ノートジャポニカ封印者
対戦が終わった。
「よっしゃー」
「くっそおー」
テニスコートで男子小学生2人が叫んだ。
はたで見ていた中学生の経験者が感想を述べる。
「ケンの勝ちか。最近なんか調子いいな」
「そうだね。以前よりも相手の立ち位置を見定めたうえでリターンしてるよ」
「もう皆元より上手いだろうな」
そこで彼女が口を挟んだ。
「いやいや正志くん、いくらなんでもそりゃないさ。まあ負けることもあるけど、トータル戦績は私が勝ち越しているはずだよ。ケンちゃんは小学生だよ? 私、中学生」
「……」
「おいおいおいおい正志くん、なぜに私から眼を背けて明後日の方向を向いているんだ?」
少年が話をそらす。
「さて、ケンとトラの試合も終わったし、次はボクらの番だ。やろうよ正志」
「おう、そだな」
中学生2人がコートへ。
入れ替わりに小学生2人が出てくる。
「おつかれさまケンちゃんトラちゃん」
「うん。ありがと皆元ねえちゃん」
「あー、また負けたあ。――ねえ、最近ケン調子がよすぎじゃない。これならルイにも勝てるかもしれないよ」
「えっへっへ」
「そうだね。ケンちゃん絶好調だね。なにかあったの?」
「……うん。その、まあ」
その男子は煮え切らない返事をした。
「あ! やっぱりそうなのかー。おれにも教えてよ、ケン」
「あー、うーん。じゃあ、うん。しかたない。教えるけどルイには秘密な。――それに、皆元ねえちゃんには聞いてみたかったことあるし……」
「ん? なにかにケンちゃん?」
「うん。相談というか……ぼく、見つけてもらいたい人がいるんだ」
幼き少年が、彼女をまっすぐに見据えて頼んだ。
この川沿いのテニスコートには8人が集まっている。
2人がテニスコートで対戦。
「おいエビヤ、今のアウトだよな?」
「いや、今のはギリギリのインだ。正志のポイントにしていいよ?」
「は? 今のは明らかなアウトだろ。お前のポイントにしろ。負けた時の言い訳にされたら堪らねえし」
「いやいや、こちらのセリフだよ。僕が勝った時にアレコレ言われたら困るし。今のはインだよ。ほら、球の跡が残っているだろ」
「それ前の試合のヤツだろ。――ああ、ミスった。セルフ判定でもめるとは。ベンチにいるルイにでも審判を頼めばよかったな……」
3人はベンチエリアで雑談をしながら荷物番。
その唯一の小学生が話す。
「それでクラスでハヤってるんだけど、持ってないんだ」
「ふーん。あたしは持ってるけど。アレ、おもしろいからオススメなわけよ。ルイも買ってもらいなさいよ」
「うん。おもしろいよね」もうひとりの中学生が同意した。
「えっ!」びっくり。「ワシオ、もしかしてアンタ、知ってるわけ?」
「え、あ、うん。すこしは……」
「へー、ネネ姉ちゃんも知ってるんだ。アスカ姉ちゃんも詳しいし、小学生だけじゃなくて中学生でも人気なのかー」
「そう。知ってるわけか。……それじゃワシオ、好きなモンスターは?」
「えっと、うちは……魔法耐久体マロンマジックリ、とか」
「……驚いた。……イガグリ。わかってるわ! この子、わかっている! ねえ……ネネカ、あなたのこと抱きしめてもいいかしら?」
「ええっ!! 急にどうしたのアスカちゃんっ!? 名前呼びになってるし――うっわあ!」
「うんうん」頷く小学生が抱き合う二人を見て「ポーモンによる友情が生まれた瞬間だね」
そんな5人に聞かれないように。
残りの3人が高架下まで移動して密談を開始した。
小学生2人と中学生1人。
「んででで、ケンちゃんや。――私に見つけてほしい人とは、なんぞや?」
「……コレのことなんだ」
少年がラケットバッグから取り出したモノを2人に見せる。
緑の表紙、昆虫の写真その下――がくしゅうちょう、との表記。
小学生低学年の定番アイテムだった。
「ん? ケンなにそれ。うっわボロボロ」
「ふむむ。これはこれは――ケンちゃんが持っているのはノートだね。古いね」
「うん。これ、テニスノートなんだ。テニスのルールとか、コツとかを書き留めているノート」
「ふーん。ほほーん。テニスノート。――なるほど、ケンちゃんマメだねえ。ちゃんとノートをつけているなんて。えらい!」
しかし少年は頭を振った。
「いいや皆元姉ちゃん。これ僕のじゃないんだ」
「ん?」首を傾げる彼女。
「ミーねえ、アレ、ボロっちいしケンのノートじゃなさそうだよ」
