トラップと王室付き聖女
長い夜が明け、私はそっと起き上がった。遠征中は別々に寝ていたせいですっかり忘れていたが、ちびちゃんズは一緒に寝ると何故か足や頭を乗っけてくるのだ。
狭い上に重いので寝返りも打てず全く眠れなかった。そしてちびちゃんズを起こさないようにベッドから抜け出すのも一苦労だ。
「リオーネ、起きてる?」
小さなノックの後、小声でドアの隙間から声をかけてきたのはレニーだ。
いつもはエレインが部屋にいるのだが、今日は私が城で治癒を行うと知った襲撃犯が、何らかの行動を起こす可能性を考えて、一足先に城へ行ってリュシアン陛下とアデライド王妃の周辺を警戒してもらっている。
当然トラヴィスら近衛騎士団も厳重に警戒をしているが、リュシアン陛下やアデライド王妃とは一定の距離がある。その点エレインと佐平次なら気付かれずに間近にいることができるからだ。
「おはよう、レニー。二人をお願いね。」
「任せてちょうだい。一緒にもう少し寝るわ。」
そう言ってベッドに潜り込んだレニーにちびちゃんズがもぞもぞと寄っていく。
――磁石なの?
突っ込みと笑いを堪え、そっと部屋を出て調理場へ行くと、クラウスが朝食をとっていた。
「おはようございます。どうしたんですか?こんなに早くから。」
「リオーネの護衛だ。」
「そうなんですか?私は助さんと格さんを連れて行くので大丈夫だと思いますけど。」
そう言いながら私は助さんと格さんの前に朝食のお肉を出す。見ればクラウスの前にも肉だけが乗った皿があった。
――朝ごはんが同じだよ。
「今回は治療が目的だから神獣が入れない可能性があるとトラヴィスから連絡があった。」
「あー、なるほど。なんだかんだ言って守りを減らしにくるかもってことですね。わかりました。ではよろしくお願いします。」
私が納得したところで調理場の扉が開き、かごを持ったリゼルダと大きな樽を担いだリアナが入ってきた。
「おや、おはようさん。」
「おはようございます。リオーネさん。」
「おはようございます。……リアナ、あなた樽で水汲みするの?」
「はい!何度も往復するのは大変ですから。これだと一度で済むので楽ですよ。」
樽を担いで爽やかに笑うリアナ……ステキだ。
朝から平和な館の光景に幸せを感じながら城へ行く準備を進める。
今回は正面から正式な訪問をするため、馬車に乗っていくのだが、転移陣に慣れてしまうと城までの道程が長く、時間がもったいないと思ってしまう。
「馬車はどうも苦手なんですよね。転移陣で行けるといいんですけど。」
「一応立場ってもんがあるんだから、我慢するしかないね。」
リゼルダに言われると反論できない。クラウスも隣で黙って頷いていた。
「リオーネさん、おはようございます。お迎えの馬車が南門を出ましたよ。」
調理場へ入ってきて、そう教えてくれたのはゾーイだ。館にいて南門の声や音を聞けることから能力の高さがわかる。
二十分程で到着した迎えの馬車に乗り込むと、クラウスが冒険者ギルドの近況を話し始めた。
「遠征に出ている間に入ったクエストだが、ロッタトールの討伐がある。しかも二体だ。」
「それはまた面倒な。」
「……。受けるか?」
「イヤです。私はこれから工房の立ち上げで忙しくなるんですから。それにまだ織り機も使えてないんですよ!」
ここは譲れない、いや、譲りたくない。
次から次へと問題ばかりが舞い込んできて、平穏とは無縁の生活が続いているのだ。
「だが、リオーネにしかできないだろう?報酬もかなりの額なんだが。」
