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猛るメイド

都市部のシットから大きく東に外れた地域に広がる大森林ナマエカンガエルノメンドクセー。時の開拓者が悪ふざけで名付けたであろう大森林の一画に建つ黒を基調とした色合いの建造物。パンドラ最強の人物ヘシュカリオテが圧倒的財力を持っているくせして、圧倒的な暴力で脅して職人達に雀の涙程の手間賃で強引に建てさせた大きな館を全力疾走で目指すジャスフィア。


控えめに言ってクソみたいな成り立ちで造られた事など知らずに生まれ育った我が家の門の前にジャスフィアが息を乱しながら辿り着くと、門の前にはメイド服を着た1人の女性が待機していた。


「お帰りなさいませ、坊ちゃん」


メイド服の女性がぺこりと頭を下げると、ツーサイドアップのブラウン色の髪がサラサラと小さく揺蕩う。


ボディラインの目立つジャストサイズのメイド服が、女性の引き締まった体のスタイルの良さを強調させるのを、深々と下げる頭越しに並行に見て取れる箇所へとジャスフィアの視線が集中するが、別にそれは下心とかではなく、この後すぐ訪れるであろう自身の明暗についていち早く知っておきたいが故の行動であった。


雇い主の御子息である相手へのお辞儀を終えた女性が頭を上げると、その御子息が分かりやすく気まずそうな表情を浮かべていた。


ジャスフィアが大急ぎで走って帰宅するまでの道のりでかいた汗とは別物の冷や汗を流しているのは自身の明暗が凶に転び掛けているのを察したからに他ならない。

お辞儀後に頭を上げた女性の、多少目つきは悪いものの非常に美しく整った顔が、分かりやすく怒りの表情に染まっていたからだ。髪と同じ色の筈のブラウン色の瞳の奥にゆらゆらと赤色の種火が見える気がする。


「お、おぉ、ただいまサーシャ。いま何時ぐらいかな?」


ジャスフィアが遠慮気味に質問すると、サーシャが居合抜きのような速度で左腕を翻して腕時計の針を確認する。


「現時刻は11時18分。先日から何度も念を押して、どれだけ遅くても11時までには帰って来いと伝えていた筈ですが、私の記憶違いでしょうか?」

先日の自身の言動に確固たる自身を持ちつつ、たっぷりと皮肉を込めてサーシャが言い放つ。


「う、い、いや、ちょっと色々あって話せば長くなるんだが」


ソワソワと落ち着かない様子のジャスフィアが持て余し気味の手で頭をかく。


「………まぁいいです。言い訳は後で聞くのでさっさと準備して食卓についてください。とてもじゃないけどまともに食事できる状態じゃないでしょう」


乱れた衣服のあちこちから見える肌に多数の擦過傷を負いながら大量の汗を流すジャスフィアの様相を諫めるサーシャに従って、門を潜り、またも大急ぎで風呂場へ直行する。脱衣所に衣服を脱ぎ捨て、ハンドルを限界まで回して、量と勢いが最大のシャワーでなるべく素早く全身を洗い流し、最小最速の動作で必要最低限に体を拭いてから予め用意されていた着替えを着て広間へ向かい広間の中央に配置された食卓につく。


部屋の上部の壁にかけられた時計に目をやると、時計の針は11時24分を指し示していた。


ドタバタしつつも時間の遅れを取り戻し、なんとか落ち着いた食事が取れる状態に持って行けたと心中で少しばかりの安堵感を覚えたジャスフィアだったが、たったいま自分が入ってきた出入り口とは別の扉から特大の台車で大量の料理を運んで来るサーシャの姿が視界に入ると、すぐにまた緊張感から、椅子に持たれかけていた背筋を半ば無意識のうちにピンと伸ばす。


その様子を横目で確認しつつ、食卓のすぐ前にまで台車を押してきたサーシャが、台車の上に乗った様々な料理で彩られた皿を大理石の丸テーブルへと移していく。


サーシャにとってはそうでもないが、ジャスフィアにとっては気まずい沈黙の中、カチャン…カチャン…と僅かな音を鳴らしながら並べられていく皿の音が、少しずつジャスフィアの方へと近付いていく。