「うん。トラのいうとおり。――このノート、ぼくが偶然みつけたモノなんだ。で、中を見たらテニスノートで……最近ぼくの調子がいいのは、このノートを参考に練習してプレイしてるからなんだ」
「なるほど。――でケン、そのノート誰のなの?」
「うん、それがわからないんだ。――それで皆元姉ちゃんに、このノートの持ち主を探してほしいんだ」
小学生が期待の眼差しで見ていた。
「皆元姉ちゃんって、今までいろんな事件を解決してきたんだよね?」
「ああ、そっか。そういえばミーねえって、賞品がなくなった事件解決したりしたもんな! あっ! それに――」
「うん。なんといっても『勇者』だし! 皆元姉ちゃんは! だからこのノートの持ち主も、探し出せるんじゃないかと思うんだ。ぼく」
――そういえば、そうだった。やば。
だけど……
「お、おおう。私にまかせとけい!」
けれどなんか純粋に信頼を向けてくる少年の想いは、裏切れない。
まるで自信があるように、そう言ってしまった。
彼女は捜査を開始する。
「ケンちゃんはそのノート、どこで拾ったの?」
「うーん。いや、拾ったわけじゃないんだ」少年は考えるように歯切れが悪く伝えた。「冬休みになる直前、クラスの大掃除で自分の机をキレイにすることになったんだ。それで、雑巾で拭いていたんだけど、そのとき、机の中から出てきたんだ」
「えー、ケンの机の中にはいってたの? 間違えていれたのかな?」
「いいやトラ、そうじゃなくてね。えっと、机の、上の板――机の机のところにくっついていたんだよ。テープで」
「ああ、ケンちゃんの学習机の天板の裏に、テープで貼り付けられていたんだね?」
「うんうん。そういうこと!」
小学生の語彙力を中学生の彼女が補填した。
「くっついたのを剥がして中を見たらテニスノートだったんだ。それで冬休みにノートを読んで、修行したんだ!」
「なるほど。それでケンは上手くなったのか。――おれにも見せてよ。そのノート」
「うーん。いっちゃったし、しかたないよな。いいよ。――はい」
少年はノートを手渡した。渡された少年は広げて見る。
「うわー、書きこんでるなぁ。――文字きたなっ」
「うん、ぼくも解読に苦労したよ。でも、この技とか、カッコいいよ」
「なるほど。――つまりはケンちゃんの机に封印されていたノートってことだね……――って! ん? んん!? ちょっとまった!」
「どうしたの、皆元姉ちゃん」
「ん? なにかあったの、ミーねえ」
彼女が少年の持つノートを凝視する。確認する。
そして、気がついた。
「表紙に名前書いてあるじゃん!」
――もう解決しそうだった。
「――そのノート、『アベ』さんの物だよ」
彼女が書いてあった名前を読み上げた。
「あー、これ、アベって読むんだ」
「へー、そうなのかー」
「そうか。小学生よ。まだ習っていないか……」
彼女が落胆した。
小学生が腕を組んで悩む。
「うーん。そっか。あべ、でも……誰なんだろう……」
「え、ケンのクラスって『アベ』いないの? めっちゃ多い名前だと思うけど」
「ん? んーん。」頭をふった。「ぼくのクラス、アベさんは1人いるけど、女の子だし、テニスしてそうじゃないし、このノートとは無関係だと思う」
「そっか。それは違うな。このノート書いたやつ、ぜったい男だもんな。いったいどのクラスのアベなんだろーな?」
「いやいやちょっとまってトラちゃん」
小学生の談議に、彼女が口を挟む。
「そのノート、古いよね……。きっと何年も前から机の中に放置されていたモノなんじゃないかな? だから、ケンちゃんトラちゃんと同学年の人ではないんじゃないかな?」
小学生、気がつく。
「あ、そっか! ケンの机に封印されていたんだもんね! さっすがミーねえ!」
あまりにも普通のことを指摘しただけで、ずいぶんと持ち上げられる。
レベルが低い。
「ふっふっふ。――うん。まあね」
けれども彼女は自慢げだった。
小学生が同意した。
「うん。ぼくもそう思う。何年も前の人のモノだと思う。――このノート古いし、くっついていたテープもパリパリになってたし、そもそも、古くなった学習机を新しいものに交換するから最後に今までの感謝を込めて拭きましょうってことで雑巾がけしたから」
「あ、そっか。そうだ。それ、おれもやった。古い机の雑巾がけ。――でもさ、もう捨てるならキレイにする意味ないよね。労力の無駄だよなあ」
