歴史1 ドラゴン出現
史上最強の生物ドラゴン。
彼等は1000年前に突如としてその姿を現した。
成体のドラゴンは小型の者で全長約4メートル。体高は約180センチ。大型のものは全長20メートルを越え、体高は8メートル程になる。
爬虫類を連想させる頭部には宝石の様に美しい瞳と幾重にも連なる断頭台の如き牙が輝き、前脚には獲物を切り裂く大爪と、捕獲用の万力以上の握力を発揮する極太の4本の指が並ぶ。基本的には四足歩行のドラゴンだが、時としては二足で動く故に前脚以上に発達した後脚は、片方の後脚部だけで大型動物のように太い。硬度と柔軟性を兼ね備えた尾はそれだけで大蛇と同等以上の脅威。
硬い鱗は生半可な攻撃では傷付かず、鱗の下の分厚い脂肪とはち切れんばかりの筋肉に加え鉄格子の様に堅牢な骨が内臓を守る。
2対4枚の翼は流線的かつ強靭であり、ドラゴンの支配領域を大きく広げた。
あらゆる生物よりも堅く、疾く、そして強い。
虐殺。ただそれだけの為に創られたかのようなドラゴンだが、なによりも恐ろしいのは気性の荒さに他ならない。その凶暴性たるや尋常では無く、全ての生物に激烈な憎悪をぶち撒けるが如く、同族以外の生きとし生けるものに襲い掛かる姿は悪意という意思を持った天災。
『このままでは世界がドラゴンに滅ぼされる』
文明の発達していない獣同然だったパンドラの民達も、ドラゴン出現の日まで殺し合い奪い合う仲であった別種同士での共闘を余儀なくされた。
しかし、彼等のいずれもドラゴンには歯が立たなかった。
3メートル近い身長の全ての箇所に高密度の筋肉を搭載した鬼人族のパワーですらドラゴンに擦り傷を付けるのが精一杯。
自在に空を舞い、両足の鉤爪で確実に獲物を削り殺す翼人族の飛行速度でもドラゴンは捉えきれない。
いちど絡められればオーガといえど絶対に脱出不可能な半蜘蛛人族の糸は力尽くで引きちぎられ、凄まじい瞬発力を持って獲物に飛び掛かり喉元を噛みちぎる狼人族の牙は鱗に阻まれ、美貌という一点に於いては神に匹敵する精吸魔人族の色仕掛けには目もくれず、特殊な音波で脳を揺さぶり催眠状態に陥らせる怪詩人族の歌声は爆発音の如き咆哮で消し飛ばされる。
泥や死体等の誰もが嫌がる汚れた場所に隠れた小鬼人族も目敏く発見され、大食感の猪人族以上の食欲と雑食性で幾つもの緑が死に、森の奥深くに隠れ住む耳長人族は住居を失い、海に逃げたセイレーン達は地上から姿を消した。
『ドラゴンには絶対に敵わない』全ての生物が諦めかけた絶望の時代に一縷の光を灯したのは鉄工人族の存在だった。
鉱山や洞窟などに住んでは物作りに励む彼等ドワーフは、パンドラの民すべてに変わり者扱いされ、ドラゴン出現の日までは特に相手にもされてなかった。
中には生まれ持った肉体や、種固有の狩猟技術を磨かず、物に頼って生活するドワーフの事を軟弱だの恥知らずだのと馬鹿にする声も少なくはなかった。
しかし、生存圏を奪われ、行き場を失った結果、導かれるように僻地の鉱山に辿り着いた人々は、どちらかというと見下していた存在であるドワーフの生活にただただ唖然とし、そして感動した。
火を通しただけで食べ物の味が変わり、食器とやらを持って飯を食えば食後に手が汚れる事も無い。筒には生活のあらゆる場面で必要な水を長時間保存できる。寝袋ひとつあれば夜に凍える事も無い。くだらないプライドを持っていた自分が馬鹿みたいだ。道具が有ればこんなにも生活が便利になるものかと思った人々だが、ドワーフが拵えた戦闘用の道具には更に驚かされた。
硬い鉱石をただ削って尖らせただけで、子供のゴブリンやサキュバスでも、オーガの強靭な肉体の中でも特に頑丈な部位である拳に傷を負わせる事が可能となる。
「見たところ我等の扱う木の矢と理屈は同じようだが、鉱石とやらで作ればここまで殺傷能力が高まるものか。あの恐ろしい怪物も…これならばあるいは……」
エルフの女性が、サキュバスの子供から取り上げた短刀をまじまじと見つめる。
「いや、あんたらの話が誇張じゃないんならそれでもドラゴンには敵わない。もっと強い武器が必要だ。それに、武器ができるまで身を隠す場所もな」
木製の小さな椅子に座ったドワーフが、腕を組みながら難しい顔で相槌を打つ。
「身を隠す場所だと?いま我々がいるこの鉱山でなんの不都合があると言うのだ?」
目を丸くして質問する吸血人族の問いにドワーフが答える。
「武器の完成がいつになるかわからない。ゴブリンの話を聞く限り、いずれはここも見付かるだろう。ドラゴンの巨体じゃあ狭い穴の中はまず潜れないと思うが、癇癪を起こしたドラゴンに山ごと崩されて全員生き埋めなんて事もありうる」
「ウッ!」
「きゃあっ!?」「オイオイなにやってんだよ汚ぇな!」
ドワーフの言葉を聞き、最悪の事態を想像したワーウルフが緊張とストレスから思わず嘔吐をおこすと、彼の近くにいた者達が次々に注意の声を向ける。
「ゲホッ…はぁはぁ……わ、悪い…けどよ…改めてドラゴンの事を考えると…な、情けねぇ話だけど体が……体がッ!」
彼はつい先日ドラゴンに仲間を全滅させられたばかりだった。同胞を殺された怒りや悲しみ以上に、心底刻み込まれた恐怖から、ワーウルフが全身をガタガタと震わせる。
