国境とストレス解消
マルセロを急かして朝食を食べさせ、出発準備の整った騎士団と魔導師団が集まっている場所へ行くと、シンティアと楽しそうに話しをするリンネットがいた。
リンネットは狩に行くか聞いたとき、シンティアと一緒に調査に行きたいと言ったのだ。
「リンちゃん。我が儘言わないようにね。ちゃんと皆と一緒に行動してね。」
「そんなことわかってるし!」
「わかってないから言ってるの!普段できてたら言わないよ。」
「大丈夫。今日はシンティアさんのお手伝いするって約束してるから。」
リンネットはシンティアの魔道具に興味を持ったことでかなり懐いている。エレインがウォルフを師事するように、リンネットもシンティアの指示に従うようになってくれたら皆が助かるのだが。
「シンティア、リンちゃんをよろしくね。」
「はい、一緒に頑張ります。」
「では、皆さん気をつけて、いってらっしゃい。」
私はそう声をかけて転移陣を起動した。
光と共に転移陣から皆が消えると辺りが静かになった……。ほんの一瞬だけ。
「主、行くぞ!」
「肉だ。肉を狩るぞ!」
ウルフたちは待ちきれないと言わんばかりに飛び跳ねている。
「わかったから落ち着いて。エレインは佐平次、ウォルフさんは助さん、私は格さんに乗って行くからね。」
「主、早く乗れ。」
「あんまり速く走らないでね。では、出発します。」
速く走らないでと言ったのに、魔獣の気配に向かって走り出したウルフたちはどんどんスピードを上げていく。
――絶叫系は苦手だって言ってるでしょ!こわーい。
走った時間はそれほど長くはなかったが、ウルフたちが止まったときには恐怖で息が上がっていた。
どうやらクラウスとトーマが少し遅れているのでウォルフがストップをかけたようだ。
「ボス、何で乗ってるだけなのにゼーゼーしてんの?」
「速すぎるのダメだって知ってるでしょ!」
「あー、なーるー。」
私の息が整った頃、クラウスとトーマが到着した。
「クラウスさん、ありがとうございます。やっぱりウルフたちは速いですね。」
「ああ、もう少し身体が大きくなるともっと速く走れるようになる。虎人族は獣人族の中でも特に足の速い種族だからな。」
「はい、頑張って訓練します。」
――うんうん。こっちも素直でかわいいね。
「ウォルフさん、ここはどの辺りなんですか?」
「ああ、ここはオルドラ王国の国境だ。」
「国境ってことは勝手に越えるとマズイですか?」
「越えられないようにできてる。」
言っている意味がよくわからない。柵や壁があるわけでもない。どこが境界なのかもハッキリわからないのだ。
そもそもここが国境だと何故わかるのか、さっぱりわからない。
「越えられないとはどういうことですか?」
「説明するよりやってみた方が早いんじゃないか?ここが境界だ。越えてみろ。」
「えっ、越えたら矢が飛んでくるとか、爆発するとか無いですよね?」
私は思いつく限りのトラップを並べていくが、ウォルフの方が首を傾げている。
エレインは隣で笑い転げながら「大丈夫。トラップはないよ。」と言った。
私が恐る恐る境界を越えると不思議な現象が起きた。
皆を背に国境を越えたのに、目の前に皆がいるのだ。
私がそのまま後退りして行くと、今度は目の前に境界の先が見えた。
「わお。面白い!」
試しに片手だけ境界を越えてみたが何も変化はなく、身体が境界を越えきった瞬間視界が変わるのだった。
「これは向こうからでも同じですよね?」
「そうだ。だから国境を越えるためには国境門を通らなければならない。」
私がウォルフとクラウスに説明してもらっている間もエレインとトーマは境界を越えて遊んでいた。
そしてそのあとに境界を越えたウルフたちは戻らず、そのまま境界の向こう側にいるのが見えた。
「えっ?何で?」
私たちが驚いていると、エレインの頭の上から笑い声が聞こえた。
「境界はヒューマン、竜人族、獣人族、エルフ族、ドワーフ族の理じゃ。神獣、魔獣には関係ない。」
「だからタイガルンも国境を越えて入ってきたんですね。」
「リオーネ。国境を鑑定してみるがよい。境界が見えるはずじゃ。」
私はオスロに言われるままに鑑定スキルを発動させた。
「鑑定。国境。」
すると今まで見えなかった境界がうっすらと見えるようになった。それはどこまでも高く延びていて上空から越えることもできそうになかった。
――なんだろう。例えて言うならシャボン玉の膜?いやラップ?
