第九十六話 オバン ・中編
父にとって幸運だったのは、曽祖父が思春期まで存命でいたことです。曽祖父のおかげで父は殺されずにすんだとまで思っています。オバンが妾さんと言われる身分から、本家に、つまり幼かった父と乳飲み子であった父の妹の世話役として転がり込んできたときは、曽祖父が元気でしたから。家長としての強硬な権力があり、彼の存命中はオバンは従順にしていたようです。
この曽祖父がいたからこそ、父はぐれずに成長しました。ただ父の妹、叔母の方はこのオバンとは女性同士であり、オバンへの絶対服従の状態が長く、かつオバンのいじめに耐えかねて親戚の家に何度も家出をしてそのたびに連れ戻されるという大変に複雑な心理成長をしています。曽祖父は叔母の心理的援助までは手が回らなかったのではないかな……かなりひねくれたものの見方、言い方をするひとでした。この叔母もまた一種の犠牲者でしょう。
曽祖父は父が十一歳まで存命しました。それまではオバンが父に対して目立ったいじめは一見なかったようです。曽祖父の他界後にオバンは本性を現しました。まず一番先にしたことは祖父の子供を産んだことです。これに関しては戸籍が証明します。曽祖父からは出産を禁じられていたふしがあります。除籍謄本を見ると死産があったようで父が十三歳以降に父の義弟たちが続けて誕生しています。長年、祖父に仕えていて子供が欲しいと思うのは自然な感情でそれは私も理解してあげたいと思います。しかしだからといって継子いじめをしてよいということにはならぬ。
父の妹である叔母に対しては、オバンは学校に行かせず幼い義弟たちの世話をさせました。まだ幼かった叔母は曽祖父がいなくなった後は、兄である父を頼りかっただろうに心細かっただろうにと思います。祖父はオバンのいいなりだったので、オバンのいじめには見て見ぬふり。
また当時の父は学徒動員でほとんど家にいませんでした。故に父には義弟たちの世話役はさせたことはなかったようですが、実家に帰れば父と叔母にはクズ米や幼い義弟たちの残したものをおかずにさせたといいます。余談になりますが、学徒動員とは戦時中に授業のない代わりにお国のための奉仕活動をさせることです。父の場合は砲弾工場に朝から晩まで働かせられたそうです。父は過去に同級生が当時の敵国、アメリカの兵器B二十九の弾を受けて死んだのを見た経験を語ってくれたことがありました。中高生でこの体験はキツイ……戦争中はどこもかしこも……社会全体がくるっていましたね……。
外では勉強できずに兵器工場勤務、給料なんか出ずお弁当持参のただ働きです。家ではオバンが我が物代わりに家を采配し、オバンが産んだ幼い義弟たちとの明らかな差別を受けて暮らす。父の心境いかばかりか。その間アホの祖父は家には不在で近衛兵をしていました。皇居内の警備をしていたそうです。留守宅を預かるオバンはやりたい放題だったでしょう。ある時祖父が在宅していたときに、父と叔母がオバンのいないときを見計らって、「あの人を追い出してくれ」 と頼んだそうです。でも断られたそうです。以下は祖父のイラクサ発言です。
「アイツとの子供がこうして生まれてしまった以上、追い出せない。この家も、もう駄目だ」
この話は父方の親戚から伺いました。オバンのいじめに耐えかね、逃げ込んだという親戚は実は父の実母の実家。教えてくれた人から、どうも祖父はオバンから弱みを握られ、言いなりに金品などを出していたようだとの証言を受けています。しかし証拠はない……祖父はオバンの行動をなじる親戚に対して、オバンをどうしても追い出せないから許してくれと弁解したらしいです。一体何があったのか……当事者は全員明治生まれなので全員死んでいます。真相は闇の中。ただオバンは先に書いたように、弁護士事務所に通っていました。法的な味方がいたわけです。弁護士とやくざは紙一重、ここでも何があったのかもわかりません。
私は祖父が残したという土地の登記簿謄本をさかのぼって閲覧してみました。謄本は持ち主でなくても、誰でも閲覧は可能なのです。すると祖父は同じ人物相手に同じ土地を売買しています。土地を売ったかと思えばその同じ土地を買い戻している。土地ころがしではないようですし、何をやっていたのかさっぱりわかりません。近衛兵でいながら山師のようなことをしていたとの風評もあったらしいですが、肝心の長男たる父が口を開かず亡くなったのでこれも真相は闇の中。ただオバンはきな臭い人々とのかかわりがあり、父の実家は浸食されていたのかという推察はできます。
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私がオバンを許せない人だと思うのは金品の搾取もそうですが、父の存在そのものを否定したからです。父を留守宅の子だといって差別したのです。留守宅の子とは何か……。
