爆発物と暗号と
このままでは、爆発する。
部屋に閉じ込められた友人のため、彼は扉の前で力を振り絞る。
それでも扉は開かない。
「……もういいよ。真斗くん」
部屋の中から声が聞こえた。
「なに言ってんだよ。もう少しの我慢だ。最後まであきらめるなよ」
「でも、このままじゃ……」
「くそっ!」
彼は、この状況を作り出した人物に憤る。
彼は叫ぶ。
「おいいィ! 早く来てくれ。全部キミのせいだろぉ!」
――――――――――
休日のお昼過ぎ。急に雨が降ってきた。
「ぎゃああああああああああああぁっ! さむさむさっむい! 寒い、極寒だあ!」
彼女が冬の路上を激チャリしながら叫んだ。
それでも足は止めない。全力でペダルを回す。――じゃっじゃっじゃ。
「そっ、れぇえ!」彼女は声をあげてこぐ。
少しでも早く着くように。目的地に向かった。
屋敷の引き戸が開く。玄関で出迎えられた。
「いらっしゃいミナ――って、ずぶぬれじゃないのよ?!」
「……うん。フラれちゃった……ううっ」
すでに濡れた石畳に、さらに滴が落ちる。
「失恋しちゃったわ、みたいな雰囲気いらないわけだから!」
「あはは。いやあ、定番ネタは押さえておこうと思いまして」
彼女が無為に笑った。が、寒さで震えていた。
「ミナ、ちょっと待ってなさい」
出迎えた少女が家の中に駆け足で引き返した。
ダダダダダ。ガラララ。――ガララバダン。ダダダダダ。
戻ってきた。
「ミナ、これ!」
少女は投げる。彼女がキャッチ。
どうやらタオルを取りに行ってくれていたらしい。
「早く拭きなさい。あんまり体冷やしたら風邪ひいちゃうわけ!」
「うんうん。ありがとね」
髪を丁寧に拭く彼女に、少女が提案する。
「これは、とりあえずお風呂にいって、あったまった方がいいわね」
少女が風呂場に案内する。
「いやあ、悪いねえ」彼女が愛想笑いでいう。
「しかたないわけよ。ゲリラ豪雨だし。しかしまさかこの時期に急に大雨が降るなんて、ミナもツイてな――おっと」
口をつぐんだ。
「いやいやいや大丈夫だよ、アスカ。神経質すぎ。たしかに受験生には『おちる』とかはNGワードだけど、私は気にしないから」
「そう? でもあたしたち受験は来週なわけでしょ? 万が一にでも風邪ひいちゃいけないわ。早くあったまるべきよ。約束の勉強はそのあとで。――着替えはあたしの貸してあげるから。脱衣所にあとで持っていくわ」
「う、うん」
――着られるかなあ。
彼女が不安に思った。
少女とは同学年だが、体格差がある。
「ねえねえ。アスカのお母さんとかは――」
「ああ、両親は今日、法事で出掛けているからいないわ。帰りは夜になると思う」
「そうなんだ」
そういうことではなかったのだが、まあ服が多少は窮屈でも、だれに見せるわけでもないので、べつにいいか。そう思った。
「そこの戸がお風呂なわけ。脱衣所の乾燥機も使っちゃっていいから」
「うんありがとうアスカ――ん? なにか」
「どうしたの、ミナ」
廊下には小さな紙が落ちていた。
彼女が拾い上げて見る。
「付箋だね。くっつくよ」
彼女が拾い上げた紙には、接着できるような粘着があった。
「なんでこんなところに落ちてるわけかしら?」
「あれなにか、書いてある」
彼女が粘着のない表面を見ていう。
「なになにえっと『1313は11って3から』……どういうこと?」
「なんじゃこりゃりゃ?」
彼女は拾った紙を見ての感想である。
友達もその紙を覗き見る。
「数学の問題なわけ?」
「いや、どうだろう?」
「てか、なんで廊下にこんなものが落ちてるわけ? 誰が落としたわけ? 弟かしら」
「うーん。あれ、でもこの付箋の紙、どこかで見覚えがあるなあ。誰かが使っていたモノと同じだったかも……」
「ふーん。しかしコレ、数式として成り立っていないわけよね。1313=11というのはありえないし。3から、というのも意味がわからないわ。本当に数学の問題なの?」
「1と3でしか構成されていないもんね。でも、『は』とか『て』とか『から』とか、繋ぐ言葉が書かれているし……数字の方が重要そうだよね」
