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第九十九話・世の中はやったモノ勝ちだとしたら納得しがたいものがある

 元いじめられっ子の私は、やられる側の味方です。人の心を傷つけて平気な人は意識的、無意識的にかかわらず特定への相手の気遣いというものが欠落しています。いじめとまでいかぬとも、相手によって態度を変える人もその範疇に入ると思っています。他人の心の醜い部分、行動を見るにつけ、世の中、神経が図太い方がうまくこの世を泳ぎ切ることができるのだろうかと思っていました。極端な言い方をすれば大きな事件を起こす加害者側は時代を作るとまで思うのです。被害者は被害者で問題解決のために強くもなりますが、別の面から見ると被害者は常に加害者がやった過去の出来事に振り回されているともとれる。その上、世間にこれは小さな事件だと思われると、ニュースにもならず、泣き寝入りするか話題にもならず埋没することも多いはずです。

 私は世の中、まじめに生きている人が損をして泣くようになっているのか、とまで思っていた時期もあります。正直いうと今も少しはそう思っています。

 同時に私自身も知らずして人を傷つけているかもしれぬと自戒もします。誰も指摘しないことこそ、自身がそれぞれ気をつけないといけない。でも周囲に気遣いをしすぎて己の心に我慢をさせてしまうこともいけない。己の心の一部を己で殺してしまうのも己がかわいそう。

 成人して心理学を学んで以来、自己卑下、自己嫌悪に浸ってしまう己が不思議でした。幼いころの境遇や両親の態度もかなりの影響を受けているのは当たり前だが、その当たり前の思考だと思っていたこと自体、おかしかったことにショックを受けました。しかし過去のことが判明しても現在も未来もどうしようもない。


 話を飛躍させますがこの世に犯罪があるからこそ、鍵や金庫、銀行の存在がある。警察もある。警備会社も存在する。そんな世の中であるからこそ、心理的にも強くありたいものです。でも幼児から横並びでみんなと仲良く、みんなと一緒、ということが当たり前の時期が長かったからこそ、心理的落ちこぼれだった私には生きづらい世の中でした。

 このエッセイで何度も書きましたが私にかかわったいじめっ子は今でも憎いです。夢の中では当時の幼い私に戻っているので泣いてばかり。逆に良い夢はない。しいて言えば空を飛ぶ夢、海に沈みゆく駅を眺める夢、小さな部屋に向かう夢……そのぐらい。その上、一貫して人間は出てこない。仕事中の夢であってもです。これをさみしいと感じるべきことかどうかもわからぬ。

 ある精神科医は元いじめられっ子でしたという人は、やはりどことなく、いじめられる要素があるよ、と言い切りました。業務中の会話だったので「そうですか」 といいつつも、元いじめられっ子としては、そのセリフは心にぐっさり刺さりました。反論もできず、どうしようもなく、そのままです。仮に己に原因があったにしろ、またちょっと変わったユニークフェイス、言動をとる子供であったにしろ、嘲笑されてその小さな世界の中で排除されようとしたことは未だに許せない思いでいます。

 世の中はどういう理由につけ、やったモノ勝ちなのです。私自身そういう経験を経ているために、たとえ相手が幼児であろうと、丁寧な動作をするように気遣いだけは忘れぬようにと、それだけは肝に銘じております。

 次回でこのエッセイもおしまいです。


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