「うーん。そーだねトラのいうとおりだけど。まあ、気持ちが大事なんじゃない? 意味ないかもだけど」
「そうだな。意味ないのになー」
「うむむーん」小学生のクールな見解に彼女が意見した。「冷静というか冷酷というか、現実的なお考えだねえ、小学生は」
「ところで皆元姉ちゃん。このアベさん、やっぱり何年も前の人なんだよね……。どうしよう、見つけられるかな?」
「そうだね。もう死んじゃってたらどうしようもないもんな……」
「いやいやトラちゃん、そこまで古代の人物じゃないでしょ。アベさん」
「そっか、そうだよね」
「そっかー」小学生同意。
「ねえねえ、ケンちゃんってどこの小学校?」
「青辰小学校2年2組」
「おれもあおたつー」
「そーかそーか」
彼女がにやりと笑む。
「ん? どしたのミーねえ」
「それならば関係者――卒業生に聞けばいいんだよ。そう、たとえばそこにいる正志くんとかエビヤくんに!」
自信満々にあたりまえのことを言う。
「たしかあの2人、青辰小だった気がする」
「おおー。そっか!」と1人は同意し手を打ち合わせた。
「うーん。それは……ちょっと」
だが依頼者の少年は渋っていた。
「あれ、どうしたのケンちゃん」
「あのね。――実は、もうエビヤ兄ちゃんと正志兄ちゃんには、このノートのこと聞いたんだけど、エビヤ兄ちゃんは『知らない』って言ってたし、正志兄ちゃんからは『時間のムダだからやめとけ』って言われちゃったんだ」
「…………」
思えば、単純で明快だった。
――彼女のところに相談に持ってくる前に、彼らに相談していることは、想像できた。
「ぼくもこのノートの人は、青辰小学校を卒業した人なんじゃないかと思って、エビヤ兄ちゃんたちに聞いてみてたんだ。でも、ダメだったんだ」
「……あ、そっか。ケンちゃん、わかってたんだね?」
「うん」頷いた。
これまでに導きだしたものは、すでにその小学生は存じていたようだ。
「……てか、正志くんもエビヤくんも、知らなかったの?」
「うん」頷いた。
彼女は思い直した。
――コレ、私に解決できるのか? 大丈夫か?
テニスコート隅の緑の球よけネット。
そこから彼女がコートの中の人物に合図した。手招きする。
「ちょいちょい。正志くん正志くん」
「ん? 悪いエビヤ。ちょっと行ってくる」
彼がコートを離れて端のネット――彼女の方へ向かった。
「皆元、悪いんだけど、ヒマなら審判してくれないか?」
「悪いが私はヒマじゃないんだ!」
彼女が真剣に問いただす。
「おい。正志くん。なんでアベさんのことを知らないんだ!」
「誰だよアベ」
てか急すぎるつのなんのことだ、と状況説明を求める。
「だから青辰小学校のテニスに詳しいアベさんだよっ?!」
「マジで知らないんだがっ?!」
だからなんの話しだオイ、と再度説明を求めた。
「ケンちゃんのノートの人物だって!」
「ああ、アベってアレか」彼、納得。
「そうそうそうだよ。アレのアベだよ」
「いや、俺アベとか知らねえから」
「いやいや、そんなわけないよ。青辰小のテニス関係者だよ。正志くんが知らないわけないじゃん。テニスクラブ入ってたって聞いたことあるもん」
「そんなこと言われても、答えられねえもんは答えられねえよ」
「まあそうだけど。そうだけれどもっ!」
「てか、そんなことで俺を呼んだのかよ……。俺達、まだ対戦してるから戻るぞ」
「ああっ! ちょっとお」
彼はコートに戻った。
「とりあえず対戦の後にしてくれ」
テニスコートへ。対戦に戻る。
「正志。皆元さん、なんの用事だったの?」
「いいや。くだらない用事だったから後でいいってさ」
――こいつの集中力を途切れさせるのは悪いからな。
そう思って、彼はそれだけ言った。
「うむむーん」
彼女は小学生の待つ高架下に移動しながら、悩む。
「なんで知らないんだ正志くん。もしかして、アベさんは青辰小のテニスクラブにはいなかったのかな? クラブに入っていなかった? いや――」
彼女は思いついた。
――もしかしたら、彼は一匹狼タイプ、もといボッチだから、ただアベさんのことを知らなかっただけかも。双子兄である彼もクラスメイトの名前、憶えているかあやしいし。
だが、同時に思う。
――でも、なんでエビヤくんも『知らない』んだろう。ケンちゃんがエビヤくんに聞いたとき、知らないと言われたらしい。エビヤくんも青辰小学校のテニスクラブだったって聞いていたんだけどなあ。エビヤくんもボッチだったのか?