「…で?遅刻した理由を聞かせてもらいましょうか?」


作業の手を止めず、サーシャがジャスフィアに質問する。


「え、あ〜、まあその…結論から言ってしまうと街中で急に喧嘩を吹っかけられてだな」「それで馬鹿みたいに挑発に乗っかって売られた喧嘩を買っていたのですね。少なくとも私の機嫌を担保にするぐらいの高い値段で」


「いや…そんなつもりは…」

誤解を解こうと弁解の意を示すがその意思表示は「はあ?」の2文字で瞬時に掻き消される。


「すいません」

「なにがですか?」


「ご飯の時間に遅れそうになってすいません」


顔を俯けながら謝罪するジャスフィアを、サーシャは尚も問い詰める。


「坊ちゃんは私の作るご飯と、どこぞの馬の骨とも知れぬ輩との喧嘩とどっちが大事なんですか?」

「サーシャさんの作るご飯の方が大事です」

「いやそれって矛盾してません?喧嘩よりご飯の方が大事ならなんで喧嘩してご飯の時間に遅れそうになってるんですか?」

「いや…男として引くに引けなかったというか、それに別に遅れそうになっただけで遅れた訳じゃないし……」

「いや今は遅れた事に怒ってるんじゃなくて遅れそうになった事に怒っているんですよそこんとこ理解できてます?引くに引けなかったって言ってるけど引けばいいですよね?結局のところ坊ちゃんの中での私のご飯は優先順位で言ったら喧嘩よりも低いって事ですよね?」

「違います」

「なにがどう違うんですか?」

「いや、速攻で終わらせれば時間には間に合うかなと思って…でも思ったより時間かかっちゃって…今回遅れかけた原因はあくまで俺の力不足と体内時計が若干狂っていたせいであってサーシャさんの作るご飯に対しての優先順位が低い訳では断じてないです」


ジャスフィアの謝罪兼弁明に一区切りがついたところで、11時30分を指し示す広間の時計が、30分と言う時間の区切りを知らせる鐘を鳴らす。


時計が鐘を鳴らすと、サーシャは数分前に見せた居合抜き腕時計確認以上の速度で、テーブルに置いた皿から離れていた両手を翻して、メイドスカートを改造して縫い付けたポケットからいつのまにか火を点していたタバコを口に含む。


タバコの先がジリジリと音を立ててみるみる短くなっていき、音が止んでひと拍子置いてから、料理の置かれたテーブルと台車とジャスフィアの三方へと、出来るだけ掛からない角度と方向へ大量の煙を吐き出す。


「カァッ〜!たまんねぇぇぇぇ!!」


心底美味そうな様子で法悦に浸るサーシャの姿は女中にあるまじき痴態だが、無論、本人はお構いなしだ。


「お、おいおい、人には散々ダメ出ししときながら自分は勤務中にタバコかよ」


流石にこれには突っ込まざるを得ない。ジャスフィアが注意を促すのは至極当然。


「ア"〜?うっせぇぞクソガキ。こちとら朝からドタバタしてて定時休憩の時間がズレてんだよ。一服くらいさせろや」

ところがどっこいサーシャのお仕事スイッチは完全に切れていた。

「いや、二服、三服くらいさせてもらうわ」

ついでにニコチンも切れていた。


サーシャは仕事とプライベートの切り替えがハッキリしているが、ハッキリさせすぎているのが玉に瑕だ。こうなってしまっては時間外手当を出さない限り彼女は頑として働かない。それでも無理に働かせようとすれば手にしたタバコで強制根性焼きの刑に処されるだろう。


「クソガキて…俺たちゃ同い年だろが。大体なんで定時休憩取ってねぇんだよ」


「私だって取りたかったよ。けどオヤジが急に遠出するから弁当作れとか抜かしやがってさぁ。あの助平どうせまた女の所にでも遊びに行ってんだろ。今日は久しぶりにシキが帰って来るっつうのにまったくよぉ〜、お前からもなんとか言ってくれよ」


サーシャの言うオヤジとはヘシュカリオテの事だが、サーシャとヘシュカリオテは血縁関係では無い。血の繋がりはないのだが、帰る場所を持たず住み込みで働くサーシャはヘシュカリオテにとっては家族同然。サーシャ自身、悪態を吐きながらも今の関係をそれなりに気に入っているのでヘシュカリオテをオヤジと呼び親しんでいる。なお余談ではあるが、それと同時に今日に始まった訳では無いヘシュカリオテの我儘には相当のストレスも溜まっていたりするらしい。


