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二 対決

 氏郷は天正十九年(1591年)春に朝鮮派兵の軍議に際して京都聚楽第に参内した。


 そこには今は秀吉に臣従を誓っているが、十年前までは、互いに敵として争っていた各国の統領が集まっていた。その中で、織田家の家臣であった時代から、秀吉に従った者達の発言力は大きい。

 氏郷、前田利家は秀吉の座る座に最も近いところに座ることが出来た。

 ただ、今回の朝鮮侵攻に関しては、秀吉譜代の連中の鼻息が荒い。

 九州征伐、小田原攻め、九戸政実くのへまさざね等を討った奥州仕置きの数々の勝利に酔っていた石田三成は、あるじ、秀吉の意を批判することなく受け入れ、それを実現することを第一義と考えている。

 三成には腹に勝算があった。それは秀吉の数々の遠征、戦闘を裏で支えてきた勘定役の自信であった。

(この男、戦場には出ぬ癖に出しゃばるものよ。朝鮮は海を越えねばならぬ。それが内地戦と全く違うことが分からぬのか!)

 少し下に座る徳川家康、上杉景勝、その家老、直江兼続等も同じ事を考えているらしく、氏郷と利家をちらちらと見ている。仏教の一宗派である一向宗にさえ、何十年と血みどろの戦いをしなければならなかった。それを再び、言葉も通じぬ外国に行ってやるだと!外国に国を踏みにじられた民によって、それ以上の抵抗にあうのは必至だ。


 だが、三成を憎む加藤清正の一声で軍議が決まった。

 単純な清正は、三成の言いなりになることを嫌い、自らが先陣となることを秀吉に宣言してしまった。秀吉に心服する清正が、心ならずも世の悪逆の進行を促した。

 あとは明日の風が吹く、である。それに続き清正と同じ気持ちの浅野、福島、鍋島などが名乗りを上げた。幸いにも、殆どの東国の大名はその距離の問題で後陣を許された。だが例外もあった。

 秀吉がその目を細めて、越後を領する上杉景勝の後ろに座っていた直江兼続を見た。そしてそのあるじに言う。

「のう、景勝殿・・・御身には儂の名代を頼みたいのだが」

 直江兼続は文武に長けた戦国武士である。その知略は大名としても余りあるものがある。秀吉は過去に、兼続を大名に取り立てようとしたことがある。上杉景勝の家老ながら、大名分の領地、米沢を景勝の領地の他に与えようとしたのである。兼続が受ければ秀吉自身に臣従することになる。

 兼続はこれを体よく断ってしまった。

 だが、秀吉はまだ未練を残し、この主従に気を使っていたのだ。景勝と兼続は後に関ヶ原の戦いで家康と対立したが、この時は景勝の判断で兵を動かさなかった。兼続は憤慨した。

 だが、東軍が勝利した後、上杉家を救ったのは兼続であった。この主従、つまり抜群の信頼と絆で、戦国期を生き抜いたのである。


 各大名の大体の役割を、数日掛けて決めていくことになった。今年、七月からは九州、松浦郡名護屋に前線基地の城を築くことになった。清正、寺沢広高が普請奉行となった。


 軍議が進むある夜、夕餉が終わり、後は聚楽第の外にある屋敷に帰る者、金襴の襖と天井に囲まれる大広間にしばらく居残り、酒を飲みながら談笑する者に別れた。手柄の自慢をする者や、戦場で遭遇した強敵の話をして、それはどこの誰であるということを初めて知り騒ぐ。

 その中の一団に、氏郷は伊達政宗を見つけた。『伊達者』の呼称が後に生まれたほど、よく目立つ格好をしていた。ひときわ高く髷を結い、領地の豊富な織物の生産を示す艶やかな狩衣を着て、その片眼には金糸の唐草模様が入った布の眼帯をしている。

 笑いさざめく大名達の中で、直江兼続と話し込んでいる。回りに大きな輪が出来てやりとりを聞いていた。兼続が扇子で正宗が持ってきた小判を放り上げては裏表を見ていた。

「私の手は上杉のために軍配を持つにより、金子などで汚せませぬ故、ご免を」

 正宗が忌々しそうにそれを聞いて、作り笑いをしていた。

 そこに氏郷はずいと入って座った。


 正宗の顔が一瞬引きつった。

 氏郷はまずは清十郎の言ったことが真実か、見極めたかった。そして氏郷はその表情を見て確信した。

 正宗の顔を鋭い目で見た。

 兼続は二人の異常な気配を感じ、金を乗せたまま扇子を下に置き、姿勢を正した。部屋の隅の大柱に背をもたせて談笑していた、前田利家と加藤清正もそれに気づいて彼らを見る。

 正宗は皆に注視されていることを感じ、緊張したが、それを跳ね返さねばならぬと思った。氏郷が何の為に来たか分かっていた。だが、しらを切り通さねばならない。

「・・・これは松坂少将殿(氏郷の称号)。お久しぶりで御座る」

 正宗はうやうやしく頭を垂れた。

 この二人、仇敵といっても過言はない。

 小田原征伐の時、氏郷は前田利家と共に、征伐になかなか加わらなかった正宗の助命を取りなしてやった。その時は信頼関係を築けたと思ったが、秀吉の命で、氏郷が会津へ移封となると関係は冷え込んだ。秀吉は正宗の牽制のため、信頼の置ける氏郷を移封したのだ。

