1.灰まみれの闘女
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むかしむかし、お城から少し離れたお屋敷にエラという美しい少女が住んでいました。
幼い頃に母を亡くしたエラの悲しむ姿に心を痛めた父は、仕事先で出会った女性と再婚し、エラは継母やその連れ子である二人の姉とでお屋敷に住んでいます。
しかしエラは毎日その三人からいじめられています。自分のお屋敷で使用人のように扱われ、難癖をつけられては暴力を受けていたのです。
そして今日も、エラは姉たちにいじめられていました――。
「あらあら。ダメよエラ、そんな灰まみれの格好で歩き回らないでね。お屋敷が汚れちゃうから」
「灰まみれ(シンダー)のエラ……そうだわ、今日からあなたをシンデレラと呼んであげる。汚いあなたにお似合いでしょ」
二人の姉はエラを指差して笑います。
それはとても醜い笑い顔です。
「――」
エラは無言で暖炉のなかから出てきました。その姿は灰や煤で真っ黒です。
それは継母に命じられ、暖炉の掃除をしようとした時に姉たちがエラを後ろから突き飛ばしたせいでした。
貿易商をしている父は滅多にお屋敷に帰ってくることはありません。今もどこか遠くの国で商談をしています。そのため、継母や二人の姉はやりたい放題です。けれども、エラは言われるがままされるがままで一切の抵抗をしません。
継母や姉たちは父の前ではエラにとてもよくしてくれます。もしエラが姉たちにやり返し、そのタイミングで父が帰ってきてしまったならば――さみしい想いをしていた自分のために再婚した父が悲しむと思っていたのです。
その日の夜。
継母や姉たちはキレイなドレスを身に纏い、慌ただしく出掛ける準備をしていました。
「どこかへお出かけになるのですか?」
エラがそう訊ねると、継母は舌打ちをしてから答えます。
「今晩お城で『舞踏会』があるの。その場で王子様が花嫁候補をお選びになるそうよ。私たちはお城へ行ってくるから、お前は留守番をしていなさい」
「え? ブトウカイに? でも……」
「おだまり!」
エラが何かを言う前に、継母がキッと睨みをきかせます。
「まさかお前も行きたいなんて言うんじゃないだろうね……」
エラを鼻で笑う継母の隣にふたりの姉が並びます。その手にはハサミが握られていました。
「そうよ。だいたい、あなたには着ていくドレスがないでしょ? さっきあなたの部屋を見てきたら、なぜかすべての服が切り刻まれていたわよ」
「服もないし髪も灰でぼさぼさ……もうシンデレラは外を歩くことも出来ないわ」
継母や姉たちはエラを笑い、そしてお城へと出かけていきます。
洗っても落ちない汚れた使用人服姿のエラは、そんな三人を見送る事しか出来ませんでした。
「あ~ぁ。私も行きたかったな。やっと参加できる年になったのに……」
月が光る空の下。庭の芝生でエラは膝を抱えています。
姉たちが言った通り、エラの服はすべて切り刻まれていました。姉たちの仕業に違いありません。
「どうして? なんで……私がこんな目に遭うの……」
エラの目に涙がうかび、雫となって頬を伝います。
毎日繰り返される理不尽な仕打ちに、ついに心が耐えられなくなったのです。
<おやおや、どうしたんだい? 可愛い娘さんがそんなに泣いて――>
不意に聞こえた声にエラが顔を上げると、そこには見たこともないおばあさんが立っていました。
紫色の頭巾にマント。見るからに怪しいおばあさんですが、今のエラにとってそれはどうでもいい事でした。
誰かが心配して声をかけてくれた――それがとても嬉しかったのです。
「実は、今晩お城で『武闘会』があって――」
エラはおばあさんに言いました。継母や姉たちから受けている仕打ち、お城へ行きたいのだけれど着ていく道着も切り刻まれてしまったのだということを。
<それは可哀相に、辛い思いをしているんだね……>
エラを哀れんだおばあさんはエラの涙を拭います。
<そういうことなら、このおばあさんがお城へ行けるようにしてあげようかね>
そう言うと、懐からカボチャと二匹の白いネズミを取り出しました。
「おばあさん、何をなさるのですか?」
<見ていればわかるよ>
おばあさんは芝生に置いたカボチャとネズミに呪文を唱えます。
ポロリ・コロコロ・ポチャ~ン
するとどうでしょう。
カボチャとネズミが輝き出し、カボチャは手を護る籠手に、ネズミは純白の武道着へと姿を変えてエラの身に纏われました。