「いやオヤジの気紛れはどうしようもねぇよ。てか休憩取れなかったのは同情するけど食事の場でタバコ吹かすのは料理人としてどうかと思うぞ」


「知った風な口きくんじゃねえよ素人が。燻製つって煙でいぶして料理する手法もあるんだよ」


プライベートモードに入ったサーシャが雑談しつつタバコをふかしながら皿を並べる作業を続ける。

仕事スイッチは切れているが料理はタバコと同じくサーシャの生き甲斐なので、給料の出ない時間帯でも区切りの良い所まで動いてはくれる。


「燻製っても普通ああいうのはタバコの煙とかでやらないだろ」

「アハ、バレつった?」

「イヤいくらなんでもそんぐらい分かるわ!」


仕事中のサーシャもある意味厄介だがプライベートのサーシャはもっと厄介だ。

張り倒す訳にもいかない分、少なくともミートテック以上の難敵には違いない。


「まぁまぁ、これはあくまで緊急事態的なアレを脱する為に吸ってる訳だから後10秒だけ大目に見てくれよ」


「はぁ、別に良いけどよ」


枯渇寸前だったニコチンを補給できて機嫌が良くなったサーシャだった。


「お、ちょっと失礼。はいもしもし。え?なに?うん。うん?はぁ!?今更なにいってんだ!?今どこにいんだテメェ!」


しかし、タバコを取り出した方とは反対側のポケットから聞こえる振動音に反応したサーシャが電話に出た途端、どうにも雲行きが怪しくなっていく。とゆうか間違いなくドス黒い暗雲が立ち込めつつあった。


「もう飯作ってんだぞ!何日前から準備してると思ってんだ!?なんでもっと早く連絡してこなかったんだよ!は!?ウルセェェェ今は遅めの休憩中なんだよ話しそらしてんじゃねぇぞ舐めてんのかコラ!あ、まて!テメェなに逃げようとしてんだ!ちょ、切るな、おい!おいこら!今切ったらタダじゃおかねぇぞ」ガチャン!…と、サーシャの手にしたケータイの向こうから強引に話しを終わらせる物音がジャスフィアの耳に嫌に響く。


「…………わ…わりぃジャスフィア…ちょっと急用ができたから席外すわ…勝手に食っててくれ」


「あ…あぁ…わかった」


サーシャが席を外したのはジャスフィアにとっては幸いだった。丹精込めて作った料理をドタキャンで無駄にするという最も許されない暴挙を立て続けに為されたサーシャの怒りメーターが頂点に達していたのであろう事は容易に想像がつく。


足早に歩きながら、改造したメイドスカートの内側に手を突っ込むサーシャは、中庭へと続く扉を開けた瞬間「ギえぇぇえぇぇええぇえぇぇェェ!!」と大音量の奇声と共に刃渡り40センチほどの大型のナイフを弾丸のような速度で発射する。サーシャのぶん投げたナイフは1キロは優に超える先の的へと見事に命中し、鋼鉄の的を易々と貫くが、それだけで彼女の怒りは収まらない。どうやって隠し持っていたのか次々とスカートの内側から大型のナイフを取り出しては連写砲のように撃ちまくる。本気で敵を殺す技術が怒りのままに脳内でイメージした仲間の顔、もとい射的の的へと向けられる。「クソがあああぁああぁ!!どいつもこいつもふざけやがって!!急に出掛けるわ時間を守らねぇわ挙句にドタキャンだぁ!?いい加減にしろよバカヤロぉぉぉおお!!」

百発百中でナイフを命中させた的がバラバラに砕け散り、その破片をも一つ残さず貫いたところで、サーシャのナイフを投げる手が止まる。


「ゼェハァ……くそ…クソクソクソ……毎日でも食いたいって言うアイツらを喜ばせたいからコッチは一生懸命料理を作ってるのに…アイツらときたらマジで…………はぁ、大体…外せない用事があるのは仕方ないにしても早めの連絡をだなぁ」ひととおり発散してから、本人達には面と向かって言えない気恥ずかしい独り言をもらしながらポケットの中を取り出そうとする。


『……………』


ポケットから取り出したタバコの箱は無情にも空だった。厄日である。


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