試験編Ⅳ 運命の一振り
彼女の動きは別に速くない。さっきの防御も一段階速度を上げれば当たられた。蔓につかまらない速度で決めてしまえば良い。
僕の踏み込みと同時に加速。イヴも前進。上から鞭を振り下ろす。この攻撃を左側へ大きく跳躍して回避。左端の壁を昇り、壁を蹴って接近。
飛んでくる蔓を伝い、目の前で再度左に旋回。蔓が通り過ぎたところで剣戟。
防御目的の鞭は間に合わず、腹部に一撃。
そのままの勢いで腹部側を通り過ぎ、鞭を躱す。血の滴る剣を振り、水滴を飛ばす。
「もう諦めたらどうだ、結構深く入ったぞ」
その言葉を返さずにイヴは呪文を発動。
黄色い魔法陣が彼女の足元から消え、土製の巨大な鎚が僕の頭上に現れ振り下ろされる。
槌が降りてくるよりも早く、イヴの目の前へ。
両の手で強く握った刃で一閃。しかし残像は紫の霧に包まれる。
“毒霧四塞”
紫の霧は次第に広がり、イヴを覆いつくしても尚広がる。僕は慌てて霧から距離を取る。
霧は半球状に広がり、鞭の射程と同じ半径で止まった。
「まさかこれを使うとは思わなかったわ。でもこれで終わりね」
絶望的な状況ではない。相手は霧の中だが、霧の力が分からないだけで攻撃されているわけでは無い。
“氷槍”を半球目掛け放つ。三本の槍は霧の中へ消える。中の様子が外からでは分からないが当たっているとは思えない。
僕には時間が無い。戦闘には冷静さが必要なのは重々承知しているが、今は突っ込む。
半球は半径が長く、外から剣を振ったのでは当たらない。恐怖はあるが霧に向かって進む。霧に体が触れた瞬間に違和感が走る。
咄嗟の判断で外に出る。剣を握る手に力が入らない。それどころか刃が解けている。触れた時間が短かったのが功を奏した。
同時にこれが絶望的な状況であったことを理解する。人間の絶対的な自信は能力によって裏付けされる。
あの奥の手には物質を溶かす力がある。人体は見たところ溶けないが、代わりに力が入らなくなる。
きっと”氷槍”も溶かされてしまったのだろう。
こちらの苦労も意に返さぬように、霧の中から呪文が飛んでくる。
避けながら対策を考えなければならない。相対してイヴは防御に割いていたリソースを全て攻撃に向けてくる。
蔓の五本に増え、術の幅が広がり中等魔法が多く繰り出されるようになった。迫りくる蔓の猛攻をやっとの思いで振り切ると、毒々しい半球からは炎が吹かれる。
最初と立場が完全に逆転し、防戦一方となった。
打開策が見いだせないまま時間だけが経過する。体力に一抹の不安が残る、運良く時間一杯逃げ切ってもこのままでは判定で負ける。
どのくらい時間が経ったのか分からない。何度避けても、何度弾いてもチャンスは回ってこない。一度触れた毒の影響で手には力が入らず、強い攻撃は体を動かすしかない。
速度上昇の呪文も切れかけている。
もう一か八か賭けるしかない。どっちが速いか、どっちが強いか。
“能力” それは魔法では再現不可能な力。それは個性であり、圧倒的な力。
“空間転移”
僕の肉体は僕の力によって、毒の充満した半球の中心に辿り着く。移動前に剣を振る動作を開始し、転移先でも継続する。
力の入らない腕で、刃の溶けた剣を振るう。もうその先に感触は無い。
霧のせいで顔が見えない。僕は負けたのか。
全身の力が抜け、倒れた瞬間に霧が晴れた。スタンドからは割れんばかりの歓声。
救護班がこちらに向かって駆け寄ってくる。
採点員の声がコートkに響く。
「勝者・メイソン=ブラックストン」
その声を聴いた瞬間に気を失う。
後日談だが、僕はこの日の試合に勝利した。毒を浴び過ぎたせいで、全身の筋肉が動かなくなっていたらしい。救護班の試験には迷惑を沢山かけた。
イヴの方も腹部が半分切れてしまった状態で倒れていた。回復魔法で十分以内なら大体の傷が治せるから、試験時間は十分に設定されてることもこの話と一緒に聞かされた。
僕が浴びた毒は能力のもので直すのが非常に難しいものだったらしく、生徒は半泣きになってしまったとか。