「なにかしら……、あ、ページ数じゃない? テスト範囲をメモしたわけ」
「いやいやアスカ、ページ数は違うんじゃないかな。ふつうの教科書は千ページもないよ」
「あ、そうね。たしかに。……せんさんびゃくじゅうさん、は、じゅういち、って、さん、から――わけわからないわ」
「あ。これ、よくみると『1』がすこし小さいかも」
「え、そう?」
「うん。この3の前後の1だけすこし小さくないかな。あとの11よりも」
「小さい数字……指数なわけ? 一乗てわけ?」
「それなら答えは1なのかな?……1しかない。いったい何の意味が……」
「いやミナ、それは0乗よ。3を一乗したら3よ」
「え? あ、えっ、ああ、そうだった」
「そもそも最初の1が小さくても、指数になりえないと思うわけよ」
「そっか指数計算ってその数字の右上に小さく数字を書くもんね。一番前の1は、下に書かれているもんね……」
「位置がおかしい小さい1か。……いちいちわけのわからないことを……」
「はっ、はくしょい!」
彼女のくしゃみだ。
「うわっ! そうだったわミナ。はやくお風呂へ。風邪引いちゃうわ!」
「う、うん。ぐずずー」鼻をすする彼女。「でもでも、この紙、気になるし……」
「それはシャワーを浴びた後でも考えられるわけだから。今はひとまず、身体を温めないと!」
「あー、まあ、そうだね、うん」
少女が目前の風呂場へと続く引戸を開けた。
ガラララ、と音がした。
脱衣所。
「わあ。ひっろぉい」
「そう?」こともなさげに返答。「あ、乾燥機、使ってるわね。まったく、しかたないわね」
少女がダイアルを回して、乾燥機の温度をもっとも高く設定した。
「これではやく乾くでしょ。着替えの服を持ってきた時に、あたしが中のを取り出してミナの服乾かしておいてあげるわ」
「わかった。ありがと」
「タオルはこの棚にあるのを使って。――じゃ。ごゆっくり。しっかり温まって」
そう言って少女は脱衣所を後にした。
シャワーを浴びるための準備をする。
でもしかし、先ほどの暗号文も気になる彼女。
「んー。あれ、あの文字も、見覚えある気がするなぁ……」
だれか知り合いの書いた文字のような気がする。
そして付箋もだれかが使っていた気がする。
「あれはいったい、誰だったか……」
ぶつぶつと考えながら唱えながら、上着を脱ぐ。
あとそれから、文字が汚い気がする。
もうちょっと、ちゃんとキレイに書けばいいのに。
私でなければ、ふつうに読むこともできなかったかもしれない。
「おそろしくわかりづらい暗号。私でなきゃ、見逃しちゃうね。ふっふっふ」
なにか言いながら彼女がセーターを頭から引っこ抜いた。
「そうだ。……たしか、えっと、『ホワイダニット』で考えてみろって……」
なぜか、それを思い出した。
動機を考える。――なぜ、こんな暗号文を残したのか……
どんなメッセージを誰に伝えたかったのだろう。
なぜ廊下に落ちていたのか。
くっつけていた付箋が、落ちた?
くっつけていたホックをはずし、スカートが落ちた。
シャツのボタンを上から外していく。
そうえいば……、と、もう一つの疑問に気づく。
「アスカの家のお風呂って中どうなってるんだろう。やっぱ広いのかな?」
彼女が戸を開けた。
風呂場を見渡す。
大理石の床材。木材で縁取られた湯船。温かい湯けむり。圧巻だった。
「うっわあ。おっき……ぃ……なぁ、あれ……?」
誰かいた。
彼がいた。
「……………………は? み、皆元さん?」
彼は目を丸くして、突如にして開いた戸からの入室者を見ていた。
ちょうどシャワーを使い終わり、シャワーフックに戻すところで、彼女を見て固まっていた。
彼女は確認。
自身の姿。――シャツの前を全開で下着。(ハイソックス着用)
彼の姿。――すっぽんぽん。
「……………………あ、お邪魔しました」
彼女が戸を閉めた。
……えっと。
ぺたり、と彼女は脱衣所にへたり込む。
――なんでここに彼がいるの?!
