整経と新しい家族
やっと織り機を使える時間ができて、私は鼻歌を歌いながら奥の部屋へ向かう。早速経糸を張ろうと部屋の隅に置いてある箱を開けて、フリーズした。
――糸だけど……糸って……糸?
そこにはコーンに巻かれた糸が箱いっぱいに詰まっていた。赤、青、緑の糸は私の好きな淡い感じの色が三段階の濃淡で入っており、他には白と黒が隙間を埋めるように詰め込まれていた。
元の世界では経糸がローラーに巻いてある状態で売られていたので、てっきり糸を張ればすぐに織り始めることができると思っていたのに、まさかの整経からなんて……。
私はガックリと肩を落として調理場に戻った。
「おや、早速問題発生かい?」
「経糸を張ろうと思ったら、整経からしないといけないことがわかったんです。」
「それのどこが問題なのさ。整経するのは当たり前のことだろう?」
「向こうの世界では経糸がローラーに巻かれた物を買っていたんで、てっきりその状態できてると思ってたんですよ。整経台と巻き取り経通台に小物もいくつか揃えないと使えないんで、今日はアルフレッドさんのところに頼みに行ってきますね。」
「アルフレッドじゃなくジグセロのところに行きな。専属になったんだから、なんでも揃えて持ってくるよ。」
「それもそうですね。でもジグセロさんのお店ってそもそも何屋さんなんですか?」
前に行ったときには私の作った装飾品といくつかの素材があり、奥の部屋には布と糸がたくさんあった。
「ヤツの店は自分の好きな物と金になるとわかってる物しか置いてないよ。」
――なんてわがままな店なの。
「貴族の道楽ですか。」
「そんなとこだろうね。別に儲けが出なくたって困りゃしないんだろ。」
いや、確かエミリアは資産運用は上手くいってると言っていたはずだ。何かしらで儲けてはいるのだろう。
「とにかく注文しないと何もできないのでジグセロさんのお店に行ってきますね。」
私は助さん格さんと南門に向かって歩く。乗れと言われたけれど、今日は歩きたい気分だと断った。正直絶叫系は苦手なのだ。
「ねえ、助さん格さんを見分けるための物が欲しいんだけど、獣人族の服飾店に何かないか見に行ってみない?」
「主はまだ見分けられないのか?」
「ええ、全く。そういうあなたたちはヒューマンの見分けがつくの?」
「我らは臭いでわかる。」
――ああ、……そうね。
「誰が見ても私の家族ってわかるようにしたいの!」
「主の家族……。」
「それならつけてもいい。だが首輪はつけぬぞ。」
「わかった。おしゃれなの探そう。」
南門では身分証を出さずに通れるようになったものの、皆が膝をついて礼をするのに未だ慣れない。
――やっぱりどこかに転移魔方陣を展開した方がいいかも。
そんなことを考えながら歩いていると、ジグセロのお店が見えてきた。
中に入ると若い女性の店員が出迎えてくれ、見習いと思われる少年がジグセロを呼びにいった。
店内をよく見ればあまり数は多くないが、装飾品、薬草、他にもよくわからないが素材が並べてある。
――うん、何屋かわかんないや。
「いらっしゃいませ。今日はどのような物をお探しですか?」
「こんにちは、ジグセロさん。整経台と巻き取り経通台と小物もいろいろ欲しいんですけど。こちらの世界の物がどんなのか見ることってできますか?」
ジグセロはしばらく考えながらぶつぶつと何か言っている。思考が漏れてるところがジグセロらしいが、接客業としてはいかがなものか。
私はたいして興味があるわけではないが、待っている間に並んでいる商品を見てまわる。鑑定すれば貴重な物だということはわかったが、使い道はさっぱりわからなかった。
呟きが止まったのでジグセロの方を振り向くと、ジグセロはニッコリ笑って「織物工房へ行きましょう。」と言った。
工房見学ができるなんて思ってもいなかったので、私のテンションはグッと上がった。
ジグセロが連れて行ってくれたのは、ジグセロのお店の奥の部屋にあった布を織っている工房だった。
工房長の部屋に通されたのだが、工房長の部屋は工房の一番奥にあり、行く途中作業工程が全部見える。
