帰還と訪問
館に転移すると、皆がそれぞれに動き始めた。
レニーはちびちゃんズをキッズルームに連れていき、クラウスとウォルフはロベルトと共に城へ向かった。
エレインはポックフィートに館を案内すると言い、楽しそうに駆け出していった。
「今夜の夕食は何でしょうね?」
そう笑顔で問いかけてきたのは、荷造りをシンティアたちに丸投げして一人先に帰ってきたマルセロだ。
「夕食よりも、まずは魔導師団長に報告をしに行った方がいいんじゃないですか?」
「どうせ夕食の時間にはいらっしゃるのですから、そのときでいいと思います。」
「そうですか。とりあえずお茶を入れますから応接室にどうぞ。」
マルセロのマイペースぶりに小さくため息をつきながら、私はマルセロを応接室まで送り、そのまま調理場へ向かった。
調理場ではリゼルダとゾーイとリアナが夕食の準備を始めていた。久しぶりに見る光景に嬉しさが込み上げる。
「リゼルダさん!みんな!ただいま戻りました。」
「おや、おかえり。予定よりずいぶん早いじゃないか。」
いつもと変わらない調子でリゼルダが答える。
私は急な帰還のわけをざっと説明しながらお茶を入れ、ゾーイに頼んで応接室のマルセロに運んでもらった。
「さっきゾーイが突然皆さんの声がするって言い出して驚いたんですよ。」
リアナが嬉しそうに笑いながら、留守中の館の様子を話してくれる。館では特に変わったことは起きてないようで安心した。
「リゼルダさん、夕食から人が増えますけど、メニューは決まってますか?」
「ああ、今あるものでいけるだろうが、肉は足りないだろうね。」
肉食たちは普通の人の三倍は消費する。と言うよりほぼ肉しか食べないのだ。特にクラウスは酒と肉があればいいタイプだ。
獣人族だから肉食、草食というわけではなく、兎人族のゾーイはお肉も食べるし、食事はヒューマンと変わりないのだが、クラウスもトーマも肉ばかりで野菜を嫌う。
私がアイテムボックスからサウラドラゴンとバッセレイの塊肉を出せば、リアナが軽々と運んで豪快に切り分けていく。
リアナは熊人族の中でも能力の高い半獣なので、力は相当強い。わかってはいるが、見た目は華奢な女の子なのでどうにも慣れない。
「お肉と言えば今回もけっこうな収穫があるんですよ。ジグセロさんに解体をお願いしないといけませんね。」
そう言いながら、調査の合間に狩った魔獣を指折り数えていると、キッズルームにちびちゃんズを送って行ったレニーと応接室へお茶を持っていったゾーイが一緒に調理場へと戻ってきた。
「リオーネさん。お客様がいらっしゃいました。応接室へお願いします。」
「えっ、たった今館に戻ってきたのに、もう誰かきたの?」
強張ったゾーイの表情に、緊急事態で帰還したことを思い出した。
「お客様は何人ですか?ついでにお茶も持っていきますね。」
「リオーネ、お茶はあたしが持っていくから、急いだ方がいいわ。」
レニーのぎこちない笑顔に何故だかものすごく嫌な予感がする。それは気のせいではなく、応接室に近づくほどハッキリと感じる。
――悪寒が……鳥肌が……。
応接室の扉をノックしようと持ち上げた拳が小刻みに震えている。私は一つ大きく深呼吸をしてから応接室の扉を開けた。
視界に入ってきた状況から、恐怖の原因はすぐにわかった。
応接室のソファーに座っているトラヴィスとクラウスがただならぬオーラを放っている。
――なんなの、この空間。邪悪なモノが生み出されそうなんだけど……。
私は逃げたい衝動を抑えつけ、なんとか二人に声をかけた。
「お待たせしました。」
「ああ、急ぎの用件だ。単刀直入に言おう。文官長を消せ。」
トラヴィスが眉間にシワを寄せ、怒りを隠そうともせずいい放つと、クラウスが続いて発言する。
「いや、メリーナが先だろう。」
――えっ、メリーナって誰?
どちらも物騒なことを言っているが、理解できない私は返事ができずトラヴィスとクラウスを交互に見る。すると窓際に立っていたマルセロが気味の悪い笑顔を浮かべ手を挙げた。
「リオーネさんならまとめて一掃できますよ。私は王宮付きの聖女が不要だと思います。」
――皆単刀直入過ぎて言ってる意味がさっぱりわかんないんですけど。結局緊急事態ってなに?
