ができるわけないでしょう?アラクネって随分と変わった冗談を好むのですね」
「っ!?っっ!!??」
頭がどうにかなりそうだった。サキュバスが何を言っているのか全くもって理解できない。
「え??なんで??サキュバスが繁殖期で同性どうしで子供ができて??でも繁殖期じゃなくて気持ち良くなって??冗談が異性同士で冗談じゃなくて??」
アラクネの脳がパニックを起こす。糸を駆使して獲物を捕らえる為の巣を作り、獲物が糸に掛かった際の微細な振動の感知と、多脚の扱いに脳の知覚の大部分を割くアラクネは、それ以外の事柄を深く考えるのが苦手なのだ。
混乱するアラクネと、そのアラクネを不思議そうに眺めるサキュバスを横目に、ドワーフは隅っこの方で静かにしていた翼人族とオークの方へと歩み寄る。
「失礼するぞっ、と」
数人のハーピィ達とオーク達が座り込む向かい側にドワーフが座り込むと、ドワーフの正面に座っていた小さなハーピィが、ばつが悪そうに「なんか用?」と言葉を投げ掛けた。
「どうやらアンタ達に穴掘りは向いてないようだな」
ドワーフが口を開くと、正面にいたハーピィは上半身をビクリと動かした後、露骨に不機嫌な表情で顔を横に逸らした。
「わざわざ嫌味を言いにきたのか?」
ハーピィの中でひときわ体の大きい者がドワーフを睨む。
「そう突っかかるな。誰でも向き不向きがある」
「慰めてくれてる、の?」
オークがドワーフに質問する。
「それもないわけじゃないが、明日からの役割分担について説明しに来たのが本題だな」
「……役割分担?」
ドワーフの言葉に、顔を逸らしていたハーピィが前へ向き直る。
「なぁに、至って簡単な仕事だ。ただし、絶対に欠かしてはならない重要な仕事でもある」
まったくと言っていいほど穴掘りに貢献できず、他の種族に情けない姿を晒すハメになってしまい、へこたれていた所へ重要な仕事があるとの言葉に、至って簡単だという前半の説明が緊張感の中に混ざって霞んでいく感覚にハーピィとオークが身構える。
「まさか、その仕事を私達にやらせるつもりなの?」
正面に座るハーピィの質問に、ドワーフが肯定の返事を返す。
ハーピィとオーク達が落ち着きなくざわめきだす。
この様子では口で説明するよりも実際にやらせた方が早いかと考えたドワーフが、ハーピィとオーク達へ、自分に付いてくるように呼び掛ける。
言われるがままに歩きだすと、鉱山の外から月明かりが差し込んでいる景色が見えてきた。
「な、なんで外に向かってるのよ!」
「ま、まさか役に立たなかったから放り出すつもりなの!?」
「はぁ!?ふざけんじゃないわよ!?ドラゴンのいる外に出るなんてわたし絶対に嫌よ!!」
「落ち着け!誰が放り出すなんて言ったんだ!」
声を荒げて喚くハーピィとオークをドワーフが一喝する。
「見張りだよ、アンタ達にはここで外の様子を見張っててもらうんだ」
続けざまに喋るドワーフが、鉱山の出入り口で見張っていた別のドワーフに片腕をあげて合図を送ると、見張りをしていたドワーフは片腕をあげて合図を返し、就寝の為に鉱山の中に戻って行った。
「見張り……ドラゴンが来ないか見張ってろって事?」
「そういう事だな」
オークの質問にドワーフが答える。
「なんだ、見張りなんか簡単じゃない。緊張して損したわ」
軽口を叩くハーピィをドワーフが睨み、見張りの重要性と方法を説こうと口を開きかけるが、そのタイミングに被せるようにして軽口を叩いたハーピィが言葉を続ける。
「見張りの鉄則は相手からは発見されにくくしつつ、かつ自分は周りを良く見渡せる場所で待機する。壁に張り付くようにして身を隠しつつ外を警戒しろって言いたいんでしょ。私達ハーピィは四六時中飛んでいる訳じゃないの。そんな事したら疲れちゃうでしょ?常に死角から相手の隙を伺って、ここだと思ったタイミングで奇襲を仕掛けるの。見張りの重要性は物心つく時から体が覚えてるわ」
「なるほど、正直ちょっと頼りないと思っていたが、心配する必要はなさそうだな。それじゃあ見張りはアンタ達に任せるとして……オーク達には何をしてもらおうか……」