「こ、これは……」
エラは拳を握ります。籠手から出ている指はとても握りやすく、それでも手の甲はしっかりと護られています。そして純白の武道着も身体にしっくりくる丁度良さです。
「おばあさん……あなたは魔法使いだったのですね!」
驚くエラにおばあさんは人差し指を立てました。
<みんなには内緒だよ。それと、これはおまけのプレゼント……>
おばあさんが指を回すと、エラが履いているボロボロの靴が、まるでガラスを散りばめたようなきらめく靴へと変わります。
「すごい……素敵だわおばあさん!」
<女の子だもの。これくらいのオシャレはしなくちゃね――>
感激するエラへおばあさんはウインクを返しました。そしてエラの手を取り、こう言葉を続けます。
<いいかいエラ、よくお聞き。靴はともかく、カボチャもネズミも生き物だ。今は魔法で姿を変えているが、ずっとそのままでいられるわけじゃないよ。魔法の効力が続くのは今夜の12時までだから気をつけるんだよ>
「もしその時間をこえてしまったらどうなるのですか?」
<深夜12時の鐘が鳴り終わった時、カボチャもネズミも元も姿に戻る。つまり、エラは汚れた使用人服の姿になるってことさね>
「それはちょっと……じゃなくて、かなり困ります」
お城のなかでそんな姿に戻ったらと想像し困惑するエラに、おばあさんは優しく微笑みます。
<だから、お城へ行ってもいいけれど、12時より前にはこのお屋敷に帰っておかなければならないよ>
おばさんは微笑んだまま、スッと姿を消しました。
「おばあさん? どこ? どこへ行ったの?」
エラは周りを見回しますが、おばあさんの姿はありません。
「夢……でも見ていたのかしら?」
エラは首を傾げますが、魔法によって武道着姿なのはそのまま。決して夢ではありません。
「12時……それまでにお屋敷に戻ってくればいいのよね」
魔法が切れた時のことを思えば不安がないわけではありません。でも、エラはお城へ行きたいという思いを止めることは出来ませんでした――。
◇
「すごい……みんな凄いわ」
お城はエラが思っていたよりも観衆や闘女たちで賑わっていました。
今夜は女性だけの武闘会。城門をくぐっからの広場では、幾つものエリアに分かれた多くの武舞台で若い乙女たちが向かい合って肉弾戦を繰り広げています。
この広場や城内にいる闘女たちのなかから王子の花嫁候補が選ばれるということなのですが、エラはそんなことを忘れ、飛び散る汗、打撃音や荒い呼吸に闘志の高まりを感じています。
「――あら、あそこにいるのはお義母さまたち……」
エラは広場の隅で身を寄せ合っている継母や姉たちを見つけました。
三人とも引きつった顔で、熱狂する周囲に圧倒されているようです。
「ここであのドレスは不釣り合いよね。ま、よその国から来た人たちだから知らなかったのでしょうけど」
継母や姉たちは美しいドレスに身を纏っていますが、ここでの乙女の正装は武道着と決まっています。
継母や姉たちがいた国で『ブトウカイ』といえば晩餐会で開催される『舞踏会』のことなのでしょうが、この国で『ブトウカイ』といえば、それは日頃の鍛錬の成果を競い合う『武闘会』のことなのです。
よその国から来た継母や姉たちはそれを知らなかったようなので、驚くのも無理はないのかもしれません。
エラは継母や姉たちに見つからないうちにお城へと入りました。そこでは外の広場よりもレベルの高い戦いが繰り広げられています。
それに見とれていると、ある少女がエラに声をかけてきました。
「そこのお嬢さん。あたしと一戦交える気はあるかい?」
それはたった今試合を終えたばかりの勝者である少女です。
赤毛を三つ編みにした少女。白い肌に盛り上がる筋肉は道着を通してもよくわかります。
「は、はい! よろしくお願いします!」
エラは観衆をかき分け、武舞台へと上がりました。
かけられた声を断ってはならない――それが武闘会でのしきたりです。
「なんだ、思ったよりも子供だったな。あたしの名前はアン。あんた、武闘会は初めてかい?」
アンはまだ若いエラにがっかりした様子です。
「はい。16才になったのでやっと武闘会に来ることができました」
「なんだ、あたしより三つも下か。城内より、外の広場で遊んできたほうがいいんじゃないかい? それか、そのきれいな靴が汚れないように見学でもしていなよ」
屈伸運動をするエラにアンがそう言うと、観衆から笑いが起こりました。
「ご心配なく。私もちゃんと鍛錬をしてきましたから」
