2.シンデレラvs王子
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武闘会のルールその壱。
負傷など、戦えない状態でない限り申し込まれた対戦を断ってはならない。
武闘会のルールその弐。
対戦相手とは正々堂々と戦い手加減してはならない。
手加減することは相手への侮辱とみなされるからである。身分に関係なく、戦いには全力で臨まなければならない。
武闘会のルールその参。
試合結果に不服を申し立ててはならない。また後々、試合について対戦相手と問題を起こしてもならない。
武闘会のルールその四。
王子が求婚を申し込んできたとしても、試合の結果自分の夫に足る強さを持ち合わせていないと判断すれば、闘女はその求婚を断ることができる。
逆に、試合の結果王子が自分の妃になり得ないと判断した場合、王子は花嫁候補として認めたことを破棄することができる。
この国は小国で一方を海に、周りは二つの大国に囲まれています。小国ながらも今まで大国からの侵略を許さなかったのは、二つの大国がお互いに牽制し合っていたということもありますが、この国の軍事的な強さも大いに関係しているのです。
大国の軍隊は野盗化したゴブリンの一団に襲われただけで悪戦苦闘してしまいますが、この国の軍隊はゴブリンよりも凶暴で巨体なオーグルという巨人の一団を圧倒し、装備が整ってさえいれば凶暴なドラゴンをも退けます。
それを可能にしているのが、この国の大人から子供まで行っている徹底した自己鍛錬なのです。
自分たちの国を護るため、乙女たちも自分の伴侶となる男性には心だけではなく強さも求めます。
特に貴族や王族への目は厳しく、地位が高くなればなるほど、男性は強くあらねばならないのです。
エラと王子が武舞台に上がりました。
観衆だけでなく、他の武舞台上の闘女たちも今から始まる二人の試合に固唾を飲みます。
「さて。ねえキミ、試合を始める前にお名前を聞いてもいいかな?」
「は、はい。私はエラ……し、シンデレラ。シンデレラと申します」
微笑む王子から名前を訊ねられ、エラはとっさに嘘をついてしまいました。
恋愛経験のないエラにとってこの武闘会は自分を試すためのものであり、王子の花嫁候補――結婚そのものにまだ興味はなかったのです。
それに――
「最近は鍛錬もしていなかったからな~。身体が動いてくれるといいけど……」
初めに話しかけてきた時と違い、小さな声でつぶやく今の王子からは風格が感じられません。腕を伸ばして準備運動はしていますが、アンよりも細いその腕は本当に試合ができるのかと疑ってしまうほどです。
「優しそうではあるけれど――大丈夫かしら、あんな王子で……」
――どこか頼りなさそうな王子はエラにとって恋愛対象として映っていません。
「こんなもんかな――。シンデレラ、準備はできたかい?」
「はい、大丈夫です。いつでもいけます」
王子の言葉に頷き、二人は武舞台中央へ進みます。
(王子には悪いけど、さっさと終わらせてしまおう)
一礼しながらそう思ったエラは、試合開始のドラが鳴り響いた瞬間飛び出しました。
しかし、エラはすぐに自分の考えが間違っていたことに気付いたのです。
飛び出してから放ったローキック。そして体勢を崩したところへ顎に掌底をあてて脳震盪を起こさせノックダウン――。
それがエラの思い描いた展開でした。そして、そうするために全力で王子へ仕掛けたのですが……。
(あ、あたらない? なんで!?)