いや、それはシャワーを浴びていたからなんだろうけれど。
――お尻にホクロがツイてたなあ。
いいや、それよりも…………
――見た? 見られた? 見ちゃった。見られちゃったったあ!
落ち着いたら冷静に状況を考えて、落ち着けなくなった。
「うきゃあああああああああああああああああああああああああぁ!」
事が起きてからある程度の間があいて、叫び声があがった。
だだだだだダダダダダ、そんな駆け足音が廊下から聞こえる。
「なんだ?! いま風呂場から悲鳴――」
「どでりゃあ!」
「――がどゅぶっ!」ドバン!「ね、ねえちゃん……なにを……っ」
「アンタは風呂場に行くな! 部屋でおとなしくしてなさいこのバカ!」
彼女にはドロップキックで吹き飛ぶ友達の弟の姿が頭に浮かんだ。
数分後。
シャワーを浴び終えた彼は、少女の部屋にいた。妙に片付いた部屋だった。
目尻を吊り上げた部屋の主からの視線が、針を突き刺してくるようで痛い。
「真斗。貴様、なぜミナのお風呂を覗いたりしたの?」
「してないよ! 違うよ?!」彼、否定。「どちらかというと逆だ。僕が風呂にいたところで皆元さんが戸を開けたんだけど」
「真斗。貴様、なぜミナにお風呂を覗かせたりしたの?」
「してねえよ! 違うだろ!?」彼、より強く否定。「なんだよ、覗かせたって……」
「つまり真斗、あんたが風呂場で、ミナにハダカを見せつけたわけでしょ? このヘンタイ! いやらしい」
「清々しいレベルで濡れ衣な件について!」
彼が不平を叫ぶ。
「僕はただシャワーを浴びていただけだよ。そこに皆元さんが戸を開けたんだ。さっきも言ったけど。ただの事故だろ」
「違うでしょ。ミナは真斗がお風呂に入っていたのを知らなかった、知らせなかった、伝えなかった――潜んでいたわけでしょう? それは真斗が悪いわけよ! そもそも、なんで勝手にうちのお風呂使ってるわけ?」
「ここに来るまでに雨に降られてずぶ濡れになったからだよ! それに勝手に使ったわけじゃない。ちゃんと――」
「ああ、わかったわ。弟が入って来いって勧めたわけね」
「うん。そう。ここに着いてずぶ濡れだったから、彼から『これは、とりあえずお風呂にいって、あったまった方がいいよ』とほぼ強制的に連れていかれて」
「なるほど。わかったわ」
「それくらいはわかるだろ。てかその本人は? なんでいないの? 呼んで証言してもらえれば……」
この濡れ衣案件の弁護人の召喚を求める。が――
「ああ、弟なら部屋に監禁してるから」
「へ?」
そのとき。
隣の壁から。
『あれ? なんでドア開かないんだ。え? どうしたこれ』
とかいう声が聞こえた。
本当だった。
「いま、アイツの部屋のドアに突っ張り棒をかまして、部屋から出られなくしているわけ。今ミナがお風呂にいるから、万が一にも遭遇しないように、閉じ込たわけ」
「この姉、横暴がすぎないか?!」
せめて事情くらい説明してあげろよ、と思う。
「よし!」少女が切り出した。「じゃ警察を呼ぶわ」
「まてまてまて、警察呼ぶ必要はないだろ。事故で事件だけど、そこまでの事件じゃない」
「うるさい。黙りなさい加害者」
「僕、どちらかといえば被害者じゃないか?」
「真斗がミナに、ハダカを見せつけたことは事実なわけでしょ?」
「無実だけど?! さっきも言ったけれど皆元さんが勝手に戸を開けたんだって」
「ええ、そう聞いたわ」
「だろ? だったら――」