「誰か冷静に説明できる人はいないんでしょうか?」
「はい!俺が説明します。」
そう言ったのは野営地まで私たちを呼びにきたロベルトだった。
「四日ほど前に王宮内で襲撃がありました。そのとき王妃様が負傷され、王宮付きの聖女が治癒と癒しを施したのですが、傷が治らずリオーネさんを呼び戻すことになったんです。」
「そんなに深い傷を負われたのですか?」
「いえ、傷自体はそれほど深くはなかったのですが、刃物に毒が塗ってあったようで、傷口が変色し始めているそうです。」
「ではその毒をリュシアン陛下のときのように取り除けばいいんですね。そういえばリュシアン陛下はお元気ですか?」
「陛下は……起き上がることもできない状態だと聞いています。」
ロベルトが悲痛な顔で俯くと、トラヴィスが険しい表情のまま話し始めた。
「城での食事には手をつけていないから陛下は元気だ。だがそろそろ隠すのも限界だな。近頃文官長がメリーナを陛下の寝室に入れようとしている。病状を確認したいのだろうが、寝室に入れるのは王妃様だけだ。そして今回その王妃様が襲撃された。間違いなく文官長の仕業だろう。」
陛下が元気なのは良いが、本当なら体内に蓄積された毒は相当な量になっているはずだ。確かにいつまでも隠してはおけないだろう。
私たちが考え込んでいると、レニーがお茶を運んできたタイミングで弾かれたようにロベルトが口を開く。
「陛下がお元気というのはどういうことですか?」
ロベルトの目は部屋にいる私たちを順番に追っている。
「ロベルト、俺が説明するからこっちに来い。」
クラウスの隣に座っていたウォルフが立ち上がり、ロベルトの肩をポンポンと叩いて応接室のドアへと促した。
二人が応接室から出ていくと、私とマルセロもソファーに座り、レニーの入れてくれたお茶を手に取った。
「緊急事態の内容はわかりましたが、メリーナさんとはどなたでしょう?」
「メリーナは陛下の第二夫人で、文官長の娘だ。」
――うーん、お披露目のときにそんな話しを聞いたような気がしないでもない……。
「王族として要人と面会したり、公式行事に参加するのは王妃様だけだ。第二夫人や第三夫人というのは後継者を残すために迎える者で、オルドラ王国では王妃様が二人の王子を産んでいる以上必要ない存在だ。消しても問題ない。」
――いやいや、問題あるでしょう。
「とにかく、まずは王妃様の治療をします。ついでにリュシアン陛下も治療したってことで復活してもらって、物騒な計画はそのあとでゆっくり考えましょう。」
「のんびりしている場合ではないだろう。」
いつもなら冷静に物事の全体を見ているトラヴィスが感情を剥き出しにしている。怒りのオーラを発する姿は、まるで黒い炎に包まれているようだ。
「陛下と王妃様が元に戻れば敵の計画はふりだしに戻る。調査をしながら次の出方を見てもいいんじゃないか?うまく行けば証拠も掴めるかもしれない。」
そう言ったクラウスもまだまだ冷気を放っている。
トラヴィスの怒りは燃え盛る炎のようだが、クラウスの怒りは重く凍りつきそうな程冷たい。
――兄弟なのに正反対なんだよね。ロッタトールみたい。
「今回は秘密裏に治療するわけではないので、正式に訪問しないといけないんですよね?こんな時間に行っても大丈夫ですか?」
「訪問は明日だが、王妃様の容態はすぐにでも診てもらいたい。転移陣を使うぞ。」
トラヴィスは言い終える前に立ち上がり、応接室のドアに向かってあるきだした。
――拒否権は無さそうね。
そう思いながらも口には出さない。私はこの世界に来て学んだのだ。口は災いの元、トラヴィスのお説教は長い。
いつもは魔導師団のマルセロの部屋に繋がる転移陣を使って移動していたが、今回はリュシアン陛下が使っている転移陣で行くようだ。
トラヴィスと共に転移した先は、広さが三畳程の空間だった。
四方の壁に扉が付いている以外は全く何もないので、部屋と呼べるような場所ではない。更に蝋燭の淡い光が何とも言えない不気味さを演出している。
頭の中に浮かんでくるホラーな場面を一生懸命かき消しながら、私はトラヴィスに問いかけた。
「ここはどこですか?」
私の質問にトラヴィスが答えるより早く、背面で扉がガチャリと開く音がした。
「ひぃぃぃ!」
恐怖と驚きで思わず変な声が出る。そして防衛本能なのか身体中を魔力が駆け巡る。
「リオーネ、待っていたぞ!」
振り返ればリュシアン陛下が大きく開けた扉から手招きしていた。