口振りからするに見張りの方はハーピィに任せていれば問題なさそうだ。しかし、そうなったらそうなったで今度はオークの仕事がなくなってしまう。ただ食っちゃ寝しているだけでは真面目に取り組む他の種族に良くない感情を向けられかねないし、どうしたものかと難しい顔でオークをドワーフが見つめる。
「待った、オーク達もここに残しといて欲しいわ」
ハーピィの提案にどういう意図があるのかとドワーフが尋ねる。
「見張りって結構ヒマなのよ。ヒマだから普段は他のハーピィと雑談するんだけど、雑談し過ぎてハーピィ同士だとどこかで聞いたような会話を繰り返すだけになっちゃうのよね。だから、オークには話し相手になって欲しいの」
「は、話し相手?う〜ん…それは仕事って言えるのか?そもそも俺としては見張りの方に集中してほしいんだが」
「雑談した方がむしろ集中できるの!これがハーピィの生活様式なの!」
「雑談した方が集中できるなんてことがあるのか?繰り返すがドラゴンが来ないかを見張るんだぞ?一応いっておくが遊びじゃないんだぞ?」
「しつこい!」
ピーピー喚くハーピィに対し、先ほど無くなったばかりの不信感を再び抱いたドワーフだが、ハーピィの中でひときわ体の大きい者が落ち着いた態度でドワーフに頼み込み話し相手がいた方がいいとの説明をすると、他の種族に対し全部が全部じぶんの考えを押し付けるのは無理があるかと考えたドワーフがハーピィの要望を受け入れた。
鉱山の出入り口付近で見張り役についてドワーフとハーピィとオークが話し合う中、鉱山内では皆が就寝準備に取り掛かろうとしていた。
就寝準備とは言っても、ドワーフが作った寝袋の数は限られているし、ほとんどの者がただ寝転がる場所を適当に決めようとしているだけの空間で、とあるワーウルフは慌てて目当ての場所に向かっていた。
発達した嗅覚で匂いを嗅ぎ分け、えも言われぬ甘い香りの元へと走って向かう。
「よ、よう!」
匂いの元に到着したワーウルフが、少し緊張した様子で声を掛ける。
「あら、どうかしたのですか?」
ワーウルフの言葉に反応したサキュバスが、柔らかい表情で言葉を返す。
「あ、アンタと一緒に寝たくて!無理にとは言わないけど…さ…」
サキュバスには例外なく不思議な魅力がある。しかし、サキュバスならだれでも良いと言う訳ではなかった。この鉱山に初めて来た時に、ドラゴンに刻み込まれた恐怖と悲しみを優しく和らげてくれた彼女以外には考えられなかった。
「分かりました。一緒に寝ましょうか」
笑顔で二つ返事を返すサキュバスに、ワーウルフの表情が明るくなり、尻尾がブンブンと左右する。尻尾が勢いよく揺れるのはワーウルフの嬉しさの証だ。
「こ、ここら辺で良いかな!?」
心の張り切りが表れる声量と声色でワーウルフがなるべく自分達以外の者から距離を取った場所で、勢いよく片手で地面を叩く。
「良いと思いますわ」
「そうか!良かった!」
場所を決めてから、ワーウルフがいそいそと寝転がると、ゆったりとした動作でサキュバスが隣にしゃがみ込む。
「どうぞ」
サキュバスが少しだけ壁にもたれかかるようにして正座に近い体勢で座り込み、自身の膝を片手で2度叩く。
「え?」
初めて見る合図の意味が分からない様子のワーウルフが疑問の声をあげる。
「ここに頭を置いてください。悪いようにはしませんわ」
言われるがままに仰向けになって膝に頭を乗せると、柔らかく温かい感触がワーウルフの頭部を包み込む。
「これは…良いものだな。こんな感覚は初めてだ」
「気に入ってもらえたようでなによりです」
温かい感触だ。頭部に感じる温かい感触が、何故だか胸の中にも広がっていく事に疑問を感じるが、その疑問すらも充実した心地良さの中に溶けて、あれこれ考える事を忘れさせる。
「俺、グレントって言うんだ。アンタはなんて呼べば良い?」
「エルヴィーグですわ」
ワーウルフの自己紹介にサキュバスが応える。
同種族間に於いては個体を分かりやすく区別する為の自己紹介は当たり前だが、他種族同士ではその限りでない。
殺し合い、奪い合う関係にあるなかで他の種族に必要最低限以上の感情を抱かないようにする考えは惑星パンドラに生きる知的生命体の共通認識だ。