――なんてオープンな工房なの。企業秘密ダダ漏れじゃん。秘密がどれかはわかんないけど。
機織り機はリゼルダの家にあった物を大きくした感じの卓上の物で、目の痛い色の布が織られていた。
「あら、ジグセロ様。今日はどんなご用かしら?」
工房長の部屋から出てきたのは背の高い細身の男性だった。いや、女性なのか?ハッキリしないのは見た目と言動が一致しないからだ。
「今日はこちらの女性に整経台と巻き取り経通台を見せていただきたいと思いまして。」
ジグセロはニッコリ笑って工房長を紹介してくれた。ジグセロ曰く彼だけど彼女はレニーという名前で、織物の腕はこの国で一番ということだ。
ジグセロのお店には、レニーの織った布しか置いてないと言う。
「あの部屋にある布全部?」
「ええ、そうです。糸を指定して彼女に織ってもらっています。」
私はその布でドレスを作ったので、とても丁寧に織られていることがよくわかる。ずっと触っていたいと思うほど手触りが良かった。
「ジグセロ様。そちらの女性は?整経台と巻き取り経通台を見たいってことは同業者かしら。」
レニーの視線と言葉が突き刺さるように厳しい。これは同業者に対する警戒なのか、ジグセロと一緒に来たからなのか微妙な感じだ。
「こちらはリオーネ様です。先日のお披露目ではレニーの織った布で素晴らしいドレスを仕立てられました。これから織物工房と仕立て工房を立ち上げる予定です。」
「それは……もうあたしの織った布は必要なくなるということなの?」
レニーはガーンという効果音が聞こえてきそうな反応をしている。ジグセロは慣れているのか笑顔のまま言葉を続ける。
「いえ、うちは今後もレニーの織った布しか置きませんよ。リオーネ様は庶民向けの服を量産したいとお考えです。」
「庶民向け?そんなの皆家で作るものでしょう?」
「そうですが、実際子どもたちの服は需要が多いんですよ。」
私はリゼルダの雑貨屋での話しをしたり、雇用問題についても簡単に説明した。
「じゃあ、同業って言っても畑違いなのね。安心したわ。それよりリオーネ様。あたしの布で作ったドレス!すごくステキだったって聞いたわ。ここの布を卸してる仕立て工房のティオーラが仕立てのお手伝いをしたって自慢してくるんだもの。あたしも見たかったわぁ。」
レニーは立ち直った途端に勢いよく話し始める。背の高いレニーは比例して手足も長い。身振りが大きいので圧倒されてしまう。
「ドレスなら持ってますけど、見ますか?」
「あら、ドレスを持ち歩いてるの?なんで?」
持ち歩いてるわけじゃなくて、アイテムボックスにしまってあるだけなのだが、私はアイテムボックスから自分とリンネットのドレスを出してレニーに見せた。リンネットのドレスを持っているのは、毎日でも着ようとするので取り上げたからだ。
「アイテムボックスを持っているの?あたしも欲しいけど、なかなかお目にかかれるものじゃないし、高いのよね。」
レニーはドレスより先にアイテムボックスに食いついてきた。
こちらの世界にあるアイテムボックスは容量によって値段が違うらしく、小さい物でも荷車二台分ぐらいが小青貨三枚。大きい物だと荷車十台分で大青貨二枚はするという。容量の例えが荷車なのでいまいちわからないが、高いものだというのはわかった。
「リオーネ様のアイテムボックスはどのぐらい入るの?」
「うーん、よくわかりません。いろいろ入ってますから。そうだ!まだスピグナスが入ったままですけど、解体の話しをするの忘れてました。」
王族との面会で話すつもりだったのに、アリシアの一件ですっかり忘れていたのだ。地位的に私が解体しても問題はなさそうだが、お説教は嫌なので帰って相談することにして、話しを戻した。
「これが私の着たドレスで、こっちは娘が着たものです。」
私の説明にレニーが大きく息を吸い込んだかと思うと、いきなりその場に膝をついた。
「パンディアの称号を得た聖母様とは知らず、申し訳ありません。」
これはたぶん普通の反応だろうけど、身分社会の嫌なところだ。南門を通る度に感じるめんどくささと同じで私は大きなため息をついた。