突き、蹴り……エラの攻撃はことごとく王子にいなされてしまいます。
まるで雪折れしない柳の枝を攻撃しているかのように手ごたえがありません。
「見ているのと実戦は全然違うね。俺の側近の兵士たちのなかにも、これだけ速い動きをする者はなかなかいないよ」
王子は微笑みを崩すことなくエラを褒めます。
「ま、まだまだですっ!」
エラは王子の手を取ると、自分へと引き寄せながら王子の腕の下へともぐり込みます。
このままでは肩の関節が外れてしまう王子は前転しながら逃れますが、それこそがエラの狙いでした。
身体が密着する接近戦――関節技で勝負を決めに来たのです。
王子の手を離していないエラは腕十字固めを仕掛けます。しかし王子は体を押さえられる前にもう片方の手でエラの足を取り上体を起こしました。
これでは、エラは王子の腕にしがみついているだけになってしまいます。
そこでエラは王子の腕を離し、後転して起き上がると上体を起こしたままの王子の胸へと蹴りを放ちました。しかし王子は後ろに転がって蹴りを躱すと、その勢いを利用して腕で跳び上がって立ち上がります。
「次は俺の番かな?」
微笑む王子の言葉が終わらぬうちに、エラの胸元に蹴りが放たれました。
両腕をクロスさせて防いだエラですが、その蹴りはエラの身体を浮かせ、縦に寝転んでいる人二人分ほど飛ばされてしまいました。
それはアンの蹴りよりも鋭く重い一撃です。
「こんな……こんなはずはないッ!」
腕の痺れも忘れ、エラは叫んでいました。
それはエラにとってとてもショックな展開でした。幼い頃から鍛錬を重ね、継母や姉たちにいじめられながらも日々の鍛錬を怠ったことはありません。そんな自分の攻撃がまるで通用しないのです。それどころか遊ばれているような気さえしてしまっています。
「こんなはずはない? うん、俺もそう思う。だからさシンデレラ、いい加減本気になってくれないかな?」
「なっ!? お、王子は、私が本気で戦っていないとおっしゃるんですかっ!」
王子の言葉にエラは思わず声を荒げます。
手加減をするのは対戦相手に失礼――ルールにはなくても、エラは手加減をするつもりはありません。王子の言葉は侮辱としか受け取れないのです。
それにここまでの展開をから「手加減しているのは王子の方じゃないですか!」という感情もこもってしまいます。
「本気で戦っていないとは言ってないよ。でも、シンデレラはまだ内なる力を隠しているような気がする――違うかな?」
「そ、それは――」
エラは口ごもってしまいました。王子の意見は的を得ていたのです。
それはエラもまだ完全には習得していない技――数年前、父が商談で訪れた遠い東の国で体得してきた技を習っていたのです。
「見てみたいな。――実をいうとね、俺はこんな武闘会で花嫁候補を選ぶつもりはなかったんだ。でもそれがしきたりだから仕方がない。俺はシンデレラなら――そう思ってはいるけれど、キミが嫌なら断ってくれても構わない。でも、その前にシンデレラの、闘女としての真の強さというのを見せておくれ」
王子は今の自分を花嫁候補ではなく闘女として見てくれている。それを感じ取ったエラは意を決しました。
「――わかりました。王子に、今の私のすべてをお見せします……」
エラはガードを下げ、深く息を吐きました。
そして特殊な呼吸法を繰り返します。
エラが行っているのは自分のリミッターを一時的に解除する呼吸法です。
人間は、本気を出しているつもりでも本来持っている力の三分の一程度しか出せていないそうです。エラは特殊な呼吸法で集中力を高めることで潜在的に眠っている力を起こしています。そうすることによって、エラの力と速さは別人のようになるでしょう。
しかし、それは諸刃の剣でもありました。それは潜在的に眠らせている力のすべてを出してしまえば、その自分の力に身体が耐えらないのです。戦いが長引いたりエラが自分の限界を見誤れば、最悪体中の筋肉や血管が切れ、二度と戦えなくなるかもしれません。
それでもエラはリミッターを外します。最初に思った王子への印象はとうに払拭されています。今はただ、闘女としての自分を王子に見てほしいのです。
呼吸を落ち着けたエラは顔を上げます。
見た目は何も変わっていませんが、内から漲る力は気迫となって王子の武者震いを誘いました。
「これは――。観衆たちには伝わりにくいだろうな……」
王子は手を上下に開いて防御の構えをとります。
エラの変化は気迫をあてられている王子にしか感じられないでしょう。
達人は達人を知る――。王子が構えたのは、エラが自分と同じレベルに達していると認めた証しなのです。
「では王子――いきますっ!」
エラが王子へと駆けた――かと思うと、次の瞬間にはエラは王子の懐へともぐり込んでいました。
(さっきよりも段違いに速いっ!)
