美食の対価
案内されるままに食卓についたレツヒとツゲレの兄弟は鬼気迫る勢いで料理を貪り食らっていた。
「うまい!上手い!!美味すぎる!!!サーシャさんっつったっけ!あんたの作る料理は最高だなあ!!」
口に物を詰めたままレツヒがサーシャの料理を賞賛する。
「恐れ入ります。しかし、まだまだ料理は残っておりますので現時点での裁定はいささか早計かと。全て召し上がられてからの評価を頂ければ料理人冥利につきますし今後の励みともなります」
「言葉が丁寧すぎてイマイチ分かりづらいけど要するに全部喰っていいんだろ!?こんな美味い料理は初めてだ!やめろと止められた所で残したりはしないって!なぁ弟よ!」
「もがもがっ!そうだね兄者!美味い美味い!!」
会話もそこそこに2人は目の前の料理をスピードを競っているかのように次々に平らげていく。
目の前の皿を空にしたツゲレが、空になった皿を横に退け、手を伸ばして奥の皿を手に取る。何の料理かも分からないままに手に取った皿の上には魚の白身のようなものに黒いドロっとした液体が掛かっている。
ツゲレが手にしたのはサーシャの創作料理である甘ダレ掛けグンドロ。
グンドロとは、パンドラ大陸内の汚れた川にのみ生息する固有種の川魚。汚れた川の底で泥と一体化するようにして一生を過ごすグンドロは生息域が広く至る所で捕獲可能だが、捕獲の際には汚れた川の泥を掻き分けねばならず、その身は臭く酷いエグ味があり微量だが毒まで持つ嫌われ者の魚。しかし、泥の中であらゆる毒素と栄養素を少しずつ蓄えた成魚は処理の仕方によって毒にも薬にも食用にもなる。
食用にする為には、腹を裂いて内臓を取り出し、パンドラユリの木と言う植物の球根から取ったデンプンを精製した片栗粉で外と中のヌメリを取り、ヌメリが取れたら塩水で再度洗う。
空になった内臓には香草と調味料を入れ、じっくりと蒸し焼きにして香草の香りと調味料の味を行き渡らせ、グンドロ本来のエグ味と臭みを蒸気と共に逃していく。
これで一応食用にはなるが、ただ腹を膨れさせるだけの素材を、美味い飯を作るための食材として昇華するには蒸し焼きの過程を更に2度繰り返し、最後はまた少量の香草と調味料を腹の中に入れて高温のオーブンで一気に焼き上げる。
こうすると完全に臭みが抜け、身にしみ付いていたほんの一欠片ほどに残っていたエグ味は変化してほのかな苦味になる。
手間暇かけて調理されたグンドロに果物を煮詰めて作った甘いタレを掛けると、ほのかな苦味がアクセントとなり濃い甘口ながらも飽きのこない料理の完成だ。
ツゲレが何処ででも手に入れられるグンドロを、なんかよく分かんないけど美味くて上品な味がする高級魚だと脳内と口内で評価していると、目の前の皿を空にして次は麺類が欲しいと思ったレツヒが1番近くにあった麺類へと手を伸ばす。
レツヒが手にした麺は惑星パンドラの極東に位置するジパングの郷土料理であるジパングかけソバなる麺料理。
ジパングかけソバを作る際に欠かせないツユは、世界中の温暖な海域に生息する海水魚カチメナイトの、頭と内臓を除去して燻製にしたものを半年近くかけて熟成させた物体であるカチメナイト節の作製から始められる。
カチメナイト節を薄く削り、軟水の中に溶けて一体化するまで弱火で煮込み、そこへ少量の調理酒とデビルミツバチのはちみつを投入するとツユができる。
ツユを飲めるほどまでお湯で薄めてから、最後に塩分濃度の高い塩を少し振りかけて味の垂みを防ぐ。
麺は沸騰した熱湯で2分ほどほぐしながら泳がしてから笊にあげて冷水で一気に冷やした麺を用意し、麺を器に乗せ替えてそこへ薄めたツユをかける。
縮れてささくれ立った加水率の低い細麺が、コクはあるがやや淡白なツユの味をよく絡ませて目立たせる。
1番最初に手をつけるであろう上部には通常の長さの麺が盛られており、下に行くほど麺が短くなっているのは食事の最中で麺が必要以上に伸びるのを防ぐためとの1工夫も加えられている。
レツヒとツゲレは料理にだけ集中している為にまったく気が付かなかったが、水は消化を助けるほのかな香り付きの炭酸水が用意されており、調味料の入った器も水切れ抜群で使いやすい物が使用されていたりと、細かい所まで配慮されていた為に2人の食事のスピードは最後までほとんど落ちなかった。