「でも真斗がミナの……ハダカ見たことは事実なわけでしょ?」
「…………」目をそらした。
「ほらぁ! やっぱり!」なにか自信を得たように言う。
「で、でもまってまった。ハ、ハダカは見てない。」
向き直って否定。
「でも半脱ぎの下着は見たわけでしょ?」
「…………」身体ごとそらした。
「ほらあぁ! やっぱりそうじゃないのよ!」
少女が追いつめたように、彼に問う。
「ミナが風呂場を覗くとき、風呂場からもまた脱衣所を覗いていたのね」
「深淵を覗くとき――ニーチェをパロってるんだろうけど、当たり前すぎるし、意味が浅すぎる……」
「うるさいわ。とにかく見たわけでしょ? どう責任取るのよ?」
「せ、責任って……」
「……1000円くらいじゃ、済まないわよ?」
「責任ってお金かよ!」
「謝罪としてギャランティは必要でしょう?!」
「そういう問題か?!」
「じゃあどういう問題なわけよ?! ミナが風呂に行っちゃったのも、真斗、アンタがお風呂にいることを伝えなかったからでしょう。たしかにミナの来訪は知らなかったかもしれないけれど、少なくともあたしがこの家にいることくらいは考えられたでしょう。それであたしがお風呂に行く可能性だってあったわけよ。誰かが風呂場に入ってこないように書置きくらいしておくべきでしょ。無責任よ」
「でもさ僕、ちゃんとメモ、貼ってたよね? 見てないの?」
「は? メモって、そんな物なかったわけだけど。――ん?」
そこで、部屋のドアがノックされた。
がちゃり、ドアが開く。
彼女が入ってきた。
「ふーっ。さっぱりさっぱり。お風呂ありがとねー。――あっ!」
彼が部屋にいるのをみつけて反応した。
瞬間。――居心地の悪すぎる空気が流れた。
彼は彼女の姿を見て、目を逸らした。
心臓が過剰に反応する。
それを振り払うように、彼女がぎこちなく笑った。
「や、やほやほやっほー。真斗くんも来てたんだね。って、そっかそっかそりゃそうか。さっき会ったもんね。それよりより真斗くんも勉強しに来たの?」
「え、あ、うん。まあ」
すこしの緊張は見受けられるも笑顔で自然に接してくる彼女に、彼はあっけにとられた。
「そうかそうかそうだったんだね。私もそうなんだ。アスカと勉強しに来たの。なにせもう来週だもんねえ受験。いやややー、でもでもしかしかし偶然だねえ」
「そ、そうだね」
彼は彼女を見ない。心地悪さをごまかすように顔を背けた。
「ちょっとミナ」
小型の友人が手をこまねいていた。
彼に聞かせないように――内輪の話らしい。
近寄る。
「ん? どしたのアスカ」
「そういう対応でいいわけ?」
「え」
「真斗、あいつ勝手にお風呂に入っていて、さらにはミナとイザコザがあったわけじゃない?」
「……うん。でも、あれは、しかたない」
「でも無責任なわけでしょ。これじゃ今後も遺恨が残るわけじゃない。謝るべきじゃない?」
あいつは、と少女が言葉を繋げる前に、「たしかにそうだね……」と彼女は神妙に呟いて。
決意したような表情の彼女が彼に向き直った。
「ま、真斗くん」
「んっ。なに、皆元さん」挙動がカタい彼。
「ハズイし、もうそのままウヤムヤにしちゃおうと思っていたけれど、アスカの言葉で目が覚めた。やっぱり言うね」
ドクドク、と心音がうるさい。
彼女が頭を下げた。
「このたびは、お風呂のぞいちゃって、すみませんでしたぁあ!」
「…………いや、いいんだけど……」