「お金には困っていません。私が一番欲しいのは自由な時間なんですよ。次から次へと厄介ごとが舞い込んできて、私の平穏な異世界ライフ計画がどんどん後回しになっているこの状況こそぶち壊したい!」
私は進まない工房計画のイライラからつい力が入り、馬車の窓枠をドン!と叩いてしまった。
「……。あー、と思っています。」
向かい合わせに座ってるクラウスは柔らかい笑みを浮かべ、頷いた。
「わかっている。だが、放って置いても状況は良くならない。そのうち残りの一体も封印が解かれるはずだ。」
「誰の仕業かわかったんですか?」
「いや、まだだ。だが最後の封印場所は見つけた。見張りをつけているから、近いうちにわかるだろう。」
「私が出向くのは全ての封印が解かれてからでもいいんじゃないですか?それよりできることなら封印が解かれる前に犯人を捕まえてください。」
「最後のロッタトールに関しては我々もそうしたいと思っているが、後の二体についてはそう簡単にはいかない。」
クラウスは眉間にしわを寄せ、ため息をついた。
「今回封印が解かれたロッタトールはそれぞれエルフの国とドワーフの国の近くにいるらしい。国境を越えれば間違いなく大惨事になる。」
「はぁ、拒否権はなさそうですね。でも、私も時間がないので先に転移陣を持った人を派遣してください。それなら日帰りできるでしょう?」
「わかった。今回は他国の国境付近ということもあってそちらと話をする必要もある。数日かかると思ってくれ。」
数日でも数週間でも、楽しみが遠退いたことでヤル気は駄々下がりだ。
ふと窓の外に目を向けると第二城門が見えた。第二城門から第一城門まではすぐのはずだ。私はクラウスに向かってわざとらしく大きなため息をついて見せた。
クラウスはそれを見てフッと笑った。
第一城門で馬車を降りると、若い文官が出迎えた。そしてマニュアル通りであろう挨拶をして、「こちらへお進みください。」と言って歩き出す。
私たちは入り口で止められると予想していたのであっさり入れたことに驚いた。
私は隣を歩くクラウスにそっと囁く。
「こうもすんなり入れると逆に怪しくないですか?どこかにトラップでも仕掛けてるんでしょうか?」
「いや、さすがにそれはないだろう。」
私は元々城の構造に詳しくないので、リュシアン陛下の部屋までの経路はわからないが、明らかにゆっくり進んでいることはわかる。ちびちゃんズを連れて歩いても、もっと早く歩けると思うほどだ。
長い廊下を進み何度か階段を上ると、ようやく目的地にたどり着いたことがわかった。
廊下の突き当りにある扉の前に文官長であるジェラールが待ち構えていたのだ。
「リオーネ様、こんな朝早くから陛下に謁見とは非常識ではありませんか?陛下は朝食のあと聖女の治癒をお受けになる予定ですので、今はお会いすることができません。」
とても丁寧な言い方だが、顔にはこれでもかと言うほど敵意が表れている。
――はぁ、あったよトラップ。この距離をこのペースで戻れって言うの?こんな嫌がらせは想定外だったわ。これならまだ門前払いの方がましでしょ。
いつもなら嫌がらせなんて気にしないのだが、やりたいことを後回しにしている今、時間を無駄にされることが何よりも許せない。沸々と湧き上がる怒りに呼応するように魔力が体中を駆け巡る。
「非常時に常識を持ち出すなんて、危機管理意識が低いんじゃありませんか?私は陛下に呼ばれたから来たのです。」
私は怒りを堪えつつゆっくりと言葉を選んだ。
「治癒は専属の聖女にお任せください。聖母様のお手を煩わせる程のことではありません。」
――その聖女が役に立たないから来てるんでしょ!もー、腹立つ!腹立つ!腹立つ!