「御馳走様でした!」
食事を終えたレツヒとツゲレがサーシャに頭を下げて食後の挨拶をする。
「満足頂けましたか?」
サーシャがビジネススマイルで質問すると、2人は美味かっただの最高だっただのと賛辞を送る。
「何処がどう美味くて最高だったのか、今後の参考とする為にもう少し具体的に教えていただけませんか?」
食卓から少し離れた位置で待機していたサーシャが逸る気持ちを隠し切れてない早歩きでレツヒとツゲレの2人へと距離を詰める。
なんとなく嫌な予感を感じて椅子から立ち上がる姿勢を取り掛けたレツヒとツゲレだったが時すでに遅し。
2人の目の前には綺麗に重ねられた大量の原稿用紙。
「味、香り、温度、盛り付け、食べ易さ、種類、量、原材料の値段と入所難度に対して完成度の釣り合いが取れているか、それぞれの長所と短所と気づいた点は勿論の事、椅子からテーブルまでの距離は適切であったか、他にもツゲレさんがジパングタケノコの煮付けを口にする前からやたらと塩を振っていたのは何故なのか私の味付けが信用に値しなかったのかの詳しい説明、レツヒさんがカチメナイトの海鮮丼を一口食べて咽せたのには味の良し悪しが関係しているのか海鮮丼の中の水分量が足りなかったのかレツヒさんの喉が軟弱なのかはたまた料理にがっつき過ぎただけなのかetc.etc 好物や苦手な物は無かったのか、特別な好物があったのならなぜお代わりを言わなかったのか、好物ではあるがなんかいまいちだったのでお代わりしなかったのかそれとも他の料理が気になったのか遠慮していたのか、苦手な物は無理して食べたのかそれとも上手く料理できていた為にそこまで苦にはならなかったのか、美味いだの最高だのと言った言葉が嘘か真実か、褒め言葉のレパートリーが少ないのはそれぞれの料理によって五味の変化が少なかった故か本当に味が良すぎて他の言葉が出てこないのか変に気を利かせた単なる相槌による機械的言動の繰り返しなのかetc.etc他にも室内の温度と湿度、接客態度、食器の使い易さ等々、1から100まで全てこの紙にメモしていただきます」
「なにっ!?そんなしち面倒臭い話は聞いてねえぞ!?」
レツヒが対面に座るジャスフィアに抗議の意を含んだ言葉を投げ掛ける。
「ごめん、言い忘れてたわ」
ジャスフィアは言い訳がましく、言葉の後ろに久しぶりだし、と付け足してから「サーシャはそうなったら止まらないから書いてやってくれ」と続けた。
「ちょ、ちょっと待て、金なら払うからそんな面倒な作業は」言いかけるレツヒの言葉を遮ってサーシャが言葉を被せる。「金は要らないんで感想文を書いてください。拒否する事は絶対に認めません」
「なっ……」
呆然としたレツヒがあんぐりと口を開けたままその場で固まる。
「申し訳ありませんレツヒさん。ワガママを言うようですが美味しい料理を作る事が生き甲斐の私としましては心苦しくもあなた方の拒否権を認める事はできないのです。どうしてもと言うのなら実力行使もやぶさかではありません。私自身いやしくもそこそこ使える方だとの自負はありますのでお互いに不要な怪我を避ける為の賢明な選択をお願い致します。さぁ、選択を、さぁ、さぁ!さあ!」
一旦、机に置いた紙の束を再び両手で持ち上げたサーシャがレツヒの顔面にそれをグイグイと押し付けて答えを急かす。
「ぐぐぐ……わかった!わかったよ。書けばいいんだろ書けば」
レツヒが自身の顔面に押し付けられていた紙を片手で退けながら返答すると、サーシャはビジネススマイルとは別物の満面の笑みで「ありがとうございます!」と明るい声を挙げる。
「なお誤字脱字は是正対象、おべっかは顔面パンチの対象となりますのでご了承下さい」
さらっと恐ろしい付け足しをしながら感想文提出を強要されたレツヒとツゲレが羽ペンを手に取る。
「兄者〜…俺こうゆう作業はだいきらいだよぉ〜……」
「耐えるのだ弟よ…これはゲームでいうところの負けイベント、心を無にして戦うボタンを連打するのだ」
ここに来た目的を考えれば争う訳にもいかない兄弟は、ブツブツと文句を垂れながら延々と感想やら意見やらを書き続ける。
