試験編XIII 秀才と天才
剣は折れずに空中を舞う。奇麗な紫が空を舞って、日の光が当たらないドームであったことが嘆かわしい。
剣先が地面を捉え突き刺さる。
手には激しい痛みが響く。握っていることさえままならない。手を握って開いてを繰り返す。
相手の動きは常に捕捉できていた。見えていたのだ。
結果だけが僕の目を盲目にしたのか。
「どうした? もう一度構えろ」
言われた通りに剣を引き抜き、再度構える。
その場で屈み切り上げるような攻撃が襲ってくる。攻撃自体は速くない。
今見えている攻撃に最も有効な策を僕は知っているはず。両手で握りしめた剣で、刃の動きを妨げる。
信じることの出来ない光景。なにがどうなったかなどとうにどうでもよくなった。
事実は事実。魔法か能力か奇術かなにかは分からないが、僕の剣は彼の剣によって弾き飛ばされた。
剣は貰った速度を維持し、アリーナの壁まで縦回転しながら飛んで行った。
戦意喪失。一度も攻撃を食らったわけでも与えたわけでも無い。
しかしもう戦いたくなった。剣を取りに壁まで向かうことすら陰鬱である。
膝から崩れ落ちる。顔だけが天を仰ぎ涙で顔が歪む。世界が美しい。どよめく会場の中央に動かぬ二人。
滑稽だな。笑いものだ。
「どうした? もう一度構えろ」
「無理だ。僕にはもうできない」
つまらないものを見るような目。呆れたように背中を向けられる。
「弱いじゃないか、弱いくせに強者ぶるなよ。お前らみたいな能無しが一番嫌いなんだ。口だけ減らないで実力が伴っていない人間が」
何とも言えない感情が込み上げる。自然と怒りは無く、その言葉は非常に素直だ。
「ひとつだけ、一つだけ教えてくれないか」
これは問いかけではない。懇願だった。
「君はどうして僕の剣を弾けた?」
フッと笑った。
「分からなかったのか? だとしたらお前は怠惰だ。努力を怠り、強くなろうとすることを拒んだ能力狂信者だ。無能力でも強くあろうとすることへの冒涜。貴様に言えることなど一つたりともありはしない。この場から失せろ」
望んだ未来が手に入った。突き放し、壊してもらうことを心の何処かで期待していた。
彼は凄く優しい。強者を偽った僕にも、最後の手を差し伸べてくれた。
本当は知っていたんだ、努力が偉大だって。彼の技が能力でも魔法でもなく、努力で手に入れた剣術だと。
神様は僕らを平等に作りはしなかったが、努力は平等に与えたんだと。
進むことをしない天才は、進むことを諦めない凡才にも負けるのだと。
これは僕が進むきっかけになるだろうか。僕にも進むことが出来るだろうか。
何を考えても涙が止まらない。悔しくて堪らない。
合格発表まで一週間程度の時間がある。殆どの受験者は一度実家に戻ることになる。
それは僕も例外ではなく、最終試験日の翌日にチェスタンを出てエルサンドへと向かった。
帰りは馬車に乗ろう。無限に広がる草原を、聳え立つ頂上なる山脈を、地を飲む深い海を見て帰ろう。
誰にも別れは告げずに荷物をまとめて朝早くに出ていく。宿のおばさんも帰りゆく僕を見て笑顔で送り出してくれた。
最終日までお疲れさまでしたと背中を叩いてくれた。
宿の外にはいつもの光景。清々しい朝に、八百屋のおじさんの声。そして腕組みして立つモヒカンの大男。
「もう帰るのか」
「そうだね、もう帰るよ。でもまた来るさ。また強くなって緑屋根の校舎にね」
「それは良かった。一週間後は一緒に掲示板を見よう。我が物顔で肩で風を切って歩く連中に目にもの見せるんだ」
僕らは拳を合わせて誓った。
馬車乗り場には行列という程ではないが、多くの人が列をなしている。見知った顔もある。宿で何度もすれ違っただろう人や、大きな鎌を持った男。それに黒髪ショートの女性。
清楚で可憐。天真爛漫より才色兼備が似合う女の子。
努力を怠らず、試験に不安になる子。帝都に来て初めて話したリードさんもシュネルバードの客車へと乗り込んでいく。
帰省が物悲しいのは、出先で掴んだものが惜しいからか、それとも出先で掴んだものが想像を下回ったからか。