 そして、陸奥で起こった大崎義隆の旧家臣団の一揆『大崎・葛西一揆』の出兵の際、正宗が氏郷を暗殺しようとしているとの噂が耳に入った。氏郷は正宗をもう信用しようとしなかった。

 とにもかくにも奥州の戦いは骨が折れる。平将門、奥州藤原氏から続く独我独尊の気風の強兵強馬と堅牢な城塞。その北の気候は兵を疲れさせ、時間に追い立てられる。秀吉も従うなら害をなさずという方針で、正宗を許したのだ。だが、この北国の猛将への警戒は怠ることは出来ない。


「正宗殿。こちらこそ、ご挨拶無しで失礼仕つかまつる」

 氏郷の威厳のある対応で、その場の緊張は一旦和らいだ。

「・・・して、拙者に何かお話しでも御座いましょうか?」

 氏郷はにっこり笑うと、頭を掻いた。

「・・・いや、話というのは・・・ちと困ったことがあり、どうしようかと迷っていたところ、知略に富む正宗殿や兼続殿、そして剛勇を誇る皆々様を見て相談してみたくなり・・・いや、お恥ずかしい」

 天下の少将、蒲生氏郷の悩みとは!声を聞く者どもは皆、膝を乗り出す。

 福島正則が高い声で言った。

「ほほう!少将殿ともいたすお方が!なんなりと!なんなりとお聞きしようではありませぬか!」

 帰り支度をしていた大名や従者達も座り直し、興味深げに聞き耳を立てる。


 氏郷はしたりとした顔で皆を見て、

「・・・実は、一人愛らしい小姓を手に入れたのだが・・・」

 皆はほうと言うと、次の瞬間、大笑いが起きた。

「少将殿!いや、お若い!」

「なかなかに!それはそれは見目麗しいお小姓でしょうな!」

 氏郷の小姓好きは有名であった。名古屋山三郎なごや・さんざぶろうという美童と謳われた家臣を寵愛したことは有名で、山三郎が戦場の槍で名をなした後、諸国修行に出ると、代わりに常に側に美しい少年を従えていた。ところが、この参内ではすでに成長した世之介達側近の他、誰も連れていなかったので皆、おやと思っていたのだ。

 ただ、この時代に美しい小姓を侍らすのは普通のことであった。才知に富み、命を捨てて臣従する者を幼少のころから育てるのは、跡継ぎたる男子をもうけることと同様、統領としての甲斐性であったのだ。健気で幼い家来を、あるじは可愛いと思わないわけは無い。


 正宗は清十郎のことを問われるのか内心、気が気ではない。

「・・・そのお小姓が粗相でもしましたか?靡いてくれぬとでも?」

 この言葉にも皆大笑いが起こった。高い天井がわんと鳴った。何事かと茶坊主が飛び出してくる。

「・・・それがその者は、実は儂への刺客だったのだ・・・」

 笑いが止まった。

 しんとして氏郷の次の言葉を待つ。

「・・・だが、儂はその者が可愛い。高々十四にして武士としての名を捨て、死を覚悟し、親より先立つ不孝も顧みず、ただただ、あるじの為に身を捨てて儂のところに来た。捕らえてはみたが、誠に殺すのは惜しい」

「・・・誰が送ったのか分かったのですか?」

 正宗は覚悟をした。これは一悶着は避けられぬ。

「いや・・・聞く気はない。儂はそやつにあるじへの手紙を持たせ、褒美を与え、許そうと思う」

「ほう、その手紙にはどう書かれるのです?」

 傍らの直江兼続が興味深げに聞いた。

 氏郷は感極まった様子で、目を閉じ上を向いてそらんじる様に言った。

「・・・この幼き勇者のあるじ殿へ。この者、忠なることこの上無し。孝なること天下に紛れも無し。不運にも務めを果たすことなく御許へお返しする・・・」

 氏郷は一息突くと調子を変えた。

「汝、如何にせんや?この者に死を給わば即ち、股肱の臣を殺し自らの信も殺す也。しからば、我のもとに戻し給え。我が臣として迎えん」

 皆がしんとして聞いていた。そして加藤清正が、鼻をすすりながら叫んだ。この男は直情型で涙もろかった。

「いかにも!少将殿!」

 皆一様に、

「いかにも!」

「まっことその者、真の勇者よ!」

「殺すなかれ!」

 兼続がくっくと笑いながら言った。

「氏郷殿。私もそのような者、欲しいものです。のう、正宗殿?そのような者を得る為なら、その扇子の上の金を幾ら積んでも惜しくはないものよ」


 正宗は氏郷にしてやられたと思った。兼続も事実を理解したに違いない。そしてその刺客は清十郎のことに間違いない。奴はしくじった。しかし、これで清十郎が何もなさずに帰ったとしても、咎めることは一切出来なくなった。罰すれば、緒家の笑い者になろう。

 正宗は氏郷に向かって拳を突き、うやうやしく言った。


「・・・まっこと、その通りと存じ上げます。さすがは少将殿。もののふの鏡。感服仕った!」

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