諸々の話は全てリードさんに聞かされた。
リードさんは負けてしまったらしい。頑張って時間を引き延ばしたけどダメだったなんてことを、照れながら話していた。
約束守れなかったことを謝ったとき、駆けつけてくれてもどうせ負けてたよなんて言ってくれたが、本当に悪いことをした。
代わりにと言って、明日の朝も一緒に掲示板を見に行くことになった。
まだ会って二日なのに、彼女の優しさには何度も助けられている。情けない僕。こんな感情はエルサンドにいたときは一度も感じたことが無かった。
部屋に戻ってきて最初に思ったのは、戦うのはやっぱり楽しいということ。天下の帝立だから相手も強いし、楽しいことこの上ない。
まず順調に一勝。勝ち越しても受かるわけじゃないが全勝すれば確率はグッと上がる。明日に向けて早めに寝よう。
明日の約束に遅れちゃダメだ。
今日も早く起きることが出来た。エルサンドでは一度も自力で起きたことは無かったけれど、一人でも充分やっていける。
朝食をさっさと片付けて、軽く散歩をすることにした。約束の時間まで1時間弱あるから、少しくらい見て回れる。
昨日お昼を食べた道を抜けて、坂を下る。八百屋のおじさんが呼び込みをしてる。
チェスタンは首都だから一応この辺も城下町、その名に恥じず栄えている。
入りたいお店もたくさんあるが、散歩はお店に入っても良いのだろうか。歩くことが目的なのだから、店内で歩き続ければ大丈夫か。
何故か罪悪感がある。でも食べ歩きは一種の散歩かもしれない。
別に散歩はカロリー制限も課されてはいない。
声に出さない無駄な思考は、晴れた空と活気づく街に合っている。マルドラに来て早三日、散歩の神髄を心得た。
気の赴くままに、円形を意識して歩いていたら宿の前に帰ってこれた。
宿の前に人影が見えた。近づくと堂々と腕組みして立っている。
緊張しているのだろうか、落ち着きなく貧乏ゆすりをしている。
「フレディ、そんなに不安かい?」
「そりゃ不安さ。俺は筆記が苦手だからな」
チェスタン州立高等学校の試験は今日から始まる。フレディのような単願の人間は今日筆記試験を行い、今日含め三日で五戦する。一日二試合ペースで大変だが休憩の時間がたっぷり取れる。
理由は僕ら帝立とどちらも受ける所謂併願生が多いからだ。併願生は帝立で受けた試験をそのまま州立でも使える。
大抵の人は併願で受ける。唯一併願で受けられるわけで、デメリットが少ない。
単願で受けるメリットは試験が若干緩くなること。筆記試験の難易度は変わらないが、武闘試験は対戦相手に州立単願の生徒だけになるので、本当に微量だが簡単になると聞いた。
「それで武闘はどうなの?」
「それを聞くか? そっちこそどうなんだ?」
「昨日は勝ったよ。想像以上に苦戦はしたけどね」
「おめでとう。俺にも明日同じ事聞いてくれ」
フレディは笑顔になって、僕の背中を上機嫌に叩く。力加減を考えて欲しい。
「俺な、いつかお前と戦う日が来ると思ってんだ」
「そうかい。そんなこと考えずに今日勝って来いよ」
「任せとけ」
宿に入り、受付の時計に目をやる。待ち合わせ時間一分前。走って部屋に戻る。
結論から言えば約束には間に合った。
「じゃあ、行きましょうか」
リードさんは今日こそは勝つぞと意気込んでいる。番号を見ただけでは誰と当たるか分からない。
「私たち当たらないと良いですね」
「縁起でもないこと言わないでください。でも当たっても僕は全力でやりますけどね」
もう既に一敗してるリードさんは今日が正念場と言えなくもない。連敗が厳しいのは当たり前で昨日の敗者は気合の入り方が違う。
掲示板が近くなるにつれて、歩みが遅くなる。手前まで来て、もう止まってしまいそうな速度になる。
僕はリードさんの背中を強く押す。彼女はびっくりして振り返ったけれど、一度頷くと自分の番号を探す。
彼女は番号を見つけて一言。
「番号だけでは誰か分かりませんね」
と笑った。
「僕は今日無いみたいです」