若干引き気味の彼が許した。顔を合わせないようにチラ見で。
「それに、なんというか、……こちらこそ、だし……」
「そうよ!」少女が堂々と追及。「譲歩したとしても悪いのは五分五分なわけ。真斗、アンタも悪いんだからミナだけが謝るんじゃなくて――」
「ちょっとまってアスカ」
責める少女を彼女が止めた。
「あの、もしかして、まだ、気づいてない?」
「え。なんのことよ。ミナ」
「てっきり、真斗くんといっしょにいるから、もう知っているものかと思ってたんだけど……」
「気づいたって、知っているって、どういうわけ?」
「コレなんだけど……」
彼女が例の付箋を取り出した。
彼は、明後日の方に向いたままで待機。
女子で喋る。
「その暗号のメモがどうしたわけ?」
「いや、これ、暗号とかじゃなくて――そのまま書かれていただけだったんだよね……」
「へ? そのままってどういうわけ」
「私達、今日は数学を重点的に勉強しようって話だったから、なんかついつい数字に目が向いちゃったんだと思うんだよね……」
「でも数字から考えるしかないわけでしょ」
「いや、コレ、数字じゃなかったんだよね……」
「え」
彼女が気づいたことを話す。
「ひらがな、だった」
彼女達が付箋をよく見る。
1313は11って3から、と少女には読めた。
「アスカ、これ前の二つの『1』が小さいよね」
「ええ、すこし下に小さく書かれているような気がするわ……」
「ふ」
「え?」
「え、じゃなくて『ふ』。これ、『131』って書いてあるんじゃなくて、ひらがなで『ふ』って書いてあるんだよ」
「えっと、――あっ! 『ふ』ぅ! ああ、なるほど!」
少女理解。
「そして、次の『3』だけど、これは――」
「あっ、『3』じゃなくて、『ろ』なのね?」
コクン、と彼女が頷いた。
「次の『11』だけど」
「ってことは、この流れなら『リ』とか?」
「いや、これは『い』だね。よーく見たら、下、ちょっとハネてた」
「あ、ほんと。それに後ろの方がすこしだけ短いわね」
「で、最後の『3』なんだけど」
「『3』なら『ろ』なわけでしょ?」
「いいや、これは『る』だね。その方が文脈的にも合ってるし」
「なるほど。そう言われれば、この『3』の最後、丸まっているような気がしてくるわね」
「うん。そだね」
「ん? ってことは、このメモって――」
少女は付箋を凝視する。
『1313は11って3から』と少女には読めたもの。
『 ふ ろは いってるから』としか見えなくなった。
「……ふろはいってるから――風呂入ってるから、ってことなわけ!?」
「うん。そのままだったの。暗号とかじゃなかった」
気落ちしながら彼女が少女に説明した。
少女が不満顔でいう。
「でも、それならちゃんと分かりやすいようにお風呂の――脱衣所の扉に貼っておきなさいよね。このメモ、廊下に落ちて――」
「うん。そうだね落ちてたね。脱衣所の扉のすぐ前に……」
「あ。」そういえばそうだった、というような反応の後に反論。「でも、剥がれてるし。しっかり留めておきなさいよね。そういう大事なことは――……あれ?」
湯上りの彼女が持っている『ソレ』で思い出す。
タオル。
ずぶ濡れの彼女が家に着いたとき。
タオルの置いてある脱衣所に走り――扉を勢いよく開け閉めして――再び玄関へ戻った。そう、そのとき脱衣所の扉を――
――あっ、あのとき剥がれたわけ?!