「リュシアン陛下は起き上がることもできないとお聞きしましたが、毎日聖女の治癒を受けていらっしゃるんですよね?聖女の治癒が効いていないのはなぜでしょう?」
この世界では寿命でない限り怪我も病気も聖女の治癒で治すことができる。傷の深さや病状によって必要な魔力量は違うが、毎日治癒を受けていれば治らないわけがない。とはいえリュシアン陛下の場合、毒を抜かなければ意味がないのだが、それすらもわかっていないようだ。
「聖女の治癒に問題はありません。ですが、そのような噂話しが出回るのは見過ごせません。早急に調査して陛下の周囲にのさばる野蛮な者たちを排除しましょう。」
そう言い放ったジェラールの視線はクラウスへ向かっている。ヒューマン至上主義といったところか。だがこの言い方や考え方には既視感を覚える。
――こんなヤツどこかで見たことあるよね?どこでだったっけ……。
一度気になってしまうと思考が止められない。頭の中で記憶を遡り、次々と浮かんでは消える人の顔がどれも一致しない。ジェラールの口撃は続いているうようだが、全く頭に入らず右から左に流れていく。
そんな中、突然甲高い声が私の思考を遮った。
「おじ様。」
声のする方を見れば、ジェラールに一人の女性が駆け寄る。歳はアリシアと同じぐらいだろか。後ろには女性が二人ついてくる。
――リュシアン陛下の第二夫人?いや、第二夫人は娘だったはずだから、おじ様と呼ぶのはおかしいよね。
私の疑問に気付いたのか、耳元でクラウスが囁いた。
「あれが王室付きの聖女だ。」
「おじ様と呼ぶってことは文官長の身内ですか?」
「ああ、姪のはずだ。」
――縁故採用か。ホントやりたい放題だな。
「ソルア、言葉に気をつけなさい。それに走ってはダメだよ。」
「ごめんなさい。気をつけます。」
ソルアと呼ばれた女性は、ローブを纏わず華やかなドレスを着ているので、どう見ても聖女には見えない。それに、後ろに控えている二人の女性も控えめではあるがドレス姿で、ローブは着用していない。
たしかジェラールは陛下がこの後治癒を受けると言っていたのだが、王室付きの聖女はローブも纏わず仕事をするつもりなのだろうか。叔父なら先ずこの娘にこそ常識を説くべきだと思う。
「リオーネ様。王室付きの聖女がいらしたので、お引き取り願います。」
ソルアからこちらに向き直ったジェラールが不敵な笑みを浮かべながら私に言葉を投げかけると、それにいち早くソルアが反応した。
「まあ、あなたが聖母なの?随分と……地味な格好をしてるのね。」
――はい?地味って……仕事着なんだけど。
「リオーネと申します。いい機会ですし、王室付きの聖女様の治癒を見せて頂いてもよろしいですか?」
喉まで出かかったツッコミを抑えて、笑顔でそう問いかけると、案の定ジェラールが反対する。だが、ソルアはジェラールの腕を掴み口撃を遮った。
「おじ様、私は構いませんよ。ここでは私の方が立場が上ですもの。」
――いやいや、ここでもどこでも立場は私の方が上だから。間違いなく。
城に着いてから一体どのぐらい時間が経ったのだろう。やっと部屋に入れることになったが、私は直ぐにでも館に帰ってゴロゴロしたい気分だった。
部屋に入ると、リュシアン陛下がベッドに横たわり、アデライド王妃がベッドの脇の椅子に座っていた。リュシアン陛下は衰弱している演技を続けているのだが、それにしては顔色が悪い。昨夜会ったときと明らかに様子が違う。
私とクラウスはソルアたちから離れ、ベッドから少し離れて立っているトラヴィスの横に並んで見学することにした。
「遅かったな。」
トラヴィスが隣に並んだ私たちに小声で話しかける。
「ええ、トラップに引っかかってしまったもので。できれば排除しておいてもらいたかったです。」
「城の中では思うように動けないことが多い。だが、まさか一緒に来るとは思わなかった。」
「確かに想定外ですね。それよりリュシアン陛下の顔色が悪いですね。何かありましたか?」
私の問いにトラヴィスがため息をついた。
「わからない。食事は手をつけていないし、行動もいつもと変わらないのだが、今朝は起き上がることすらできなくなっていた。」
私としてはすぐにでも治癒をしたいところだが、まずは王室の専属聖女のお手並み拝見である。
ソルアはリュシアン陛下のベッドの端に腰掛け、手を握る。そして連れていた二人の女性が陛下に手をかざし治癒の呪文を唱える。
私はその光景を見てただただ唖然とするばかりだった。もうどこから突っ込んでいいのかわからない。
ベッドに腰掛けるなんてあり得ないし、手を握っているだけで治癒をしているのはお付きの二人だ。
脇に座っているアデライド王妃の表情が険しくなっているが、それも当然だろう。それは本来アデライド王妃がするべき行動であって、ソルアの役目ではないのだから。