わからない。
いったい、なんなのだろう青辰小学校テニスクラブ。
そこで、思いついた。
「あ、そうだ。あの子に聞こう」
テニスコートと高架下の中間地点。
彼女は電話した。
『もしもし』出た。繋がった。
「もしもし薫ちゃん? わたしたわし」
『タワシじゃないだろ』
「あははは! さすが姉御、いいツッコミ」
クラスメイトに電話した。
『んで、なにか用事なのか? ミイ』
あだ名で呼ばれる。
そんな友達が青辰小出身であることを彼女は知っていた。
「薫ちゃんて、小学校のころからずっとテニスしてるんだよね?」
『ああ、うん。そうだけど』
「アベさんって人のこと知ってる?」
『……アベ……』
電話越しで友達が言葉を反芻した。
『……あー、もしかして、あのヒトのことかな……』
「あっ、やっぱりいるんだね、アベさん」
『あー、うん。まあ』曖昧な同意。
「その人のこと、私に教えてくれないかな?」
『うーん。まあ、あんまり気が進まないけど……』
「え、なんで?」
電話越しで、友達は悩み、そして語った。
『あのヒトは、中学の先輩なんだけど、なんというか、……いじめの、加害者なんだよ』
「……え」
『アタシの二つ上の先輩なんだけど。そうだな……名前は伏せるけどアタシ達と同学年のテニス部の男子を目の敵にして、めった打ちにしてたんだ。そのアベさん達のグループが。――試合の前にが「そいつ」のラケットのガットを切ったりとか。部室やコート、道具を汚して片付けを押しつけたりとか。……まあ証拠とかはなかったけど』
「…………」
『殴る蹴るとかの暴力があったかは、知らない。でも「そいつ」は不登校になった』
「…………」
『まあ、だから、あまり話したくないんだけど。いやもう話しちまったようなモンか……』
「……なるほど」
――だから、正志くんもエビヤくんも、口をつぐんだの?
アベさんが『そういう人物』だと知っていたから。
だから、ケンちゃんに教えなかった。言わなかった。
それに、不登校になったというその人物――それは……
そう思った。
だが……思い出した。
「薫ちゃん」
『ん? なんだミイ』
ここまで聞いておいて、だが――
「ごめん。その人じゃないや」
スマホから困惑の声が聞こえた。
『ん? あのヒトじゃないの?』
「うん、違うや」
彼女は否定した。
「薫ちゃん『中学の先輩』って言ったよね」
『ああ、うん。中学の先輩だ』
「ってことは、小学校は違うんだよね。薫ちゃんは青辰小学校だよね。――でも青辰小じゃないんだよね、その先輩は」
『ああ、小学校は別だった』
「あ、やっぱり。よかった。――うん。そのヒトじゃない」
彼女は確信した。
「私が探しているのは『青辰小のテニス関係者のアベさん』だから。おそらく私達に近い世代の卒業生だと思うんだ。先輩後輩というのもわからないけど」
『ああ、そうなのか』
電話の向こうの友人が考える。
『うーん。青辰小、テニス関係、アベ……うーん』
「うんうん。どうかな薫ちゃん」
『ああ、うん。ミイ』
「うん」
『やっぱ、そんなヒトいないけど』
きっぱり言われた。
「え、いないの?」
『ああ、やっぱりいない』
「でもでも『アベ』ってかなりメジャーな名前だよ? 1人もいないの?」
『ああ、いないな。青辰小テニスクラブにはいなかった。――そもそも、当時はそんなにテニスブームじゃなかったし、人数もそんなに多くなかったんだよ』
「うーん。そっか……」
『アベに語感の似た感じのヤツだったら、ひとつ下の後輩に「安延」がいたけど……』
「あー、『の』が入っちゃったかー。おしい」
捜査は暗礁に乗り上げていた。
テニスコートで試合が終わったようだ。
「よっしゃ」
「くっそ」
男子中学生2人の口から気持ちが漏れた。
「今日はボクの勝ちだね」
「あー、はいはい。――次は負けねえからなエビヤ」
ベンチエリアにて、少女が全員に問いかけた。
「あいつらの対戦終わったみたいね。次は誰がコート使うわけ?」
「はいっ!」手が上がる。「ぼくたちに使わせて! ――ルイ対戦しようよ! 今日こそは負けないからなっ」
例の小学生が元気に発した。
「はいはい」それを受けた小学生が流してクールに返す。「じゃあケン、コートにいこう」
「じゃ、おれ審判してあげるよ」
小学生3人がベンチエリアからコートに向かう。
「ん? このノート……」
少女がそこにあった例のノートを見遣る。
「あっ、アスカ。そのノートは――」
「へー。なつかしいわー」
そう言って少女はノートを手に取った。
「ん? え」困惑。
「ん。ミナどうしたわけ?」
「いや、アスカ、そのノートって……」
――知っているのか? いや、なつかしいって!?