レツヒが33回に渡る是正勧告と、興味本位の悪ふざけによって1度の顔面パンチをくらってしまい、ツゲレが40回の是正勧告を受けたところで1度トイレ休憩を挟み、レツヒが更に29回、ツゲレが25回の是正勧告を受けたところで、ようやく原稿用紙は完成した。
「………………………………………………」
レツヒとツゲレは小さく息を吐いた後、無言で嘆きを神に訴えるかのように天をあおぎ虚空を見つめていた。
「ご協力頂きありがとうございました。この書類は今後の参考の為に私の方で大切に保管させて頂きます。では、私はこれで1度失礼しますね」
隙間時間を見つけては台車に食器を片付けていたサーシャが、手にした書類と台車と共に部屋から離れて行く。
3分程してハッと我に帰ったレツヒとツゲレが、本題に入ろうとしたタイミングとちょうど同時に、小さなお盆を手にしたサーシャが部屋に戻ってきた。お盆の上には4つのコーヒーと3つのショートケーキと3本のフォークと灰皿が1つ乗っており、レツヒとツゲレの2人の前にケーキとフォークとコーヒーを置いたサーシャは、兄弟の対面に座るジャスフィアの席にもケーキとフォークとコーヒーを置き、ジャスフィアの横の離れた席に座って自身の目の前にコーヒーと灰皿とお盆を置くなり、素早くタバコを取り出して火を点ける。
「さて、そろそろ本題を教えてもらおうか」
サーシャが対面のレツヒとツゲレに声を掛ける。
「ほんだ…い…?えぇーと」
「あ〜今は休憩中なんだよ。切り替えは大事だろ。ケーキとコーヒーは市販のやつだから感想文はいらねぇ。さっさと用事を済ませようぜ」
イマイチ状況が飲み込めてない様子で疑問の声をもらすツゲレに、サーシャが自身の仕事スイッチのオンオフが激しい説明と、感想文提出は強要しないとの約束を取り付けて話を進めようとする。
「よし、それじゃあ早速本題に入らせてもらうぜ」
本格的なビジネスの話しをしようと言いながらもショートケーキをもごもごと頬張るレツヒが言葉を切り出した。
ツゲレとジャスフィアももごもごとショートケーキを頬張る中、切り出されたレツヒの言葉に、サーシャだけがコーヒーに口を付けかける動きをピタリと止める。
「結論から話そう。実を言うと、俺達はサーシャさんの方に用があるんだ。俺達の目的はドラゴンを殺すこと。あんたにはそのドラゴンの巣までの道案内をお願いしたい」
サーシャが射抜くような視線で目を向けると、レツヒは子供のようにショートケーキをもごもごとさせながらも、寒気すら感じる真剣味を帯びた瞳でサーシャに視線を合わせる。
「………なんの冗談だ…」
視線が交差した瞬間に少なからず察したが、縋るような思いでレツヒの真意を問う。
飲みかけたコーヒーを受け皿の上に置くサーシャの手の僅かな震えが、上品とは言い難い大きめの音を鳴らす。
「その反応…アンタが過去にドラゴンと接触して生き延びた数少ない人間の内のひとりって噂は本当だったんだな」
「なんの冗談だと聞いている」
大きな声ではないものの、明らかに怒気を孕んだサーシャの言葉に、ジャスフィアの食事の手が止まる。
「伊達や酔狂で言ってる訳じゃ無い。これは俺達貧乏人がアンタ達みたいに上等な暮らしを手に入れる為のチャンスなんだ」
ふざける様子など一切無く淡々と続けるレツヒの言動にのみ集中力を割いたサーシャの手にするタバコの先の灰色の部分がジリジリと伸びていき、音もなく折れて石でできた床の上に落ちる。
「お、おいサーシャ」「やめとけ」
言い掛けたジャスフィアの言葉を飲み込む声量で、サーシャがレツヒに静止の言葉を投げ掛ける。
「なに?」
「自殺なんてくだらねぇって言ってるのが分からないか?」
焦燥するサーシャが腕を組んでタバコを持たない方の手で自身の二の腕を、貧乏ゆすりのようにトントンと小刻みに振動させるが、レツヒはお構い無しと言わんばかりの態度を続ける。
「ハハ…これだから下手に教養のある奴は面倒くせぇ。いつまで伝説に怯えてんだ。確かにドラゴンってのは強いんだろう。だが奴等が無敵を誇った時代はとうの昔に終わっている」
レツヒはしゃべりながらショートケーキを食べ終え、ケーキの上に乗っかっていた血の様に赤いフルーツを噛み砕く。
「人が武器を手にしたその時からな」