私はそのまま触ってみたが、見えるようになっても感触はなかった。そして境界が見えると、何故見えなくても境界がわかるのかがわかった。
境界に沿って点々と高さ三十センチほどの青い草が生えている。きっちり等間隔ですごく不自然なので逆に目立つのだ。
周囲を観察していると境界の向こう側で苛立っているウルフたちと目が合った。
「主、いつまで待てばよいのだ?」
「私たちは国境門からじゃないと出られないんだよ。」
「まったく、不便な。」
ウルフたちは文句を言いながら境界を越えて戻ってきた。そして国境門に行くから早く乗れと催促してくる。
「国境門は近いんですか?」
「ウルフの足ならすぐだろう。」
――それって全速力の話し?
向こうの方だとクラウスが指差す方向を見ると国境に違和感を感じた。
私が違和感を感じた場所に走っていくと、そこには大きな穴が空いていた。よく見ればあちらこちらに大小さまざまな穴が空いている。
「ここに穴が空いているのが見えますか?」
「いや、何も見えないが。」
「ここにこのくらいの穴が空いてるんです。」
私は手で穴をぐるっとなぞってみせた。
「じゃあここから出られるじゃん。」
そう言ってエレインは私がなぞった場所から境界を越えた。そして境界の向こう側から手を振る。
ウォルフとクラウスだけが険しい表情になった。。
「なんてことだ。国境に綻びができているのか。」
「この調査はリオーネでなければできないが、頼めるか?」
「まあ、交渉次第ですね。私も欲しい者がおりますし。」
「主、越えられるなら早く狩に行こう。」
ウルフたちに急かされて話しはそこで途切れてしまったが、どのみちリュシアン陛下やトラヴィスも交えて話した方がいい案件なので、クラウスに手紙を飛ばしてもらい先に進むことにした。
だがここでまた問題が発生した。クラウスが境界を越えられないのだ。
「何故だ?」
クラウスが首を傾げながら何度目かに境界を越えたところで私はやっと原因に気づいた。クラウスは背が高いので頭が境界に当たっているのだ。ウォルフも背が高いのだが、私が示した穴の大きさを意識したのか、少し身体を屈めて通っていた。
「わかりました。クラウスさんの頭が境界に触れているんです。ここより低いところを通ってください。」
私は背伸びをして境界の穴の上限を示した。私の手を気にしながら身を屈めてクラウスが無事境界を越えた。
格さんに乗って再び全速力の恐怖に耐えていると徐々に速度が下がるのがわかった。顔を上げて周囲を見る余裕が出るぐらいのスピードになると景色がガラリと変わっているのに気づいた。
「ここはどこなの?」
私が格さんに問いかけると耳をピョコピョコ動かし周囲を警戒しながら「グレンドーラの森だ。」と返ってきた。
初めて見るグレンドーラの森は苔むした大きな岩がゴロゴロしていて、木の太さや高さが全く違っていた。
まるで小人になったような気分になるぐらい、とにかく周囲の全てが大きかった。
「主、獲物が近い。」
そう言ったのはウォルフを乗せた助さんだった。
私たちは大きな木の樹洞の前に降ろされ、しばらく様子をみることになった。
ウルフたちが駆けて行ったあともクラウスとトーマは落ち着かない。獣人族はヒューマンよりも感覚が鋭く、魔獣の気配をビシビシ感じるという。
「これはかなり大きい魔獣だと思うが一体だけではなさそうだぞ。」
「ここは安全なんでしょうか?」
「まだ距離があるから大丈夫だろう。」
距離があると言っても時々遠くの方から咆哮が聞こえる。私たちにとっては遠くてもスピグナス級の魔獣にとっては近いかもしれない。そんなことを考えているうちに地響きが伝わるようになってきた。
「ずいぶん近づいてきたようですね。」
「ちょっと見てきていい?」
