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暗礁を見ゆ

 じゃり、じゃり……彫刻刀の削る音が響く。

 その音を聞けば、彩角師の腕がわかるという。


 ――ああ。これは、外れだ。


 角度が浅い。研ぎが甘い。調子が外れて耳に悪い。

 あらゆる全てがこの者の稚拙さを示している。

 流行りの掻き屋と聞いていたのに、入ってみればこの程度。

 小銭を稼ぐしか能のない二級品。

 ああ、庶民相手に店を構える者は、誰もがこんなものなのだろうか。

 いいえ、いいえ。あの方は、私が惚れたあの人は、この環境でも一流だった。

 いったい何が違うのだろう。

 わからない。わからない、けれど。

 けれど、そう――。

 

 こんな下衆は、存在を許してはならない。

 

 だってそうでしょう。

 何食わぬ顔をして、二流の彫りをして、安くない銭を取って……。

 人様の頭に、そんな程度の低いものを掲げさせるだなんて。

 とてもとても、不埒なことだから。

 

「いかがでしょうか」


 得意げなその顔を、私は打ち砕く。

 打って、打って、打って。殺した。

 気に入らない角を砕くときみたいに。

 

「ああ、どうして……」


 どうして、きさまらのようなクズが蔓延って、あの人がここにいないの。

 呟きを零しながら、私は角を撫でた。

 先を丸く削った角。喪を示すもの。

 いったい、いつまでこれを掲げ続けなくてはいけないのだろう。


     ***


 姿見を見ながら、に、と笑みを作ってみせる。

 一年前、陰鬱な気持ちで見つめていたはずの鏡には、あの頃より大人びた自分が映っている。

 髪を少し伸ばしたし、化粧の仕方も変えた。そのせいか、目の鋭さが増したような気もする。

 そうして色々変わっているのに、こめかみから伸びる生白い骨のような角は、相も変わらず枝分かれしないまま。

 それでも、あの頃よりは好きになった気がする。それは毎日愛しているよと囁かれているおかげなのだろうか。


 思考しながら、ちら、と主のいない机に目を向ける。

 普段なら書類の撒き散らされているそこは、綺麗に整頓されたままだ。

 持ち主の行貞さん(だんなさま)は、一ヶ月ほど前に都市外へと連れて行かれたっきり便りがない。

 わざわざこの都市から星読みを連れ出すくらいだから、よほど忙しい事態に巻き込まれているんだろうけど。


「ちょっと寂しい、よね」


 全く、結婚前は苦手だと思っていた相手なのに、今ではこんな風に思っているのだから、人間どうなるかわかったものじゃない。

 いや、気になるのはそれだけじゃなくて、意味深なことを言って去っていったせいでもあるんだけど……。


水希(みずき)~、そろそろ時間なんじゃないのー」

「今出ますー」


 考えるのをやめさせるように、外から呼び声が掛かった。

 そうだ、私にも用事があるんだ。いつまでもいない人のことを考えていても仕方がない。


 そう思いつつ廊下に出ると、長い三つ編みを後ろ頭でまとめた、たすき掛け姿の母がいる。

 私とよく似たその顔は、相変わらず衰え知らずの美貌を湛えている。

 高く通った鼻梁に、少し薄めの唇。私とは違う垂れ目がちの柔らかな目元には、淡い翳りがさしていて、独特の色香を放っていた。


「ったく、結婚したってのに時間に弱いね」

「ちょ、ちょうど出ようと思ってたの」


 いいや、実際のところは余計なことを考えて遅れそうになっていたのだが……。


「ほんとうかなぁ」


 そんな私の嘘を見抜くように、母が目線を合わせてくる。

 垂れ目がちなその目で見つめられると、とても悪いことをしたような気になるからやめてほしい……。


 そう思いつつ視線を逃がすと、目にはいるのは小さな角。

 耳の上からほんの少しだけ伸びたそれは、喪に服していることを示す短いものだ。

 私が結婚したらやめるだろうと思っていたのに、結局今年もこのままだった。


 いったい、母はいつまで喪に服しているつもりなのだろう。

 その心は、いつまで彼岸に囚われたままなんだろう。


「ねえ、おかあ――」

「ちょっとおヤヱさん! こっち手伝って~!」


 声を掛けようとした瞬間、他の侍女が母を呼ぶ声に遮られてしまった。


「はーいよ! ごめん、何か言いたかった?」

「あ、ううん、いいの。お仕事、がんばって」

「うん。あんたも、芙蓉さんに失礼のないようにね」


 すたすた行ってしまう母を見送って、宙ぶらりんになった言葉を呟いた。


「いつまで、そうしているの……って訊きたかったんだけどな」


 母は最近忙しくて、ろくに言葉を交わせていない。

 それは機ではない、ということなのかもしれない。

 行貞さんがよく言っているけれど、言えないときは、言葉が求められていない証らしいから。

 ――それでも、訊きたいんだけどな。

 口には出さず、胸中でそう呟いて、私は歩き出した。

 