他種族間で名乗り合うのは、実力の伯仲する者同士が互いを好敵手と認識した場合か、滅多に無い事だが、それ以外の何かの事柄で相手を認めた場合に限る。
「その体勢しんどくないか?」
「慣れてるので…と言うより、こっちの方が楽ですわ」
「マッサージ大変だったんじゃないか?」
「楽ではないけど、慣れてますので。運搬作業はどうでしたか?」
「いちどにオーガみたいな量を持つのはちょっと厳しいけど、結果的には俺がいちばん多く運んだぜ!」
「まぁ頼もしい」
「ホゾンショクとか言ったっけ?アレめちゃくちゃ不味くなかった?」
「確かに、変な味だと思いますわ」
「ドワーフの道具って便利だよな!訳わからない物ばっか作ってるアホな種族だと勘違いしてたわ!」
「すごいですよね。私には真似できませんわ」
「ははは、俺も」
ワーウルフのグレントが思いついた言葉をそのまま口にする都度、サキュバスのエルヴィーグが相槌を打つ。少し緊張するが、それだけで不思議と充実感を感じる。
両者がしばらく取り留めのない会話を続けていく内に、話しかけるグレントの言葉数が徐々に少なくなっていき、なにかのタイミングを伺うようにソワソワしだす。
切り出すかどうかしばらく迷ったグレントだったが、どうにも踏ん切りがつかない。
「そろそろ寝るよ。おやすみ、エルヴィーグ」
やはりまだ言うことはできない。今日はもう寝てしまおう。
「ええ、おやすみなさいグレント」
グレントとエルヴィーグが眠りにつく頃には、見張りの者以外は皆、既に深い眠りに落ちていた。
慣れない環境で慣れない作業を朝から続けていたのだ。
ドワーフ達は手慣れたモノだが、この日のように長時間の作業を行うのは稀だった。
鉱山内には就寝時用の最低限の灯りだけをともすカンテラの火が小さく揺らめていた。
泥のように眠って用を足す為に起き上がるものすらいない筈の静寂の深夜の中、ドワーフのリーダーは何者かに体を揺すられる感覚を感じた。
微睡む意識の中、初めは誰かの寝返りにぶつかったのか、はたまた夢を見ていたのかと思い、すぐにまた眠ろうとするが、短い感覚で不定期に起こるしつこい振動が、どうやら寝返りや夢ではないことを悟らせる。
「ぅ〜ん……なんだよ……」
「起きろ。コウセキを掘りに行くぞ」
ドワーフが目を開こうとすると、重い目蓋が片方だけ開いたすぐ近くに、厳つい顔のオーガが見えた。
「うわっ…!」
驚いて大声をあげそうになるが、すんでのところで覚醒した意識が、前日の夜明け前からの状況を思い出させ、ドワーフの悲鳴を最小限に留めさせた。
「な、なんだ…びっくりさせやがって…」
両手で地面を押し上げるようにして、上半身だけ後ろに反らせながらドワーフがオーガに喋りかける。
「起きたか。よし、コウセキを掘りに行くぞ」
「あぁ〜?」
オーガの言葉に、ドワーフは枕元の大きな砂時計を確認する。
確認した砂時計は、現在の時刻がまだ夜であることを告げていた。
「明日の作業は日が昇ってからだ。今はまだ寝てろ」
「寝た。寝たから起きたのだ。作業を再開するぞ」
聞き入れる様子の無いオーガに苛立ちを覚えたドワーフが、グイッと顔を近づけてオーガを睨む。
「あのな、お前が良くても俺は疲れてんだよ。まだ皆んなも眠ってる。下手に音を立てて起こすわけにもいかないだろうが」
ドワーフが言い終えるなり、オーガがドワーフの大きな顔の下半分を、ドワーフの顔よりも更に大きな自身の手で鷲掴む。
「黙れ。一刻も早くドラゴンを殺すコウセキを手に入れるんだ。俺では見分けが付かん。いいから手伝え。お前が手伝わなければ大声を出して皆んなを起こし、強引に作業を再開させるぞ」
「フア、ふぁばった。分がったがら離してぐれ」
オーガの強引さに負けたドワーフは、しぶしぶ承諾して、なるべく物音を立てないように鉱山の奥に向かった。
「ふぁあぁぁぁぁぁ。勘弁しろよなまったく……」
ハンマーを手にして硬い岩盤を掘り進むオーガの後ろで、まだ眠気の残るドワーフが大きく欠伸と愚痴をもらす。
「文句ならドラゴンに言え。いつまでもこんな狭苦しい場所に居てたまるか」