驚愕する王子。
今まですべての攻撃をいなしてきた王子ですが、今のエラが下から放ってくる掌底をいなすことは出来ず、顎を引いて間一髪でそれを避けます。続いて迫ってくるハイキックに対しては避けることも間に合わず、肩口でガードするのが精一杯でした。
これには観衆もどよめきます。さっきまでとは正反対の展開になっていたからです。
王子もエラに応戦します。
エラの間合いの外から放つローキック――しかしエラはバックステップでそれを避けると間髪入れず踏み込んで王子のボディーを狙います。まだ片足が浮いている王子ですが、立っている足一本で横へ飛び、体をスライドさせて掌底を躱します。そしてその場でコマのように回ってエラの首筋に手刀を振り下ろしました。
「くッ!」
それをまともに喰らってしまったエラから声が漏れますが、それでもただでは倒れません。両手を床につけて前のめりになった体を支えると、左足を背中につけようかという勢いで振り上げました。
それは王子の死角からの一撃。エラの踵が王子のこめかみにあたり、思わず王子がグラつきます。
反撃の機会ではあるのですが、態勢の悪いエラは間を取りました。それは王子も同じだったようで、二人は反発した磁石のようにその場から離れます。
「これは煽り過ぎたかな……でも、これはこれでおもしろい。シンデレラ、俺はキミのすべてを受け止めてみせよう!」
「私も――王子のすべてを受け止めさせてください!」
再び一進一退の攻防を繰り返すエラと王子――。
いつしか、観衆は声を上げるのを忘れて二人の試合を見つめていました。
武舞台上を縦横無尽に――まるで流麗な舞を舞っているかのような戦いに心を奪われていたのです。
そして戦いに集中するなか、エラと王子の気持ちに変化が生まれます。
(シンデレラ。さっきは“嫌なら断ってくれても構わない”と言ったけれど、この言葉は撤回させてほしい。俺は花嫁としてキミを迎え入れたい。俺に足りないものがあるのなら、それを補う努力をすることを約束しよう。だからどうか――この俺の花嫁となってくれ!)
王子はエラを『候補』ではなく、花嫁として迎えたいという決意を固めました。
一方、恋愛経験のないエラも――
(この気持ちはなんだろう――? 私は武闘会で自分の力を試したかっただけなのに、今は“このままずっと王子のお傍で寄り添いたい”――そんなことを考えている……。例えるなら、ゴブリンの一団くらいなら二人で蹴散らせる自信というか、背中を心配しなくてもいいという安心感というか――。王子といれば私は私らしくいられるような気がする)
考えが定まっていないものの、王子に対する好意と信頼感が募っていきます。
エラと王子にとって、これはとても深い心の通じ合いなのです。
皆には試合にしか見えなくても、二人にはどんな逢瀬を繰り返すよりも心を通わせることができる深い時間でした。
武闘会ではなく、本当に『舞踏会』でダンスをしているような気になっているエラと王子ですが――その時間は突如終わりを告げられてしまいます。
ゴ~~~ン……ゴ~~~ン……と、深夜12時を告げる鐘が鳴り響いてきたのです。
「うそっ、もうそんな時間なの!?」
エラは慌てました。
<いいかいエラ、よくお聞き。靴はともかく、カボチャもネズミも生き物だ。今は魔法で姿を変えているが、ずっとそのままでいられるわけじゃないよ。魔法の効力が続くのは今夜の12時までだから気をつけるんだよ>
魔法使いのおばあさんの言葉が脳裏を過ります。そして、この鐘が鳴り終わった時、自分が身に着けている籠手や道着がカボチャとネズミに戻ってしまうことを思い出しました。
「どうしたんだいシンデレラ。まだ勝負はついていないよ」
突然動きを止めたエラに、王子は戸惑っています。しかし、エラの戸惑いはそれ以上でした。
(こ、ここで元の姿に戻ったら……)
それを想像して青ざめたエラは王子に背を向けます。
「王子、ごめんなさいっ! 私、もうここにはいられませんっ!」
エラは武舞台を駆け下り、人の少ない裏庭の方へと走って行きました。
「シンデレラ? ま、待ってくれシンデレラ!」
王子が追いかけてくるのを感じますが、エラは足を止めません。
ここで姿が戻るということは、煤や灰で汚れたみすぼらしい使用人服に戻ってしまうということです。いくら強くても、エラだって若い女の子――好意を抱いた王子にそんな姿を見せたくはありませんでした。
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