 いつもなら門の前で私におまじないをしてくれる旦那さまはいないので、少し寂しさを覚えながらも街中へと出る。

 ほんの一枚、壁を隔てているだけなのに、そこは騒がしさで満ちている。

 角のある人、ない人、足が馬であるもの、トカゲのようなもの……いろいろなヒトが行き交う大通りを南へ、南へ。

 飾角族が住む区画で、職人街と言われるあたりまでくれば目的地はもうすぐそこだ。


 様々な色合いの幟が掲げられた掻き屋が並ぶ中、いつもの赤い目印を探していると、妙に他の店が騒がしいのが耳に付いた。

 約束の時間にも少し遅れているし、無視をすればよかったのだけど、ふと耳の奥に行貞さんの声が蘇ってきて、私も野次馬になることにした。


『まただって……』『最近多いね……』『物騒なことだ』


 重なる声音を掻き分けながら、人垣を抜けた先にあったのは、暖簾もかけずに戸を開け放った一軒の掻き屋だ。

 確か、最近繁盛しているという店で、芙蓉が客を取られて苦労していると零していた気がする。

 そういう流行り廃りはよくある話だけど……いったいどうしたのかと少し首を伸ばせば、その赤が目に付いた。


 いや、赤というよりは黒、か。


 ぐしゃりと果物を踏み潰したような、そういう液体の飛び散り方をした土間がそこにはあった。土間の土色に、やけに映える骨の色が嫌でも目に付く。

 死体は、もうない。だが、ここで人死にがあったことをありありと語っていた。


 くらり、とめまいに似た感覚を覚える。

 ついさっき蘇った声が、頭の中で反響する。


 ――何かが起こるよ。僕には、そうとしかいえないけど。


 聞いたときには、曖昧としか言いようがなかったもの。

 けれど、彼が伝えなくてはと思うほどのものだ。


 ずっとそれを考えていた。それが、これ、なんだろうか。

 それとも……これは、切っ掛けでしかないのだろうか。


 少し気分を悪くしながら、私は芙蓉の元へ急ぐ。

 今は早く、あの顔を見て、この現実味のなさを拭い去りたかった。


 だから、ただ走った。

 恐ろしいものから逃れるために、赤い幟を目指してひたすらに駆ける。


 そこには芙蓉がいるはずだ。

 私の大切な人。師匠であり好きな人。

 けれど、見せ付けられた死が、嫌な想像をさせる。


 ――遠ざかっていく(ひかり)。遠すぎて、早すぎて、置いていかれる。


 いつか見た星読みの視界。そこで突きつけられた感覚が、私の心をざらつかせる。


 ああ、芙蓉。

 どうかそこにいて。


 そう願いながら足を動かして、私はようやくいつもの見慣れた幟にたどり着いた。

 店には暖簾が掛かっていて、戸は開け放たれている。

 普段なら『ずぼらだな』と思うだけのそれが、今はひどく胸を騒がせる。


「芙蓉!」


 叫びながら飛び込めば、彼女はいつものように診察台に座ってタバコを()んでいた。

 短く切り揃えられた頭髪には傷はなく、筋肉質な総身にも汗が浮かぶ以外には何もない。

 鋭さを含んだ女性的な顔も、私の彫りを待つ、牙向くような形の逆角(さかづの)にも、なんら瑕疵はない。


 ――無事だ。無事でいてくれた!


 私が叫びながら飛び込んできたからか、紙束から目を上げて、驚いた様子をしている彼女に、逃げこむようにして抱きついた。


「芙蓉、芙蓉!」

「ちょ、ど、どうしたの……」


 訳がわからないという声を上げながらも、彼女はその大きな手で、よしよしと私を撫でてくれる。

 私は呼吸が整うまで、そうして彼女の腕の中に甘えていた。

 

     ***

 