それは戦時中に夫が出征して家に不在という時期に、残された妻が子供を産むことです。となれば不倫かレイプか……悪い連想ばかりが働きます。当時はそうして生まれた子供のことを留守宅の子という蔑称がついたのです。が、父に関してそれを言いたてるのはオバンだけでした。ちゃんと理由があり、祖父が近衛兵で国内にいたこと。戦時中であっても状況が緊迫してはいないときは、任務の中、立ち寄り帰還が許されたからです。
しかしオバンは納得しません。曽祖父の死亡後に一貫してそれを言い立て、誰の子供かわかったものではない、つまりお前はこの家の長男ではないと……父は祖父にそっくりであるにもかかわらずそういって責めました。さすがに親戚や近所の人々がとがめていさめると、オバンは意見の一部を変えて違うことをいって責めました。それでは曽祖父との子供だろうといったのです。夫がいないときに妻と義父が関係することが多いからと……もちろんそれを言い出したのは曽祖父は亡くなった後、オバンが待望の実子の出産後です。
言い始めの当時の父は中学生、叔母は小学校高学年。父の義弟たちは乳児。おそらく父の財産を渡さずすべてを我が子にやりたいと思うことから始まった……それにしても惨いことをいったものです。しかし当時未成年であった父のみならず叔母も誰も反論できず、親戚が間違いだと主張しても信じ込んでしまいました。もちろん義弟もです。
オバンは父が成人後、私の母との結婚時にも、いろいろと邪魔をしました。やらかしは別件の話になるので割愛しますが、継母ってこんなに前妻の子供を憎むものかと思うオンパレードです。オバンの憎しみは父と結婚したばかりの私の母にも向かい、「この子は留守宅の子で、この家の本当の長男は私が産んだ子供です」 と言い放つ。驚いた母は実家に訴える。父の心境はいかばかりか。母方の祖父母も驚いて馳せ参じ、それは本当かと祖父に詰め寄る。祖父は頭を下げたそうです。
「いや、◎◎(←父の名前)は正真正銘、私の子供です。当時の私は国内での兵役につき仕事の兼ね合いで時折家に立ち寄れました。出産時は確かに宮中にいたので留守宅の子といえばそうですが、妻は私の父とは関係していません。◎◎は間違いなく私の子で、この家の長男です」
その場で嘘だと真っ向から否定されたにも関わらず、オバンは謝罪しなかったそうです。そういった話し合いの場でも席をはずせと命じられても、畳の上に平然と座っていたそうです。それは母並びに母方の祖父母から直に私が聞いています。
母方の祖母はオバンが逆に怖くなったようです。通常の話が通じず、嘘だと言い切られても平然としている。絶対に追い出されることはなく、怒られることもないのを信じていたオバン。何よりも人の出生にかかわる嘘を暴かれても平気でその場にいるその神経。まともな思考を持たぬ人間であることは明白です。
その後もオバンは父と母を仲を割こうと結婚前、結婚後もあらゆるいじめをし、とうとう母は体を壊してしまいました。母方の祖父母はすぐに別居を命じ、畑をつぶして家を建てました。祖父は申し訳ないと建築費用全額を出したそうです。例の母の妹が未だに執着している南向きの一番良い土地です。そこで私と私の実妹Zが生まれて育ったわけです。結局同居期間は半年もたなかったのですが、母はおなかにいた胎児の私ともども殺されかけたと今でも申します。
オバンは一体人生の何に喜びを見出していたのでしょうか……当時は長子が相続するのが当たり前でしたので、戸籍上は次男になる我が子に継がせたかったようです。
結論からいくと、オバンの望みは全部かなえられました。
亡くなった祖父の葬式で父と私が蔑視を受けたのは最初に書いています。そしてオバンは相続の場で本性を現しました。
「あんたは留守宅の子でしょうが。つまり長男ではない。この家の財産を受け取る権利はない。さあ、私と私の子供に全部譲るという遺産分割協議書に印鑑をつきなさいよ」
なんと父は従順にオバンのいうとおりのことをしました。父の分はほぼありません。オバンとその子供の総取りです。母が驚愕し、父を責めました。でも穏やかに暮らしたいからと父はいうだけでした。お金はいらないと。
実際父はお金に執着はなく、日々菊の丹精と金魚と小鳥をかわいがる人畜無害な寡黙な人間でありました。
当時の父の心境は父の死後にわかりました。遺品の整理をしていたら覚書が出てきたのです。日記形式だが、祖父の相続に関与することだけが書かれているものです。これは母も私も知らない場所にありました。父の継弟、つまりオバンの実子にあたる人物が、父に対して祖父の土地や相続を希望したら、娘、つまりこの文章を書いている私に対して危害を加えると告知していたのです。当時の私は二十代前半で未婚でした。れっきとした脅迫です。何かがあってからは遅い……父は警察にも誰にも相談せず相続放棄に応じたのです。私のために。その覚書を読んだ私は涙が止まりませんでした。




