愛するものは救われる
あの子が苦しんでいたのを知っている。
「ミー、なにかあったか?」
「え、別に、なにも……ないよ」
「……そーか」
シャープペンを走らせるあの子。いつもはキラキラお星様のような――いやギラギラと太陽のように燃え上がる彼女の空気が――酷く沈んでいるように見えて。
気づけば声をかけていた。
夏休み。その最終週。
宿題の一掃を目的とした勉強会という名の女子勢の集まり――つまりは女子会があった。
友達の家で久々に会った彼女は、なんだか疲れているように見えた。いや『憑かれている』みたいな表現の方が近いかもしれない。いつもは元気にきらめいている瞳が闇に染まっている。そんな気さえする。それは――
「はぁ」
そんな溜息を聞いて、何かあったのだと確信する。
話を聞く。相談に乗る。話しかけよう。
――ミーらしくねーな。そんな溜息ばっかりついて。それじゃまるで……――
溜息。――その連想で『アイツ』を思い出す。
辛い思いをしていた友達を――大好きだった親友を遠ざけた。そんな自分が。
――そんな、アタシが、首を突っ込んでいいモノなのか?
ミーに問いかけて、それで問題が解決するのか? そもそも話を聞いたところで、どうにかできるものなのか? やぶ蛇になるだけじゃないか? そもそも先程彼女は何もないと答えただろう。傷をえぐる形になるのは最悪だ。
それが、怖い。
だから、もうなにもできなかった。
あの子が立ち直ったことを知っている。
夏休みが明けて最初の週末。
アタシは部活からの帰り道だった。
「あっはははは!」
「ちょっと、みっちゃん!」
花火のように、爆発するような笑い声が耳に届いた。あの子だ。
前方。楽しそうに友達と2人で歩いている。
「よお。ミー、ネネ」
「えっ! あっ、薫ちゃんだ」彼女が驚きながら顔だけ振り返る。
「あ! か、薫ちゃんっ。……お疲れさま。部活終わったんだね」
後ろ手の可愛いポーズで振り返ったネネも話しかけてくる。
「おー、あと二ヶ月で引退だからな。気合入れて練習してんぜ」
「そっかそっかかー。うんうん。言ってたね。中学の引退試合もうすぐだって。がんばってね」
「おう。ありがとな」
「うん。それじゃあね。薫ちゃんまた明日学校で」
2人が背を向けて去っていく。
そこに、もう1つ、声をかける。
「ミーっ!」
声をかけられた彼女が首を回してこちらを振り返る。
「え、なに、薫ちゃん」
そこでちょっと口ごもる。――なんと表現したらいいのだろう?
「……なんか、その、元気になったようで、よかった」
「へ? あっ、ああ、私が元気がなかったの……気づいてたんだね。薫ちゃん」
「ああ。でも、だいぶ回復したみたいで、……安心した」
アタシは笑った。
あの子も笑った。
「うん。ご心配おかけしました。――たくさん救われたから、大丈夫だよ」
「ちょっ、みっちゃん!」ネネが慌てている。
「救われた?」
「うんうん。そうだよ」
彼女がキメ顔して、アタシに言い切る。
「愛するモノは救われる、ってことだよ」
思えば、きっと『あのころ』からだったんだろう。
帰り道。
偶然に出会った3人が、男女交際の距離感について揉めていた。
いや、正確には、そのうちの1人がヒートアップしているだけだった。
その少女は説教のような口調だった。
「あのね真斗、アンタたちまだ中学生なわけだから、ちゃんと節度を持ったお付き合いをねえ」
彼は、うんざりしつつ思案に暮れていた。
――幼女に諭されているような気分になるけれど、友達のお姉さんなんだよなぁ。いや同学年なんだけど……。どうしたものか……。
「ちょっと真斗。聞いてるわけ?」
「え、ああ、うん。もちろんだよアスカさん。聞いてるし、わかってるけど……」
「ほんとにわかってんの? だからね、中学生が、その、でぃ……ディープなヤツは早いと思うわけよ、あたしは。収まりがつかなくなったらどうするわけよ」
「…………」
――なんでこんな話になったんだろう……。ああ、『あいつ』のせいだな。
目線を飛ばす。――邪推を披露して火をつけた原因に。
「ん? んだよ、マコ」
「……はあ」
彼から、うんざりの溜息が洩れる。
ガミガミ問われ続けて、溜息をもらす彼について思う。