「公的な私は聖母ですが、私的な私は庶民なんで、どうぞお掛けになってください。」
そう言うとレニーは酷く驚いたように顔を上げ、椅子に座った。
「リオーネ様はせっかく貰った権力を振りかざさないの?」
「私は平穏な日々を望んでいるんですよ。権力はあって困らないどころか面倒ごとばかり起こるんで十分困ってます。」
「リオーネ様って面白い人ね。気に入ったわ。」
レニーは笑っているが、面白い人と言われた私は反応に困ってしまう。どこがどう面白いのかさっぱりわからないが、気に入ってもらえたのは良いことなのだろう。
レニーがドレスを見ながら興奮してしゃべるのを聞き流しながら、私は整経台を見せてもらいたいと言うタイミングを見計らっていた。
そのとき工房長室のドアが勢いよく開き。年配のふくよかな女性が入ってきた。
「ブロンシュさん。今は来客中なんです。」
「だから何なの?ここは私の工房よ。あんたの客なんて知ったことじゃないわ。」
――なんだか嵐の予感です。
ブロンシュと呼ばれた女性はバッグから紙の束を取り出して、テーブルに叩きつけた。
「ここにこの工房が私のものであると書いてあるわ。あんたはさっさと出ていってちょうだい。」
「なんですって?あたしがオレリアンさんから指名されて工房を引き継いだのよ。」
「あの人は死んだの。そんな口約束は通用しないし、あの人の財産は妻である私が全て貰ったの。工房はアントーナに継がせると決めたから。あんたはお払い箱よ。」
どうやらお家騒動らしいが、なんとタイミングの悪いことか。まだ整経台を見せてもらっていないのに。
静かに見ていたジグセロはテーブルの上の紙束に目を通し、レニーに向かって首を横に振った。
「レニー。この証書は正式な物だ。従うしかない。」
ジグセロの言葉にブロンシュはフンっと鼻を鳴らし、「今日中に出ていっておくれ。」と言ってジグセロから紙束をひったくり出ていった。
レニーが項垂れているのでとてもじゃないが見学の催促なんてできない。私がドレスをアイテムボックスにしまっていると、ジグセロが笑顔でレニーに声をかけた。
「ちょうどよかったですよ。これで問題は解決しました。」
何がちょうどいいのかわからないが、もう少し空気を読んで発言して欲しい。レニーもジグセロの言葉が理解できないらしく、目を見開きジグセロを見つめている。
「レニーはどこに住んでいるのですか?」
「ここの三階だけど、出ていっても行くところなんかないのよ?」
「リオーネ様。館に空いている部屋はありますか?」
「ええ、まだいくつかありますけど。」
「では荷物をまとめましょう。」
ジグセロはてきぱきと決めていくが、当の本人と館の主である私は置いてけぼりになっている。
「ジグセロ様。あたしが追い出されるのがちょうどいいってどういうことなの?」
レニーの質問に私も同意する。
「引き抜く手間が省けました。リオーネ様の工房に必要な人材です。」
――えっと、早い話がファミリーが増えるのね。
「わかりました。レニーさん、荷物は私のアイテムボックスで運びましょう。その前に整経台と巻き取り経通台を見せてください。」
ジグセロがレニーの工房との専属契約解除の書類を作成している間に、私は整経台と巻き取り経通台を見せてもらい、レニーの荷物をまとめるために三階へ上がった。
ジグセロも手伝いを申し出たがそこは丁重にお断りされた。
急な引っ越しが入ったため、買い物をする時間がなくなってしまったが、助格コンビはそれよりもおやつの時間が過ぎてしまったことに怒っていた。
私がアイテムボックスから唐揚げを取り出し「ごめんね。」といいながら助格コンビに食べさせていると、横からスッと手が二つ差し出された。
ジグセロとレニーが真顔で待っている。
「館に帰ったらすぐに夕食ですよ?」
「唐揚げは別腹ですから。」
ジグセロの言葉にレニーもうんうんと大きく頷いているので、二人にも唐揚げをわけてあげると、助格コンビが威嚇する。
「我らの肉だぞ。」
「あら、こんなにあるんだからケチケチしないでよ。」
――うん、これはまた賑やかになりそうだね。




