交渉と孤児院
「リオーネ、スピグナスがどうやって国境を越えたか調べるためにも城へ報告はしなければならない。なかったことにはできないんだ。」
「そうじゃよ。これは世界の均衡が崩れていることと関係しておるかもしれんのじゃ。」
クラウスとダルフォードがあわてて私にスピグナスの必要性を説く。
「だったら事実だけ報告して調査すればいいじゃないですか。」
「実物を見ないと納得しないと思うが。」
「納得できなければどうしようもないですね。面倒なのでお貴族様たちとは関わりたくないんです。」
私も引く気はない。これから引っ越しパーティーの準備もあるし、貴族の都合で邪魔をされてはたまったもんじゃない。
皆がなんとか私を説得しようとする中、リゼルダとエレインは今日狩った魔獣の肉をどう調理するか話し合っている。
――私もそっちに参加したい。孤児院の問題も残ってるし、貴族に付き合ってる暇なんて……。あっそうだ。
私は思いついたことを実行するために笑顔で皆に向き直る。
「私の計画に協力してもらえるなら、スピグナスを見せてもいいですよ。見せるだけですけど!」
私の提案に魔導師コンビは「聞きましょう。」と言い、クラウスとウォルフは眉をしかめて考え込む。
「ではダルフォードさん、私の魔術学院の授業を選択制にしていただきたいのですが。いかがでしょう?」
「選択制というのは?」
「私は何年もかけてゆっくり学ぶ気はないんです。必要だと思う授業だけ受けたいんです。」
「そんなことならお安いご用じゃ。やっぱりワシが教える方が早いのではないか?」
「師団長様はお仕事を優先してください。」
「わかっておるわい。リオーネ、解体ではなく計測したり調べるだけならよいかのう?」
「ええ、いいですよ。鑑定で解る情報もつけましょう。」
魔導師コンビの交渉は上手くいった。でもこっちはおまけで、私が本当に協力を取り付けたいのはクラウスなのだ。
クラウスとウォルフは二人で相談している。それを見ていたリゼルダが笑いながら理由を教えてくれる。
「あんたがいつも予測不能な言動をするから警戒してるのさ。」
「えっ?そんな覚えはありませんけど。」
「そう思ってるのはあんただけだよ。」
私は至って普通だと思っているが、端から見るとズレているらしい。でもそれは異世界からきたからで、私がおかしいわけではない。おかしい人ならほらそこにいるではないか。
「そんなに考えなくても、無理難題は言いませんよ?」
「一応聞くだけ聞いてみてもいいか?」
クラウスの警戒心は薄れていないようだが、まあ聞く気があるなら聞いてもらおう。
「孤児院に子供たちが増えたので、修道館から新たに聖女が派遣されて来たのはご存知ですか?」
「ああ、知っている。」
「その聖女たちが仕事をしないのでチェンジしていただきたいんです。あとついでに鼻っ柱をへし折ってやろうかと思っているので、ご協力お願いします。」
「おいおい、物騒な話しか?」
ウォルフが聞き捨てならないと止めに入る。そこで私はシノから聞いた現状伝える。ウォルフは納得し、リゼルダも手伝うと言ってくれた。
肝心のクラウスはしばらく黙って俯いていたが、クラウス狙いだと聞くとため息をつき、シノを下働き扱いしたことを聞くと顔を上げ、協力すると言ってくれた。
なんだかクラウスの目がとても怖かったのが気になる。
話がまとまったので、私たちは帰路に着いた。スピグナスはアイテムボックスに入れたから、傷むことも腐ることもないということで、報告は引っ越しパーティーが終わってからにしてほしいと頼む。魔道師団の二人は渋っていたが、そこでダルフォードにも引っ越しパーティーの招待状を渡して快く了承を得た。
行きと違って真っ直ぐ帰るだけだったので思ったほど時間はかからなかった。それを踏まえて言えば、荒野にスピグナスがいたのはかなり危険な状況だったと言える。