別にヤツが困ろうが苦境に立たされようが、ま、どーでもいい。
少女の言っていることも的外れではない。女子の気持ちを知るためにもヤツは聞くべきだろう。あいつデリカシー無いし。
しかし、火をつけたのは自分だ。
――ま、そろそろ助けてやるか。
助け船を出すことにする。
「まあまあアスカ。ほどほどにしてやれよ」
「いいえナオ。こういうことはしっかりしないとダメなわけ! 無責任なことしてリスクが高いのは女の方なわけだし」
「落ち着けよ。たしかに無責任なクソ男には正直ヘドがでるけどさ」
「でしょー。だから軽い気持ちでホイホイ致すような軽い男はダメだと思うわけ」
「まー、そだな。そういうクソ野郎は潰しといたほうがいーよな」
「ナオ。僕を助けてくれる流れじゃなかったのか?」
てかお二人ともおそらく未経験ですよね?なんでそんなに上から目線で言ってくるの?ということまではさすがの彼でも言えなかった。
「でもよーアスカ。このまま付き合ってれば、いつかは致すことになるだろ。こいつら――マコとミーも、もう半年以上付き合ってんだし」
「ん?」彼が反応した。
「あ? どしたマコ」
「え、いや、僕と皆元さん、まだ半年も付き合ってないからさ……」
「は? おかしいな。ミーの感じだと夏休み明けくらいには付き合っていたもんだと思ってたんだが……」
「ちょっと真斗、アンタまだ半年も付き合っていないのに、ミナにディープなチューをせまったわけ?」
「せまったわけじゃないから。――てかさっきも言ったよね。バレンタインで付き合って119日、まだ半年は過ぎてないよ」
「ん? どうなってんだ?」
「いや知らないけど……。でもこの前、皆元さんが「付き合って半年の記念日とかに何かする?」って提案していたから、少なくともまだ半年は過ぎてないよ」
「む?」
どうなってんだ。
あの夏の日、たしかにミーは晴れ晴れとした顔をしていた。
一年間の半分。
1年365日 ÷ 2 = 182日と半分あまり。
――119日 + 今日まで1ヶ月弱。
足りない。半年に至らない。
9、10、11、12、1、2月。これで半年のはず……だ。
バレンタインデーの119日前――4カ月弱ほど前、ということは、10月末ごろ、か。
2ヶ月ほどのズレが生じている。
このズレはいったいなんだ?
あの時、彼女は言っていた『愛するものは救われる』と。
――じゃあ『あの時』の、あの笑顔は……?
――まさか!
「ん? どうかしたの、ナオ」
彼が訊ねる。こんなときは妙に鋭い。
「いいや、なんでもねーよ」
自然に答える。心の中に生じた『怒り』と『落胆』の感情は隠す。
「アタシ、こっちだから。そんじゃ、またな」
片手をあげて合図、別れる動作で示した。
「ああ、それじゃまた学校で。ナオ」
「ええ、またどこかで会いましょナオ。じゃあね」
2人と別れて、家路を進む。
歩きながら考えを整理する。
真斗本人が言うならば、付き合って4カ月は事実なのだろう。
では、あの夏の日の彼女達はあの笑顔はなんだったのか。
『あの時』のことを思い出す。
やはりそうだ。
あの時の彼女。
――あの行動、あの言葉。その意味が今になってわかった。
なぜアタシに言わなかったのか。――そのことに怒りが湧く。
その理由もわかっている。
『あの時』に出会った2人にアタシは後ろから声をかけた。
彼女は顔だけで振り返った。『手』を頑なに見せないようにしていた。
なぜか、それは『なにか』を持っていたから。
『なにか』はアタシには見せられないものだった。
だから、ミーもネネも、『それ』を隠した。
アタシに見せられないその理由。
――アタシは部活の引退試合を控えていた。
「だから甘いモン控えるようにしてんだよ」
そんな言葉を告げた気がする。
あの付近はおいしいと話題の『お店』が新規出店されたと、当時は話題になっていた。
そして彼女の言葉。
『愛するモノは救われる、ってことだよ』
解読してみよう。
「アイス掬うってことかよっ!!」
あいつら意味深にアイス食ってただけじゃねーか!
思わせぶりすんなよ!
てか、アタシも誘えや!
いや、試合前で食えねーけども!
「はあ……」
何ともくだらない真相に落胆した。