私は心臓の鼓動が聞こえそうな程バクバクして、呼吸が早くなっていが、そんなことはお構いなしとリュシアン陛下が開けた扉へ進むトラヴィスを深呼吸しながら追いかけた。
扉の先には細い道があり、突き当たりにもうひとつ扉があった。その扉を開けると目の前に天蓋付きの大きなベッドがあり、王妃は枕にもたれるように座っていた。
「アデライド陛下。身体を起こしても大丈夫なのですか?」
王妃は私の問いに静かに頷いたが、目を閉じてゆっくりと深呼吸を繰り返している。
私はすぐに鑑定を使い王妃の身体の状態と使われた毒物について調べ、次に傷口を見せてもらった。
左の肩から肘に向かって切り裂かれている傷口は意外に浅く出血は治まっているが、黒く変色している上に化膿して腫れ上がっていた。
「襲撃直後の治療ではキレイに治ったように見えたのだが、次の日には変色し始めてそれからは聖女の治癒も効かないんだ。リオーネ、治せそうか?」
「治すことはできますがこれは酷いですね。傷口は明日じゃないと治療できないので、今日は傷口周辺を残して身体中に回っている毒を抜きます。」
私の言葉に王妃が微かに頷いたのを確認して、毒を抜き取る作業に移った。
刃物に塗ってあっただけなので、実際に身体から取り出した毒の量はほんの僅かだったが、本来は魔獣に対して使う毒だ。これが切り傷ではなく刺し傷ならおそらく一晩もたなかっただろう。
毒が抜けるに連れて王妃の呼吸が落ち着いていく。
「傷口周辺に残っている毒が徐々に広がっていくので、ダルさや痛みが戻って来ると思いますが、明日まで我慢していただかないといけません。」
「この数日の苦しみを思えば一晩ぐらい耐えられます。ありがとうございます。リオーネ様。」
そう言った王妃の表情からは苦痛が消えていた。
「陛下。明日は朝イチで来ますから、朝食はこちらにお持ちしますね。何かあればすぐに呼んでください。」
「ああ、頼む。」
「では、今日はこれで失礼します。」
リュシアン陛下とアデライド王妃に夕食を渡し、トラヴィスと共に転移陣で館に戻った。
私はダルフォードに挨拶をしようと応接室に寄ったが、夕食後すぐに帰ってしまったらしく、そこにはとても機嫌のいいマルセロと明らかに不機嫌なロベルトがいた。
面倒な雰囲気が漂っているので、早々に帰るのも理解できる。私もトラヴィスに夕食を用意すると告げて急いで調理場へ逃げた。
調理場では同じく逃げて来たであろうクラウスとウォルフがお茶を飲みながら話し込んでいた。
「ただいま戻りました。トラヴィスさんに食事をお願いします。」
「ああ、おかえり。用意はできてるよ。あんたも向こうで食べるかい?」
「とんでもない!ここでゆっくり食べさせてもらいます。」
リゼルダは「だろうね。」と笑いながらトラヴィスと私の夕食を出してくれた。
「トラヴィス様の給仕は私がするのでリオーネさんは夕食をどうぞ。」
そう言ってワゴンに夕食やお茶を積み込んでいるゾーイに最大級の感謝を示し、私は自分の夕食をテーブルに運び、ついでにウォルフとクラウスの前にアイテムボックスから取り出したお茶菓子を置いた。
「ロベルトさんはまだ機嫌が悪いんですね。」
「ああ、除け者にされたって腹を立てているところだ。あいつは口は固いが顔に出るからな。」
――わかる。信用はできるけど、バレバレなんだよね。
私はウォルフの言葉に大きく頷きながら質問を続けた。
「マルセロさんの上機嫌な理由は何ですか?」
「さあな。大方王妃様から回収した毒でももらう気でいるんじゃないか。」
――あー、間違いなくそれだね。
どちらも今は近づきたくないと思いながら席に着き夕食を食べ始めると、久しぶりのリゼルダの味に私の思考は掻き消された。が、クラウスの質問によってすぐに引き戻された。
「王妃様の症状はどうなんだ?」
「毒を抜き取れば問題ないですね。明日は朝イチでリュシアン陛下も一緒に治療してしまいます。」
「朝イチってのはいつ頃なんだ?」
「食事に毒が入っているか確認したいので朝食時に突撃します。」
「入れると思うのか?」
「階級上私は陛下の次に偉いんで入りますよ。」
「そうか……。」
ウォルフとクラウスは納得したような、してないような微妙な顔をしているが、私はお構い無しに食事を続けた。
食後に応接室へ行くかと聞かれたが、朝早く行動しなければならないことを理由に断った。そして久しぶりに自室のベッドでちびちゃんズに挟まれて眠った。