「オレも行きたい。」
エレインとトーマが好奇心丸出しでウォルフに群がっている。
ウォルフはしばらく考えていたが、一つ息をつくと真剣な表情で二人に言った。
「遠くから見るだけだ、この場所を忘れるな。」
「俺が一緒に行く。リオーネを頼む。」
ウォルフの許可をもらって喜ぶ二人にクラウスがついていくと言った。ウォルフも少し安心したように頷き「わかった。二人を頼む。」と言って送り出した。
「私も見たいんですけどね。体力と運動能力に自信がありません。」
「お前が行くと秒殺だから狩にならないんじゃないか?ウルフたちの楽しみが無くなっちまう。」
ウォルフは笑いながら言うが、私としては怪我をするんじゃないかとハラハラするのでさっさと終わらせてしまいたいのだ。結果的に肉が手に入ればいいではないか。
「今回は私も狩を楽しみたいと思っていますよ。消えた我が儘魔導師に対する怒りやイライラを発散させたいですから。」
「お前、そんなに怒ってたのか?」
「ええ、爆発しそうなのを抑えるの、けっこう大変だったんですよ。」
ウォルフは文句を言う私を見て額に手を当て大きなため息をついた。
「リオーネ。お前が我慢強いのは知っているが、ああいう場合は我慢するより最初にガツンとやらないといけないんだ。ダメなことはダメだと徹底的に言い聞かせないと増長してから怒っても意味がない。」
「我慢しなくていいんですか?はぁ、もっと早く教えてくださいよ。エレインが他人に対していつも通りに怒ったら可哀想とか言うから必死に耐えてたんですよ。」
「普段どんな怒り方してるんだよ。」
「えー、普通ですよ。でもリゼルダさん程怖くはないと思ってます。」
そう言って私とウォルフはお互いを見て一つ頷いた。
しばらくすると、よろける程の地響きと耳をふさいでしまう程の咆哮が聞こえるようになった。
この場を離れようかウォルフと相談していると助格コンビが私たちを迎えにきた。
「主、出番だ。」
「我らでは無理だ。」
いつも手を出すなと言うウルフたちが私呼ぶという状況に緊張が高まる。
「エレインとトーマは?」
ウォルフが身を乗り出して聞くと、クラウスと佐平次と一緒に距離を取っているという。
二人の安全を確認すると私とウォルフは助格コンビに乗って魔獣の元へ急いだ。
地響きと咆哮から予想していた距離よりはずいぶん離れたところで戦闘は繰り広げられていた。
「これは……。」
目の前にいたのは以前討伐したものより少し小さいスピグナスとサウラドラゴン三体の争いだった。
――狩どころか割って入るのも命懸けだね。
「これってまとめて仕留めないとダメなの?」
「サウラドラゴンなら我らでも狩れるがスピグナスは無理だ。」
四体とも興奮状態で、周りの木をなぎ倒しながら戦う姿は特撮さながらの迫力だった。
私がスピグナスを仕留めればサウラドラゴンはウルフたちが狩ると言うので、私とウォルフは四体から少し離れた岩場に降ろされた。
「ここから狙えるのか?」
「はい、脳天に刺さるようにイメージすれば見えなくても大丈夫です。」
「エレインと同じか。魔力を集め始めたらすぐに気づくはずだ。時間がないぞ。」
「わかりました。ちょっぱやですね。」
「なんだそれは?技の名前か?」
こちらに無い言葉は翻訳されないらしく、ウォルフが耳慣れない言葉に首を傾げている間に、私はスピグナスの上空に魔力を集めていく。
前回は自分の手のひらの上に魔力を集めたことでスピグナスが向かってきたので、今回はそのまま落とせるように真上に集めるのだ。
バチバチと火花を散らす魔力の塊が目視できるぐらい大きくなるとスピグナスの注意が一瞬上空に逸れた。だがサウラドラゴンたちからの攻撃に、上空ばかり気にしているわけにもいかないようだ。
私は魔力の塊を槍に変えて、一度大きく深呼吸した。