「ああ、それは嫌なものを見たね……」


 店の奥から持ってきてくれた白湯を飲みながら狼狽の事情を話すと、芙蓉は同情するように改めて抱きしめてくれた。

 そこは、母に似てとても温かくて心地がいい。

 鍛えてるせいか、少し硬いのが難点だけど。


「ちょうど、うちにも注意しろって(ふみ)が回ってきたところでさ。話をしようと思ってたんだよね」

「え、うちにはまだきてませんけど……」


 胸元から体を離して芙蓉を見上げると、彼女は困ったような顔をした。

 名を与えられたことは公式に認定されているはずだし、そんな重要そうな文がどうして届かないのか。


「うちにも今朝きたから、帰ったら届いてるんじゃないかな。水派の方に先に回してたみたいだし」


 それはどういうことなのだろう。

 疑問に思いつつ、奥へ引っ込んだ芙蓉が持ってきた文に目を通した。


『近頃、水派に属する彩角師が襲われる事件が頻発している。念のため注意されたし』


 走り書きのような筆致が踊るそれには、私や芙蓉が属する綺羅派のお偉方の花押印が添えられている。


 なるほど、被害者が他の派閥に限定されているから、書状が出回るのが遅れたのだろう。

 配達員さんの数もそう多くはないし、向こうを優先していたのなら、仕方のないことかもしれない。


「なるほど……」


 とはいえ命に関わることなのだから、もう少しなんとかならなかったのかとは思うけれど。


「ま、水希は店も出してないし、襲われることはないと思うけどね」

「芙蓉は大丈夫なんですか?」

「自衛はしてるよ。女だてらに店構えてると、これに限らず変なのは寄ってくるからねぇ」


 そう答える芙蓉の言葉は、不思議と中身がないように感じられた。


「本当に?」


 この人は、どうにも自分の綺麗さを軽んじている嫌いがある。

 筋肉質だからなのか、背が高すぎるからなのか、あるいは他に何か理由があるのか。

 原因はわからないけれど、自分を低く見積もりたがるのだ。


「ほんとほんと」


 軽口じみた声音は、やっぱり中身がない。

 疑ぐりを視線に載せて、じっと、その目を見つめていると、小さくため息が聞こえた。


「だって仕方ないでしょ~。研究やら道具の手入れをしてたら、遅くまで残らなきゃいけないし。ここで手を抜くと、あとに響くしさぁ」

「今だけやめるとかは無理なのですか?」

「そう甘くないからねぇ。まぁ、どっちに重きを置くかって話なんだけど……」


 自分の命か、それとも最高の彫りをすることか。

 大抵の人なら命をとるはずだけれど、それ以上に優先してしまうというのは、わからなくはない感覚だ。

 私自身、真に選択を迫られたとき、どちらを選ぶかわからない。


「でも……」

「言いたくなる気持ちはわかるからさ、この話はよそう? 喧嘩になっちゃう」

「……そう、ですね」


 じゃあ、と話を変えた。


「芙蓉は私が時間を取ってもらって彫りますけど、他の人たちってどうやってるんですか?」


 無地のままでいようと割り切る前は、どうやって時間を作っていたのだろう。

 閉店時間にならないと、暇が出来ないはずだが……。


「ん~、知り合いの連中は、自分都合で店を閉めていくか、店じまいの後に行くってのが多い感じだったねぇ」

「それって、わざわざ向こうに待っていてもらうってことですか?」


 商いを終えたら研究や刀の研ぎに忙しいと言ったのは、芙蓉自身だが。


「そそ。研究は剥落した角でやることが多いけど、やっぱり生の角に触れるってのは、機会を増やしたほうがいいからね。どうしても乾燥とか位置関係とかで感覚が違うし、職人同士だと気兼ねなく突っ込めるっていうのもあるし」

「ああ、なるほど……」


 そこは盲点だった。なるほど、研究会を開くようなものなのか。


「上下があるときはそうもいえないけどね~……あとはまぁ、単純にお忍びで来たいってお客さんとかのときは、店じまいしたあとでも受け付けることがあるよ」

「大変なんですね……」


 そうまでして来たいと選んでくれるのは有難いだろうけど、出来ればマトモな時間を選んで欲しい。

 夜道は危ないし、体にも悪いし。


「呼び出されるよりマシよマシ。道具運ぶの大変なんだから……水希はそういうのなくて楽な子だな~って思ったよ」

「実際は大変な子でしたけどね」

「そうそう。ってこの子はもう……」


 私の諧謔じみた言葉に、芙蓉が額を小突いてきた。


「ごめんなさい」

「茶目っ気だすのもほどほどにね。さて、それじゃそろそろやるからね。今日はどうしましょうか、お客さん」

「いつものものでお願いしますわ店主様」


 はいはい、とけだるい答えが返ってきて、なんだかおかしくなって、二人で笑ってしまった。

 

     ***

 

 それから、少し。彫って、彫られて。互いの角に、互いの彫刻を掲げあって。

 お疲れ様と労いあってから、私たちはいつものように別れる。

 その去り際に、彼女はふと思い出したようにもう一通、文を持ってきた。


「そういえば、人相書きもついてたんだった。私は覚えちゃったからいらないんだけど、帰りに読んでいく?」


 たぶんきっと、家に帰れば同じものが届いているだろうけど……そう言いつつ渡されたそれを、突き返すのも悪いような気がして、そのまま懐へしまった。

 届いていないことを考えて、なるべく早く知ったほうがいいだろうという気遣いだったのだろうけれど、どうも体よくゴミを押し付けられた気がしてならない。

 いいや、嫌というわけではないのだが、普段から外出しない身としては不要な気もする。

 それに覚えたとはいっても、他人に説明するときに必要だろうに……。


「芙蓉ったら」


 言い合いを避けた以上、気にしたところで詮無いことだ。

 ゆったりと家へ帰る道すがら、足を休めようと茶屋で一休み。

 幸いなことにまだ残っていたお団子をお茶と共に楽しみながら、文を開いた。


 ――簡素な筆遣いの似顔絵に添えられた説明文に、背筋が凍りつく。


 描かれていた顔つきは、母によく似たものだった。

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