「大丈夫」
震えるワーウルフの体を、サキュバスが優しく包み込む。
「大丈夫よ。落ち着いて…怖いのは皆一緒。皆一緒だから、力を合わせて皆で乗り越えるの。いますぐにドラゴンがここに来るとは限らない。生き残る為には今できることにだけ集中するの。あなたに今できるのは休む事。しっかり休んで明日に備えるの。ほら、ゆっくり深呼吸して…」
母性にも似た優しさからか、いまだ癒えぬ心身の疲れも相まってワーウルフはすぐに深い眠りに落ちた。
「へぇ、あんた中々やるじゃない。下半身直結だけが取り柄だって噂は誰かの作り話だったんだねぇ」
人の上半身と蛇の下半身を持つ蛇人族が遠巻きに茶化すと、サキュバスは眠るワーウルフの頭を撫でながら「愛が性欲のスパイスとなるのですわ」と、小さく微笑んだ。
「……話しが逸れてしまったな。まぁ簡単に言うと、生き埋めにならない為かつ、生活権を広げる為にも、みんなで力を合わせてデカい穴を掘ってくれって話だ。ただデカければ良いってものでもないぞ。穴を掘ったそばから地面や壁が崩れたら自分で自分の生活権を狭める事になりかねないからな。この中で穴掘りが得意な奴はいないかい?俺は武器作りの方に集中したい」
ドワーフの言葉に様々な種族がざわめく中、背の低いゴブリン達の中でも更に背の低いゴブリンがドワーフの前に出た。
「お、おれすごく弱い…頭も悪い…いつも他のゴブリンに馬鹿にされてる。けど、穴掘り上手い」
自分に自信が無いのか、落ち着きなくもじもじと体を動かしながら、耳を済ませなければ聞こえない声量で喋るゴブリンだったが、後半になるにつれて実績を誇るかのように少しずつ声量が大きくなっていく。
「俺がいちばん上手い。ここにいるゴブリン、ほとんど俺の掘った穴に隠れて助かった」
ゴブリンの言葉を聞いたドワーフが真剣な眼差しで目を見つめると、やはり自信がないのか、ゴブリンは少し体を縮こまらせて視線を逸らす。
「つまり、なにが言いたい?」
技術があっても、このままでは他人に、ましてやついこの間まで殺し合い奪い合う立場にあった他の種族に指示を飛ばせないだろう。
もう一声ださせようとドワーフが催促するが、ゴブリンは相変わらず焦ったい態度を続ける。
「え?えっと…つまり…つまり、俺が……リーダーに…り…リーダーに……リーダー……うぅ…ご…ごめんなさい……やっぱりなんでも…ない……かも…でもこのままじゃあドラゴンが…穴掘り…しない…と…」
「決まりだな」
皆の前に出てゴブリンの肩に手を置いたのは、先程、短刀を見つめていたエルフだった。彼女は今は亡きエルフの森のリーダーだった女性だ。人の上に立つ為にすべき事と、してはいけない事を身をもって知っている。勿論、それは同種族に限った事であって、多種族が相手の場合は勝手は違うだろうが、彼女は彼女なりに生き残る為に全力を尽くす腹を決めていた。
「彼がリーダーで私がサブリーダーだ。誰か異論のある者はいるか!?」
声を挙げたエルフが振り返ると、人々はしばらくの間ざわめいていたが、結局のところ人々が静かになるまでの間に異論を挟んだ者は1人もいなかった。
「な…なんで……」
なぜ自分を手助けしたのか。なぜサブリーダーを名乗り出たのか。
自分から動いたとはいえ、なぜこんなにもアッサリと重大な役割を担う者に自分が選ばれたのか。
複数の意味が込められたゴブリンの質問にエルフが応えた。
「生きる為だ。背中は私が勝手に預かった。胸を張れ。今はただ前を向け」
「よし、穴掘りはあんたら2人を中心に進めてもらう。俺の息子を補佐に付けるから何かあればそいつに相談してくれ。問題は武器作りの方だ。ドラゴンとやらに立ち向かう為にも、俺等がいままで手を付けなかった硬い岩盤の向こう側も見てみたい」
ドワーフが視線を送った先には、ドワーフの道具の実用性を自らの肌で試す事になった男。彼はオーガの中でも特に筋肉質な巨体の男だった。
「力仕事なら俺の出番だ」
オーガが前に出ると、さっそく作業を開始しようと、穴掘り班と武器の元となる鉱石の調達班に分かれて皆が動き出した。
調達班のドワーフ達の中にひとりだけが混ざる形になったオーガへと、実質的に全員のリーダーとなる先程のドワーフが横に並んで話しかける。
「屈辱だろう」
「なに?」
諭すような口調で語りかけたドワーフの言葉にオーガが視線を送る。
「ドラゴンの出現でこの世界のパワーバランスは一気に崩れた。ついこの間まで最強だったオーガが、俺みたいなジジイに口先で使われて、しかも慣れない集団行動を強いられている」
「ああ腹が立つ。好き勝手やりやがるドラゴンにも、仲良しこよしで傷を舐め合う負け犬どもにも、己の弱さにも反吐が出る。悪夢を見ているようだ」
「…………話を合わせるつもりがそこまでボロカスに言われるとはな…」
「そうやって他人の機嫌を伺う姑息さと回りくどさにも腹が立つ。オーガの世界ではオスの風上にもおけぬ下劣な行為だ……だが……」
オーガが歩きながら、自身の拳にできた小さな切り傷を眺める。
「今はお前達に任せよう」