僕の答えは前者だ。帝都での負けは人生観すら変えてしまったのだから。
そしてここで出来た友達も捨てがたいものとなった。たった四、五日しかたっていないのにもう旧友の様だ。
列の殆どがシュネルバードに乗ることを希望していたので、あっさりと馬車に乗ることが出来た。
馬車は御者と客席の間に壁があり、相手の声は聞き取りずらい。そんなことを考慮してだろう、行きとは違い静かな空間に車輪が地面と擦れる音が聞こえる。
静寂を望む日が来るだなんて、都会は年を取るのが速いかもしれない。
客車の窓からは奇麗な風景。のどかな一日。
行きもゆっくりしていけばよかった。切羽詰まったって結果は変わらないし、心はいやされる。
途中馬の休憩をしている間に御者さんに馬について色々教えてもらった。視野が350度あるとか、夜目が効くのだとか。
四時間も経っていないと思うがエルサンドの入り口に着く。皆が出迎えに来てくれていた。
心苦しいな。英雄でもないのに出迎えだなんて。これから村の人の期待は裏切ってしまうけれど許してほしい。
母上と父上と共に家へ帰る。部屋について荷物を降ろしたらすぐに行くところがあると言って家を出てきた。
母上は明日では駄目なのなんて聞くけれどなるべく早い方がいい。
僕はバイソン先生の家へ向かう。謝る必要がある。きっと一番僕が帝立に入ることを望んでいるだろうから。
玄関の戸を叩くと中から老人の声が聞こえる。
中へ入ると先生は椅子に腰かけ本を手に持っていた。来客が僕だと分かると本を裏返しに机の上に置いた。
「何かあったかい?」
僕は頭を下げる。
「頭を上げ給え。何があったんだ」
先生は慌てて立ち上がると、どうして良いのか分からないようであたふたした。
僕は頭を上げて謝罪を続ける。
「昨日までチェスタンにて試験がありました」
次に何を言えばいいのか分からなかった。説明が難しいけれど立ち止まってはいけない。
「それで僕はチェスタン州立の方へ進学したいと思っています」
バイソン先生は戸惑っていた。先生はこんなに慌てたり、戸惑ったりする人だと思わなかった。
いつも学校で見ていた先生は自分の意思を貫き通す人で、長く伸びた白いひげを撫でるのが癖の頑固おやじくらいに思っていた。
「試験が芳しくなかったかい?」
「いいえ、筆記試験の方は平均以上取れていると思いますし、武術試験も四勝一敗で問題ありません」
事実苦戦はしていたが負けたのは一回。この成績なら十分マルドラ帝立高等学校への切符は与えられる。特待生やAクラスに入れるかは分からないが、Bクラスには入学時点で入れるだろう。
「それならどうしてだい? あんなにも帝立に行きたがっていたではないか」
「それは……」
次の言葉に詰まった。色々な記憶がフラッシュバックする。
「それは、僕が天才では無かったからです」
先生は穏やかそのものだった。僕は拳骨くらいもらうつもりだった。怒ることは無くとも失望して見捨てると思っていた。
「そうかい。都会はそんなに凄いのか。メイソン、君が決めたのなら胸を張って進みなさい。若者はロートルに構っている暇など無いだろう」
僕はしょっぱい水が目から止まらなくなる。どうしてか最近の僕は涙脆い。悲しくないのに泣くなんて変だな。
「先生、でも僕先生を裏切ったのですよ」
大きな声で笑われてしまった。
「期待はしていたのかもしれない。でもそんなことより、生徒が自分と向き合うようになったことの方が何倍も、何十倍も嬉しいのだよ。メイソンが自分の評価を下げても、私の評価は最高の生徒として揺るぎないのだよ」
「先生、有難う御座います。生意気な生徒ですいません。立派な帝国騎士になってまいります」
「本当に生意気だったよ。君たちが隠し通せたと思っていても大人はね、気付いているよ。君たちが悪戯好きで、悪さもするけど純粋で天才だとね」
気恥ずかしくなってしまう。陰で髭達磨と呼んでいたことにも気付いているだろうか。
このことは墓場まで持っていこう。人生はまだ長いけれど。