エラが微笑むと、アンは「そうかい……」と笑みを消しました。
初めてのくせに生意気だね――アンはそう思ったようです。
「アン、ほどほどにしておいてやれよ。お前は二年連続最多勝闘女なんだからよ」
観衆からそんな声が聞こえてきます。
「そんなすごい人なんだ……。よ~し、がんばるぞ!」
準備運動をしながら、エラは自分の頬を叩きました。
武闘会には二つのエリアがあります。外の広場とこの城内です。
成人たる者、熊より強くなければならない――を国のスローガンとし、この国の人々は決して日々の鍛錬を怠ったりしません。子供であっても10人いれば狼の群れと互角に戦うのがあたりまえになっています。
外の広場には城内に入る自信がない者達の試合会場となっています。エラが来た城内エリアはレベルが高く、少女であっても一人で狼の群れを退ける者も少なくありません。
武舞台中央に寄ったエラとアンが一礼してから構えます。
エラが同じ年の娘たちと比べて小さいというわけではありませんが、アンはエラよりも頭二つ分大きく、体格の差もあきらかです。
そして観衆も試合はすぐに終わるだろうと思っている空気のなか、試合開始のドラが打ち鳴らされました。
ドラの音と同時に動いたのはアン。
素早く前へ出て右の拳をエラのボディーへと繰り出します。
「そんな見え見えの拳なんて!」
エラはバックステップで拳から逃れますが、その回避を読んでいたアンはさらに大きく踏み込んできます。
「その動きも見え見えなんだよ素人がっ!」
アンは振った拳を手刀に変えて横一線に振り抜きます。
なんとか両手でガードしたものの、力強い一撃はエラの身体を浮かせました。
「すごい、腕が痺れちゃった。これが城内闘技のレベルなのね」
間を取ったエラの言葉に、アンは口もとを弛めます。
「あたしの一撃を防ぐなんて……。素人なんて言って悪かったね、ここからは本気で行かせてもらうよ!」
「望むところです!」
短い言葉を交わし、エラとアンはお互いに向かって駆けだしました。
「くらえっ!」
アンは右の拳を大きく振り上げました――が、それはフェイント。本命は走ってきた勢いを利用した飛び膝蹴りです。
まともに喰らってしまえば、エラはこの一撃で気を失ってしまうでしょう。
しかしエラは顔前に迫った膝を紙一重で避けてアンの後ろに回ります。
「素早い!? けど……ッ!」
着地したアンはすぐさま後方へ肘を打ち下ろします――けれども、そこにエラの姿はありません。
「どこだ、どこへ行った!?」
「――上よ」
聞こえた声にアンが顔を上げれば、そこには飛び上がって逆さになっているエラの姿がありました。
「いつの間に!?」
アンは驚きを隠せません。それほどエラの動きは速かったのです。
「今度はこっちの番よ!」
エラは逆立ちをするようにアンの両肩へ手を置くと、落下する勢いを利用して背中に膝を叩き込みます。そして半身を回転させながら首を抱え込み、大きな投げをうちだしました。
後ろへ反り返るアンは抵抗することができず、そのまま床に叩きつけられます。それでも、続いてエラが仕掛けてきた逆十字固めを転がって回避しました。
アンはさらに迫ってくるエラに足を上げ、逆立ち状態での旋風脚を繰り出して接近を許しません。
その圧力に、エラは再び間を取る事しか出来ませんでした。
この攻防にどよめいた観衆ですが、次の瞬間には大きな歓声を上げました。
滅多に見ることができないレベルの高い攻防に興奮します。
「なるほど、素早さで相手をかく乱し、体勢を崩したところを関節技で決めるタイプか……。その細い腕じゃ打撃は苦手そうだもんな」
立ち上がったアンは背中を押さえています。エラの膝蹴りが効いているのでしょう。
「あら。確かに関節技は得意ですけど、打撃が苦手というわけではないのですよ。要は打ち方とあてる場所、そしてタイミングさえ揃えばダメージは与えられますから。力だけに頼った攻撃をしないだけです」
「言ってくれるねぇ……」
涼しい顔をするエラに、アンの顔が高揚します。
「あたしは王子の花嫁には興味はない。だけど、年に一度のこの日のために鍛錬を続けてきたんだ。初参加の小娘に負けるわけにはいかないんだよ!」
アンがエラへと駆けます。そしてエラも――
「鍛錬を続けてきたのは私も同じです。自分がどれだけ強くなったのかを確かめられるこの日を、私だって楽しみにしてきたのですから!」
アンへと駆けて掌底を繰り出しました。