「ああ、うん、コレね」
少女がノートの表紙を見ながら、告げる。
「この学習帳の表紙、昆虫のやつはキモイってクレームがあって、数年前から生産されてないのよ」
――あ、なんだ。そういうことか。
事情を知らない第三者に謎を解かれそうな危機感で、ちょっと焦った。
少女たちが話す。
「当時、親が『今しか買えない』って、いっぱい買ってきてたわ。なつかしい」
「へー、そうなんだ。昆虫のって、もうお店に置いてないんだね。うち、ぜんぜん知らなかった」
「ま、当然よね。中学生――いや、小学生も高学年になったら買わないわけだし、この学習帳」
「でも、小学一年生とかは、みんなコレだよね。うちも使ってた。表紙の感じがなつかしい。この濃い緑色とか」
「でも昆虫キモイわよね? よくこんなの使ってたわ、あたし。――ねえネネカ。きもくない?」
「え、う、うん。まあ、そうだね。怖いね」
表紙をマジマジと見せられている女子中学生が引いていた。
「てか、あいつ、まだ持ってたんだ」
――ん?
なにか、少女が気になることを言った気がした。
彼らがテニスコートからベンチエリアに戻ってきた。
「あ、正志くん、エビヤくん。おかえり」
「おう。荷物番どーもな」
「うん。ありがとね」
「あ、いや、私はあんまりベンチにいなかったんだけど……」
そこでテニスコートから元気な声が聞こえた。
「くらえ! ルイ。――『ウルトラツイストスピンファイアサーブ』ぅううう!」
ビクリ。――とある中学生男子の肩が動いた気がした。
「…………」
なんか、容疑者を見つけた。
そこで彼が彼女に呼びかけた。
「おい、皆元」手招き。
「ん? なになに、どうした正志くん」
彼に寄る。小声で会話。その場にいる他の3人に聞こえないように。
「ケンやトラになにか聞かれても、余計なことは言うなよ」
「え、余計なことって……」
「……ヒトには、触れられたくない過去ってあるものだろ? 情けをかけてやれ」
「…………」
彼女が黙った。
ふとベンチに座る少女の手にあるノートを見る。
表紙には英字で書かれている。
『 ABE 』と。
ふと思う。
A、B、E。――エー、ビー、イー。
えー、びー、いー。
え、び、い。
えびい。
――海老井?
ふと思い出す。
時は小学生時代。
てか今でもそうだが――
かの少年は、英語が苦手だったことを。
件の少年を見る。
無表情でなにかに耐えるような、そんな顔をしていた。
黒歴史。
ふと、そんな言葉が彼女の脳内に浮かんだ。
しかし、それでも――
試合が終わった。
「ああーっ! まっけたぁ!」
「うん。ケンもがんばった方だけどね」
「ルイつええー」
小学生が球よけネットを潜り抜け、テニスコートから出てくる。
そこに声をかける。
「ケンちゃん、ケンちゃんケンちゃんや」
「うん? 皆元ねえちゃん」
手招きで呼ぶ。その小学生が寄ってくる。
「どうしたの?」
「例のノートのことなんだけど」
「うん。もしかして、アベさんが、どこのだれかわかったの?!」
期待の眼差しで聞いてくるが――
「あー、いや、そうじゃなくてね」彼女ごまかす。
「そうじゃなくて?」
「ケンちゃんはその『アベ』さんを見つけて、どうしようと思ったの?」
でも、その気持ちだけは、伝えようと思う。
この少年の純粋な思いを。
少年はぽかんと一瞬あけて、それから答える。
「そんなの、決まってるよ」
「うん」
彼女は優しい笑顔で聞く。
「字。汚いから、もっと丁寧に書いたほうがいいよ、って教えてあげようと思って!」
「…………」
彼女はその純粋な気持ちを、伝えないことに決めた。
ちなみにこのエピソードのあと
結局『アベ』を見つけなかった彼女は
「ソーリーソーリー。アベソーリィー」
と謝った。
小学生が大爆笑した。
そうです。
……………………はい。それだけです。
お読みいただきありがとうございます。
お疲れさまでした。