――王室付きの聖女は予想以上の役立たずだったね。
「ええと、何と言うか……何なんでしょうあの人は。」
「消してしまえ。」
眉間にシワを寄せあっさり言い切るトラヴィスに、一度深呼吸をしてから返事をする。
「トラヴィスさん。答えになっていませんよ。あの方アデライド王妃の代わりをしているだけで、聖女の仕事はしていないように見えるのですが、いつもああなんですか?」
「そうだ。役目を果たさぬ聖女など要らないだろう?」
「まあ、確かにアデライド王妃の代わりも要らないですしね。だとしても消すことはできないですよ。さすがに。」
私だってできることなら消し去って、さっさと治癒を終わらせて館に帰りたいのが正直なところだが、それではただの殺人事件になってしまう。
これ以上見学していても時間の無駄だと思い、私はソルアにアデライド王妃の治癒をしたいと申し出た。
「ええ、こちらの邪魔さえしなければ構いませんわ。」
――ああ……アルマゲドン召喚したい……。
笑顔で答えるソルアに、もはや怒りを通り越して呆れてしまう。
私の心の声が漏れていたのか、クラウスがそっと私の肩をポンポンと叩いた。
私はアデライド王妃の正面に立ち包帯を外すと、昨夜と同じように傷口から毒を抜いていく。
体内に残っている毒はそれほど多くもなく、毒を抜いて治癒をしてもさほど時間はかからなかった。
手のひらに集まった毒はそっと小瓶に移しアイテムボックスに放り込む。
「ご気分はいかがですか?」
私がそうアデライド王妃に問うと、アデライド王妃は穏やかな笑顔を見せた。
「痛みもダルさもすっかり無くなりました。ありがとうございます。」
「傷口もキレイに塞がっているので安心してくださいね。」
そんなやり取りを見ていたソルアがリュシアン陛下に顔を近付けにっこりと笑う。
「リュシアン陛下の顔色が良くなりましたわ。これでもう安心ですわね。」
――なんですと!その顔色で安心ってあんたの目大丈夫なの?
正面に座っているアデライド王妃に視線を移すと、アデライド王妃も驚いた様子で目を見開いていた。
私はソルアを押しのけてリュシアン陛下の治癒をしようかとも思ったが、ここで揉めるよりもさっさと治癒を終わらせて退出してもらう方が早いと判断して、事の成り行きを見守ることにした。
ソルアがカップに注いだ水をスプーンでリュシアン陛下の口へと持っていく。それを見つめるアデライド王妃の手は指先が白くなるほど固く握られていた。
そしてスプーン一杯の水がリュシアン陛下の口に流し込まれ、嚥下した瞬間事態が急変した。
リュシアン陛下が首元の服を掴んで表情をゆがませ、大きく咳き込み吐血したのだ。呼吸は浅く喘鳴が聞こえる。
身体に蓄積されていた毒はすべて取り除いていたし、昨夜も異常は無かったのに、今朝は顔色も悪く起き上がれない状態になっていた。
前回とは症状が違うことから急いでリュシアン陛下を鑑定した。するとモルダニスという毒に侵されているという結果が出た。モルダニスは体内の粘膜を焼くように破壊してしまうものらしい。
毒が解れば取り除くのは簡単だ。私はソルアを押しのけてリュシアン陛下に手をかざし、モルダニスを集めるようにイメージする。そして同時に治癒を施し修復していく。
一刻も早く毒を取り除かなければ、体内にある限り粘膜はじりじりと焼かれていくのだ。
私に排除されたソルアが喚き散らしながら掴みかかってきたが、近衛騎士によって引き離された。
私とソルアの間にクラウスとトラヴィスが立ち、壁を作ってくれたので安心して集中することができる。
リュシアン陛下は痛みでうめきながらも懸命に耐えている。寒い日に白い息が出るように毒が口からが出てくる。そして吐血した血だまりからもわずかだが出ている。
少しずつ集まってくる毒を見ていると、「えっ」という声と共に思わぬ方向から大量の毒が集まってきた。それはまるで加湿器から噴射される水蒸気のようだった。
驚いて視線を向けると毒が出ていたのは床に転がったカップと水の入ったジャグだった。
皆の視線がソルアに集まっている。カップに注いだ水をリュシアン陛下に飲ませたところを部屋にいた全員が見ているのだ。
「わ……、私じゃないわ。部屋に入ってきたときにはここにあったもの。」
ソルアは震えながら無実を主張したがそれだけでは犯人だという証拠にも、犯人ではないという証拠にもならない。
私への罵倒が無実の訴えに変わったが、喚いていることには変わりない。私より先に限界を超えたらしいトラヴィスがソルアの前へ進み出た。
「今は陛下の治癒が優先されます。後ほどお話を聞きますので自室から出られませんように。」
そう言って近衛騎士にソルアと二人の聖女を自室まで送り、扉の前で見張るよう指示を出した。