国境が機能していない可能性を考えると急ぎの案件だが、もしまた魔獣が出ることがあれば討伐に協力すると約束して、三日ほど猶予をもらった。
そのまま冒険者ギルドに行って、オーク、バッセレイ、サイグロストの解体を依頼し、その間に孤児院問題について話し合う。
明日はシノとリゼルダの三人で朝から孤児院へ行き、クラウスは昼前に来てもらうことになった。計画を聞いてクラウスは眉をしかめたが、そこは頑張ってもらうしかない。
いつも通り肉だけ引き取る予定だったが、時間が遅かったのと、数が多かったこともあり、引き取りと換金は明日にして、館に戻った。
帰って夕食を食べたあとはシノにも計画を説明した。
さっさと孤児院に平和をもたらして、引っ越しパーティーの準備をしなきゃ。
翌朝、リゼルダと合流して孤児院へ向かう。
調理場ではアリシアが一人で朝食の準備をしていた。私とリゼルダはアリシアと交代して、シノとアリシアには子供たちを起こしに行ってもらう。
「新しい聖女たちはまだ寝てるんでしょうかね?」
「修道館での生活はわからないけど、いくらなんでも遅すぎるだろ。」
リゼルダも呆れている。
子供たちは食堂に集まると私たちとの再開を喜んでくれた。年長の子たちは進んでコップに水を注いだり、小さい子にエプロンを着けたりお手伝いをしている。
――こんないい子たちには美味しいおやつを作らねば。
私が子供たちにおやつは何がいいかと尋ねると、皆揃ってクレープが食べたいと言った。
――今日はかき混ぜ係が来る予定もあるし、張り切って作っちゃうぞ。
皆が席について食べ始める頃、女性が一人食堂へ入って来た。
「おはようございます。」
「……。下働きが増えたのね。ばーさん一人じゃ使えないから助かるわ。」
そう言って、朝食をワゴンに乗せ始めた。
「どこに持って行くんですか?」
私が尋ねると、その女性は眉間にシワを寄せる。
「アイーシャ様はいつも応接室でお食事をされます。覚えておきなさい。」
「応接室はお客様をお通しするところですから、食事は皆で一緒にここで召し上がってもらわないと。」
「下働きが偉そうなことを言うんじゃないよ。」
そう言ってワゴンを押して出ていった。
「いつもあんな感じなんですか?聖女のイメージぶち壊しですね。」
「彼女は中級聖女のクレアです。もう一人のリリアナも中級聖女です。」
応接室に乗り込みたいところだが、計画があるので今は我慢する。
リゼルダが「アルマゲ・ドーン落としてやりな。」と言ったのには笑ってしまった。既にリゼルダも怒らせているようだ。
朝食の片付けをしながらクッキーを焼いていく。クラウスが来たときに出すつもりなのだが、子供たちが匂いに釣られてやって来てはこそっとつまむので、昼食のデザートに出すと約束して中庭で遊ぶようにと追いたてる。
今日は私とリゼルダが家事をするので、シノとアリシアは子供たちの相手ができる。久しぶりにゆっくり子供たちに向き合えるとよろこんでいた。
朝食を乗せて持っていったワゴンが戻ってきたのはクラウスと約束した時刻直前だった。クラウスが到着して応接室に案内すると、そこは酷い有り様だった。テーブルにはパン屑が散らばり、お茶をこぼしたような跡も残っていた。
二人で顔を見合わせてため息をついていると、呼んでもないのにお姫様聖女が中級二人を従えてやってきた。部屋に入って現状を見るなり私に向かって怒りだした。
「何なのこの有り様は、すぐに掃除しなさい。クラウス様下働きの躾が行き届かずお見苦しいところを見せてしまい申し訳ありません。」
そう言いながらクラウスにピッタリとくっついて笑顔を見せる。クラウスも「お気になさらず。」と笑顔を返しているが鳥肌が立つほど怖い目をしていた。
私はささっと洗浄の魔術でテーブル周辺をキレイにするとクラウスに座るように進めた。
「ただいまお茶をお持ち致します。」
