第九十七話・オバン・後編
父の死亡後から亡父の導きかと思うような出来事がありました。祖父と曽祖父を知っている人が出現したのです。父が唯一取得できた土地は、オバンたちがこれは不要だからくれてやるといったものです。案の定トラブルが起こり調停になりました。その時の境界線と昔の土地のことで法務局から登記簿謄本を取りました。そこから隣の土地の持ち主が判明し、連絡を取った相手が祖父の知己でした。
しかし判明した当時でさえ年齢四捨五入して百歳……亡くなっている可能性大です。仮に生きてはいても老人性痴呆が出てしまえば境界線どころか会話自体してもらえるかどうかというところ。その土地から家族ごと出ていっている可能性も大きい。その血縁者さんが昔の古い土地の境界線の話を聞けるかなあ、無理だろうなあと諦めつつ、電話をしてみたら、なんと本人が出た。
しかも祖父の名前をいうと嬉しそうな声になって「あ~◎◎ゥ~、覚えてるよ。じゃあ、あんたは◎◎の孫かいなぁ~」 という!
……この◎◎は祖父のあだ名でした。ニックネームのことですが、私はその時に初めて知りました。この人をVさんとします。
調停のこともあり、速攻で会う約束を取り付け大急ぎで謄本のコピーやら資料をかばんに放り込んでVさんの家にタクシーで乗り入れる。インターホンを押すと電話と同じ声がして「そのまま入れ、そして上がってこい」 という。玄関には施錠なく恐る恐る開けると車いすがばーんと置いてある。で、恐る恐る上がらせていただくと布団が敷いてあり、そこでVじいちゃんが半身を起こして待っておられた。
「◎◎の孫といったな、よう来た。懐かしいな」
私も本当にうれしかったですね……昔の境界線上とその他の土地との兼ね合いがわかり、ほっとしました。調停になったいきさつも話しました。
Vさんは「あんたの父親、つまり◎◎の息子が亡くなったとたん、調停か。そりゃあ店子の行儀が悪い。しかしあんたの父親も悪いで。だってちゃんと睨みをきかせられなかったから訴えられてんからな、裁判になったらもっと金と時間がかかるで」 とはっきりいう。
四捨五入百歳の人から何故か怒られる私。そんなこと言われても……ですが、神妙に説教を聞いていました。
Vさんは近辺の畑を全部駐車場にして管理しているらしく、布団の横にホワイトボードに線を引いて数字を打った横に賃借人たちの名前を書いていました。帳簿も枕もとに広げたままおいてあります。普段飲まれている薬も数種分包されたものがむき出しのままおいてあります。職業柄、ちらとみてぎょっとする。外来通院では気を遣う薬が出ていたからです。突き出された足には、筋肉がなく骨に皮膚が張り付いている状況。そりゃ歩くには危険で車いすを使用しないと外出はできないでしょう。何よりも口は達者でも年齢を考えれば、よく私と会ってこうして昔話ができたなあと思いました。調停での話し合いに必要な過去の土地の話が終わり、祖父との話をせがみました。すると、このVさんは祖父に続く元近衛兵でした。私はこの偶然にすごく吃驚しました。
この地区からは近衛兵は祖父とVさんの二名しか出ず、村人からは英雄扱いされたといいます。厩(馬屋)メインで警護していたそうです。この任務をVさんは大層誇りに思っていたようで上機嫌でした。
「◎◎も大きな勲章をもらっているはずや。どや、あるやろ?」
とたんに私は腹が立ってきて「いやもう、例のあの後妻が全部もらっちゃいましたよ。勲章どころかお金も土地も、祖父が大事にしていたヴァイオリンや高価な盆栽もすべて。後妻と父の義弟たちのものですよ」 と愚痴を言いました。
オバンはいろいろなものが蔵にあったはずですが父には何も渡さなかったのです。オバンは我が子には甘く、父の継弟には一億五千万円の現金をあげてつまんない事業に使わせたので余計に腹が立ちます。我が家は貧乏でしたよ、ええ。
例の継弟が父を脅したのでオバン的には上手くいったわけです。ちなみにど素人が事業をするには無理があったらしく後年倒産したとは聞いています。それでも父の義弟は大金を得て夢を実現しようとしたのです。私がそういうお金が入るならば全部文化的事業に投資する。特にバレエに。私なら、あぶく銭扱いにはしない。そう思うと腹がたつがこれが私の運命だったか……夢を持つだけ。実現しないだけ。でもそんなオバンを引き入れたのは祖父でやっぱりこの人が諸悪の根元です。
本来ならば父だってもらう権利はあったのに悔しかった。今でも畜生、と思います。Vさんは私の愚痴を聞いてくれました。
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というわけでVさんとの会話のあと、調停をこなしながら私は近衛兵のことを調べました。しかし勲章どころか連隊名も何もわからないので、自衛隊に電話して詳細を教えてくださいとお願いしました。そういったしかるべき機関がちゃんとあるのです。調査にあたり、父と祖父の除籍謄本などを送付するとどこのなんの部隊で階級がなんだったのかが判明しました。もう勲章などはもらえなくともいい。私の目的は父の留守宅の子、云々を理論的に暴きたかった。祖父が、私の母方の祖父母に対して父は我が子だと断言してもオバンはそれこそ嘘でそういうことにしないと嫁がこないからとほざいたそうで懲りてない。それを我が子やその孫に言ったせいで父や私を軽蔑の目線で見るようになった。畜生、と今でも思う。
結果は予測通り、祖父の仕事や連隊部隊の詳細、年月で判明。父は確かに祖父の子供でしたというオチです。オバンは罪の深い女です。しかしオバンは百三歳で天寿を全うしました。好きなことをし、我が子だけに莫大な遺産を残して亡くなりました。私が因果応報はこの世にはないと言い切るのは、ここから来ています。
オバンのいうことを信用して父と私を軽蔑した例の義従妹は許せない。あの視線の意味が分かったときの悲しみと憤りは忘れられない。
「ワタシの祖父は近衛兵で偉かったの♡」 とほざき、歯科医に嫁いだ女がMという女がいたらそいつがビンゴ。例の従妹です。私はそいつを一生憎み続ける。
ええ、私は善人ではない。留守宅の子として父を見下げその子である私を見下げる権利があるとするならば、オバンのみならずオバンの血縁者は全員、私から見れば犯罪者と思う権利がある。父を脅迫した父の継弟もみんな。あれはれっきとした犯罪。そしてオバンに入れ知恵、加担した弁護士もみんな。
近所の人は父に同情的であったのも知っている。Vさんも祖父の後妻の騒動、父の義弟たちの悪行も覚えておられた。私の知らないことも教えてもらった。びっくりすることばかり。
そしてVさんは私が訪問した一か月後に亡くなられた。再訪すると施錠されている。インターホンには電源が入っていない。嫌な予感がして隣の人に伺ったらやはり亡くなられたのだ。「トシだったからねえ」 とおっしゃっていたが、私は悲しかった。もっと昔の話を聞きたかった。
このVさんには感謝しかない。調停のタイミングといい祖父と父が引き合わせてくれたとしか思えない出会いだった。Vさんを思い出すごとにオバンと例の義従妹への怒りが同時に込み上げ父への哀悼をしている。私はオバンは地獄にいると思っている。永遠に。
これも私なりの真実。父は戦わない男、意気地なしだと思っていたが私のためだったのだと思うと涙が出る。犯罪まがいのことをして相続した父の義弟の現在を知っているがここで書くまい。死後はオバンと同じところに行くがよいと思っている。義従妹も然り。