急いでいたために、扉になにかが貼ってあるなど気がつかなかった。
「コレ、あたしのせいじゃない!?」
「い、いや、そんなことないよ」
そういうことなのだが、それでも彼女がフォローする。
「思えば、私がアスカの家に着いたとき、すでに玄関で、土間の石畳が濡れていたんだよね。私が水滴で濡らすまえから。――その時、このお家に『私より前に雨で濡れた人物がきていた』って気がつくべきだったよ」
それに、と彼女が続ける。
「脱衣所で乾燥機が回っていたけれど――気づくべきだった。乾燥機が回っているってことは、誰かの服を乾かしているってことだもんね。アスカが回したわけでもないようだったし」
つまり真斗くんの服を乾かしていたんだもんね、と彼女が話し終える。
そんな話を脇で聞きながら彼は、
――いや、ならば気づけよ。
ヒント盛りだくさんじゃん。
と、そう思っていた。
ドッ、ドッ、ドッ、と精神的な負荷を受けて音がうるさい。
「でも、それでも、やっぱり、この件は――あたしが悪いわ……」
少女は彼に向き直る。
「真斗、その……ごめんなさい」
「いや、べつにいいよ。その、僕はあまり気にしていないから……」
と、社交辞令的な言葉で返す。
「僕が風呂場から、いま入っているから、と皆元さんに声をかけられたらよかったんだけど……」
「でもでも真斗くんは扉に張り紙してあるから、それを無視して誰かが入ってくるなんて考えられないし。それにアスカのお家のお風呂、大きいから、物音は聞こえてなかったんでしょ? シャワー使ってたら水音でさらに聞こえづらいし。そんな責任ないよ」
「ともかくアスカさんも、だからまあ、そんなに気にしなくていいから。事故だし」
「いや、でも……」居た堪れない様子で彼女の方に向き直り「ミナも、ごめん。あたしのせいで……」申し訳なさそうに、顔を伏せる。
「いやいやアスカ。真斗くんの言うとおり気にしなくていいから。――それに、責任は私が取るから!」
「え? 責任って」
ドッ、ドッ、ドッ。
彼女が彼に向き直る。真っ赤な顔で申した。
「真斗くん、ハダカ見てごめん。――私と結婚しよう」
「…………は? いまなんつった?」
ワケわからん彼。
「だ、だから、わ、私と、結婚しよう」
「…………kwsk」
「ほ、ほら、他人だから問題になるわけじゃん。だから、ふ、夫婦になれば、そこに問題は生じないわけでして――よし。ここに式場を召喚しよう!」
「その思考の方に問題が生じている件について!?」
彼がつっこみした。
ドッ、ドッ、ドッ
少女がうろたえていた。
「ちょっ、ミナ。け、結婚て……。そういうのには順序が……いいや、その前にお互いの気持ちが……いや冗談にしても……」
「その点は大丈夫だよ。アスカ」
「へ?」困惑の少女。
彼女が目配せする。――「言ってもいいよね?」
横を向いて様子を窺う彼のため息。――「……どうぞお好きに」
「私と真斗くん、実は、付き合ってるんだよね」
ドッ、ドッ、ドッ
少女が驚いた。
「って、えええええええええええぇぇぇ! うっそ!」
「う、うん。実はそうなの」彼女が照れながら頭を掻く。
「え、いつからいつから? あんたたち」
「えっと、実は、去年の秋ごろから」彼女が照れながら頬を掻く。
「ちょっと、あたしと知り合った時にはもう付き合ってたんじゃないのよ?!」
「うん。まあね」
彼女が清々しい空気を作るように申す。
「まっ、だからさ。いずれ、将来的には、その、見せて見られる関係なんだから、そう気にしなくてもいいんだよ。アスカ」
彼女がにっこりと笑む。
ドッ、ドッ、ドッ
「だから、そこの真斗くんも。――いいかげんに表を上げい!」
「え」
床を見ている彼に促す。
「私、謝ったよね。それで真斗くんは許してくれた。私も許してる。――なら、もういいよね。解決だよね。いつまでも、うつむいていないでよ。そっぽ向いてないで、顔を上げてよ」
「いや、それは……」
「私もはじめはウヤムヤにしようとしてた。でも遺憾が残らないように、これからも真斗くんが同じように接してくれるように、だから謝ったんだよ? ギスギスしてたら目的を果たせないんだよ。いつも通りでいこうよ」
「まあ、それは、そうなんだろうけども……」
「ならば、さ。ほらほら、こっち見てよ」
彼女が促す。
彼が渋々、すこし顔を上げた。
「どしたのよ真斗。ミナも、もういいって言ってくれてるし。気にすることないんじゃない?」