そう言って応接室を出て調理場へ戻るとリゼルダが用意してくれていたワゴンを押してアリシアと一緒に応接室に向かった。
応接室は何というかものすごく怖かった。笑顔で話しを聞くクラウスと隣に座りしゃべり続けるお姫様聖女。
肌がピリピリするぐらい殺気立っているのにわからないんだろうか?いつも穏やかなクラウスがこんなに怒るなんて、どんな話しをしてるんだろう。
私がクラウスの前にお茶とクッキーを出すと、殺気が少し和らいだ。クラウスの好きなチョコチップクッキーを作っておいてよかった。
「あら、わたくしのお茶はないの?」
アイーシャが驚いたように私に問う。
「ええ、お客様の分しかありません。」
「リリアナ、わたくしのお茶を用意して。下働きのくせに本当に使えないわね。」
「すまないが仕事の話しをするので、退席していただきたい。」
クラウスがアイーシャに向かってそう言うと、アイーシャは笑顔で返す。
「わたくしはここで一番階級が高いので、言わば責任者です。お話しならわたくしが伺います。」
「そうですか。では新しく入った子供たちの報告をお願いします。」
「子供たちですか?そうですね。毎日うるさくて困っています。」
「個別にお聞きしたいのですが。」
「個別にですか?、そうですわね……。一番小さい子の泣き声が特に耳障りですわ。」
――それは報告と言わない。クラウスさんの殺気が増すからもう黙って。
クラウスの眉間のシワが深くなる。
「アリシア、報告書はまとめてあるか?」
「はい、それぞれの性格と問題点、それに対する改善案をまとめてあります。」
「それは後でもらおう。少し子供たちの様子を見たいのだが。」
「わたくしが案内いたしますわ。」
そう言って立ち上がったが歩き出さない。しばしの沈黙のあと「エスコートはしてくださらないのですか?」という言葉にクラウスが目を細め、私は全身鳥肌が立った。
――怖い、怖い、何なのこの子。これはもはや才能と呼べる鈍さじゃない?
私は耐えられずさっさと応接室を出て中庭へ行く。中庭では子供たちがシノと遊んでいた。
今日は陽射しも強く暑かったので大きなタライに水を張り水遊びをしている。シノは子供たちに水をかけられて濡れてしまっていたが、ちっちゃい子たちと一緒で楽しそうだ。
他の皆が中庭に入って来ると、子供たちは新しい聖女たちを見て一瞬止まったが、クラウスが来ていることに気づき駆け寄る。特に竜人族の子たちは王都まで一緒に旅したこともあり、とてもよろこんでいた。
クラウスも久しぶりに会う子供たちに笑顔で話しかける、殺気も消えていつもの穏やかなクラウスに戻ったことに安堵していると、子供たちはクラウスにも水をかけ始めた。
「お止めなさい!クラウス様になんてことをするのですか!」
アイーシャが大きな声を出してクラウスに駆け寄るが、子供たちの勢いがすぐに止まるわけもなく、アイーシャにも水がかかってしまった。すると突然水をかけたメメイに向かってアイーシャが魔力を放った。小さな火球だったが、メメイは驚いて竜形になりバタバタと暴れだした。
アイーシャは悲鳴を上げ中庭から出ていき、それをクレアとリリアナが追っていく。
シノがなだめようと駆け寄るが、パニックを起こしているらしく、シノを突飛ばし皆を威嚇している。
私たちがシノを起こしていると、トンガとコーダが来て「僕たちに任せて」と言って竜形になりメメイに向かって咆哮した。
空気がビリビリするような咆哮に威嚇していた子の動きが止まった。トンガとコーダが人形になり、「大丈夫だよ。」と言うと、メメイも人形になり泣き出した。
「もう大丈夫。びっくりしたのよね。大丈夫。大丈夫。」
シノがメメイを抱きしめて何度も大丈夫と繰り返す。それを見ていたクラウスが「今回の件は城へ報告させてもらう。」と言った。私が鼻っ柱をへし折ってやろうと思っていたのに、なんだか事が大きくなってしまった。
――でも、今回私何にもしてないよね?