「おいロドリア!てめえはどこの女王様だ。やってることが成金の典型なんだよ。こっちは楽して金稼いでるわけじゃねえんだからな。ただの馬鹿は要らねーよ!」
そう叫んで魔力の槍をスピグナスの脳天めがけて勢いよく落とすと、槍はスピグナスの脳天をスピグナスの身体に体当たりしたサウラドラゴンごと貫いた。
残った二体が魔力の余波で怯んだところに助格コンビとエレインを乗せた佐平次にクラウスとトーマも参戦してあっという間に狩ってしまった。
「すごーい。いい感じで連携がとれてますね。」
そう喜んで見ている私の隣でウォルフは「トーマはまだまだだ。エレインも周りが見えていない。」と冷静に分析していた。
エレインはまっすぐ突っ込んで行くので、オスロが周囲を見て的確に状況判断しているそうだ。
狩を終えた助格コンビが私とウォルフを迎えに来たが、近づいて来る姿に私たちはしばし言葉を失った。
ついさっきまで乗っていた彼らが頭一つ分ぐらい大きくなっていたのだ。
「でか!」
思わず出た言葉に助さんが答える。
「主の魔力が漂っていたからな。吸収したのだ。」
「お前、魔力量の調整を覚えた方がいいぞ。」
大きくなったウルフたちを見てウォルフがポツリと呟いた。
魔獣の元へ行くために格さんに乗ったものの、大きすぎて乗り心地がいまいちだったので、少し小さくなってもらった。
ウォルフは私よりも身体が大きいので、逆に大きくなった助さんがちょうどいいと言っていた。
助格コンビに乗った私とウォルフはサウラドラゴンの前にいる皆と合流した。
魔獣をアイテムボックスに入れていく間、ウォルフはエレインとトーマにサウラドラゴンとの戦いを振り替えって指導している。
クラウスは護衛として魔獣を回収する私に同行する。
「リオーネ。ずいぶんと怒りを溜め込んでいたようだな。」
「聞こえてたんですか?まあ、おかげさまでスッキリしましたよ。」
「エレインはあれがいつものリオーネだと言っていたが……。」
「そうですね。自室ではあんな感じですよ。」
話しをしながらサウラドラゴンを二体回収して少し先に行くと、脳天を貫かれたスピグナスととばっちりで頭が落ちたサウラドラゴンが横たわっていた。
「わぁお。見事に斬首されてますね。でもキレイに切れてるから素材が無駄なく採れますね。」
「そうだな。見事なもんだ。」
魔獣を回収すると辺りにはなぎ倒された木々と魔獣の流した血が残った。
「勿体ないので木も回収しておきましょう。薪にも使えるでしょう?血は集めて結晶化してみます。」
私は格さんに乗って倒された木々を回収していった。大きな木が次々とアイテムボックスに入れていき、帰りはそこだけスッキリして道ができたようになっていた。
血溜まりまで戻ると私は近くの岩に座り込んで、サウラドラゴンの血を集めた。そしてタイガルンのときのように水分を抜いて結晶化させていく。
できがった結晶は赤よりも少しオレンジ色に近かった。同じようにスピグナスの血を結晶化すると青い結晶ができた。
「血は赤いのに結晶はそれぞれ違う色になりましたね。何か知っていますか?」
私がクラウスに問うとクラウスは考える風もなく「知らない。」と答えた。
「そもそも魔獣の血を結晶化させるのもタイガルンのときに初めて見たんだ。リオーネの世界ではどうだったんだ?」
「私のいた世界には魔獣も魔力もありませんでしたから、私も初めてですよ。タカさんなら何か知ってるかもしれませんね。」
「タカも同じ世界から来たんだろう?それにマルセロには聞かないのか?」
クラウスは首を傾げているが、タカは図書館に通いこの国の本をほとんど読み尽くしているのだ。それにタイガルンの血を結晶化したときのマルセロの反応を見れば知らないことは予測できた。