一進一退の攻防を、観衆は固唾を飲んで見守ります。
アンが〝剛〟の闘女ならエラは〝柔〟の闘女。お互いの長所を余すところなく引き出してくる戦いに目が離せません。
どのくらい攻防が続いたのか――。
エラもアンも呼吸が荒くなっています。しかし、それでも二人の目は輝いていました。この時間が楽しくて仕方がないと言いたげに、二人の顔は楽しそうです。
けれども、勝敗はいつか決するもの――。
「これでお終いだぁぁぁ!」
アンが渾身の拳を繰り出します。
「それなら、私だって――!」
エラはその拳を左手の籠手で受け止めると、右の掌底をアンのみぞおちに叩き込みました。
「ぐふっ……だが、まだぁぁぁ!」
落ちかけた膝を気力で支え、アンは左の拳を振り上げました。しかし、それが振り下ろされることはありませんでした。
「もう一撃っ!」
エラが左の掌底を、アンのみぞおちにある自分の手の甲に叩き込んだのです。
「がはっ!」
今度こそ、アンの膝が崩れて床に落ちました。
動きが止まったアンが確認されると、ここでドラが打ち鳴らさてエラの勝利が声高々に告げられました。
歓声が沸くなか、武舞台上の二人は互いの健闘を称え合います。
「負けたよ。あんた強いねぇ、こんなにワクワクした試合は久しぶりだったよ」
「そんな……。私はギリギリで戦っていましたから、ずっとドキドキしていたんですよ」
「しっかし、あんたの打撃は重いね。その細腕のどこにあんな力があるんだか」
戦っていた時とは別人のように恐縮するエラに、アンは息を吐きました。
「あれは……私は掌底で打っていたので……」
「掌底? そういえば、あんたの打撃は拳じゃなかったね」
「はい。基本的に、拳からの打撃は骨が吸収します。でも、掌底の打撃は振動という波になって相手の奥まで届くんです。相手の表面にダメージを与える拳と、内臓にダメージを与える掌底……見た目は地味ですけど、掌底のダメージの方が効くんですよ」
「そんなことを考えながら……。はは、やっぱり、あんたは大した闘女だ」
アンが差し出した手を、エラはギュッと握りました。
二人とも、とても晴れ晴れした表情をしています。
「そういえば、まだあんたの名前を聞いていなかったね。よかったら教えてくれるかい?」
アンの言葉に、エラは「よろこんで」と微笑みました。
「私はエラといいます。家ではその……シンデレラなんて呼ばれていますけど」
「灰まみれ? なんだいそりゃ」
苦笑いするエラに、アンは豪快に笑います。
そのくったくのない笑顔に、エラはどこかホッとするような気持になっていました。
エラとアンが立つ武舞台がよく見える階段の踊り場。そこでこの国の王子がエラを見つめています。
18才になったばかりの若い王子。高身長にスラリとした身体。顔立ちも整った美男子です。
「花嫁候補なんて……と思っていたが――あの娘なら……。どうかな、俺の嫁になってくれるだろうか?」
手すりに肘をかけ、王子はエラの姿に微笑んでいます。
そして、エラが武舞台を降りると王子は慌てた様子で階段を駆け下りました。
それは側近の兵士たちが追いつけないほど速い足取りです。
アンと別れ、武舞台を降りたエラは他の武舞台を見回します。
「さ~て、もう一戦。今度は誰と戦おうかな」
試合を終えたばかりだというのに、エラは次の試合に意欲的です。
「それでは、この俺と一戦交えてくれないだろうか?」
不意に聞こえたその声にエラが振り向けば、観衆が道を開けたその先にこの国の王子が立っていました。
「お、王子さま!?」
エラは驚き、観衆たちと同じように片膝を立てて控えます。
王子の登場で静かになった城内。その風格に誰もが圧倒されています。
コツコツ……という足音が響き、それがエラの前で止まりました。
「少女よ、もう一度言う。この俺と一戦交えてくれないだろうか?」
王子の言葉に城内が静かにどよめきます。
武闘会で王子が闘女に試合を申し込む――それはエラを気に入り、花嫁候補として認められたということなのです。
「で、でも……私なんかでよろしいのでしょうか」
エラは床を見つめながら赤面しています。
武闘会には初参加ですが、王子が試合を申し込んでくるその意味を知っていたのです。
「先ほどの一戦を見ていた。久しぶりに心躍る素晴らしい試合であった。そこで、俺がキミの夫に足るかどうかぜひとも試してほしい。さあ、顔を上げておくれ」
王子は片膝をつき、エラの前に手を差し出します。
「は、はい!」
エラは顔を上げ王子の手を取りました。