「いや、そうじゃなくてさ」
彼女が煽る。
「おっととと、どうした真斗くん、カワイイ彼女が見られないのか? あ、もしかして、露出が気になる感じかな?」
「……まあうん」彼が認める。
彼女は、Tシャツにハーフパンツという格好だった。
が――
「アスカに借りたものだから、ちょちサイズ合ってないから、おへそ見えちゃってるけど。まあ、それは気にすることなくない? さっき、もっとスゴイもの見たくせにぃ」にやにや。
「…………」やりにくい彼。
「でもほんと、そんなに気にするほどの露出じゃないよね? このくらいなら別にいくら見ても構わないぜ。もしかして足なのかな。足フェチなの? もしくはお腹――くびれ? でもでも、お腹なら私、けっこーいい感じじゃないかな?」彼女がしなった。
「……いや、お腹じゃなくて」
彼はそれでも頑なに一定ラインから顔を上げようとはしない。
「ん? なに……お腹じゃないんだったら――…………」
彼女が自身の姿を確認。
現在は雨に濡れてしまった自身の衣服は下着を含めて脱衣所の乾燥機で回転中なので友人から借りたゆとりなく身体を締めつけるTシャツからはみ出だしたおへそからそのまま上部へと見てゆくところシャツの布地には薄めだがそれでも確実な柔い膨らみが二つありそれぞれその中心部分に――。
ぽっち。突起。
「――――っっっ!!!???」
彼女が気づいた。
ドッ、ドッ、ドッ
「うきゃあああああああああああああああああああああああああぁ!」
認識してからある程度の間があいて、本日、二度目の叫び声があがった。
即刻、彼女が問題個所を隠して背を向けた。
「ちょっと真斗! あんたなに見てんのよ! このヘンタイ!」
「ええっ!? いや、見てって言ったのは皆元さんの方で……」
「それでもよっ! 見るな! なんで言わないわけアンタは!」
「言えるかっ!? そんなの……」
彼が困り果てていた。
ドッ、ドッ、ドッ、ドンッ、ドンッ、ドンッ!
壁を打ち付ける音がさらに大きくなっていた。
隣の部屋から、助けを求める声が聞こえた。
『なんかわからないけど! もうトイレ限界だから誰か早くボクを助けてくれよ! 弟や友達が隣の部屋でお漏らししてもいいのか膀胱はもう爆発寸前なんだオオォぉイィィぃ!』
その声を聞いた彼が、急いで友人の救助に向かった。
彼が隣の部屋の扉の前へ。
そこにはカンヌキのような極太い木材がセットされていた。
彼は力を込めるが、動かない。
「くっそ。この突っ張り棒、かたっ! アスカさんコレどうやってハメたんだ?!」
「急いでくれ真斗くん、爆発する!」
「いや、がんばってんだけど、コレ、ぜんぜん外れない! コツとかあるのか?」
「くうー」もどがしい、そんな声だ。「これだから非力インドア派陰キャ彼女持ちは……」
「ねえ今それ関係ないことまで言ったよね?! てかディスりが酷い!」
彼は足掻くそれでも扉は開かない。
「……もういいよ。真斗くん」
まるで諦めたような、そんな絶望が聞こえた。
部屋には女子二人が残った。
「その、ごめんね。アスカ」
「いやミナ、違うでしょ。今回の件で悪かったのは間違いなくあたしで……」
「あ、いやや、そっちじゃないよ」
「え」
「私達が、つき合っていることを言っていなかったこと……」
申し訳なさそうな彼女。
少女が首を傾げた。まるで気にしていないように。
「え。なんでそんなこと気にすんのよ?」
「だって、その、――アスカって真斗くんのこと、好きじゃなかった?」
「ぶふぉっ!」吹きだした。
「あ、突然だったね。ごめん」
「え、いやいや、そんなワケないわよ?」
「でも、なんというか、その……でも」
「んー。まあ、でも、アイツのことちょっとカッコイイとは思ったことあるけどね。まあ、ミナが選んだ男だから、見どころがないわけじゃないというか……。まあ、ふつうに、いいヤツなわけだし……」
「……」
「でもねえ、友達と友達がつき合っているのに祝福できず、ましては妬むようなダサい女じゃないわけよ、あたしは!」
だからね、と少女は続ける。笑いながら。
「おめでと。ミナ」
「うんっ。ありがとうアスカ」
「おいいィ! 早く来てくれ。全部キミのせいだろぉ!」
廊下から彼の必死な声が聞こえた。
ちなみに、間に合ったそうです。
お読みいただきありがとうございました。
お疲れさまです。ほんとに。