第九十二話・ボキャブラリーが多いから喧嘩に強いとは限らない
言葉は交流の潤滑油ですが、言葉だけが交流できるというものではないです。内気な性格ゆえに使いこなせない人も多い。逆に言葉は使いこなせてもルールというか一般的な社会的規範のできない人もいます。両極端いるのがこの世です。どのような人でも心からの笑顔を出して楽しく交流できる人が良い人間ではないかなと愚考しております。
私の実妹Zは両親から「口から先に生まれた」 と称されていました。これは称賛が入っています。口から先に生まれたというのは、褒め言葉です。私は三才年上ですが、言葉が遅くまともにしゃべれませんでした。Zのほうが一才になる前からテレビのコマーシャルは一度聞いただけで歌いだす子供でした。両親の期待と喜びがわかろうというものです。しかし、そういう子供は姉をバカにしますね……口喧嘩ではやはり言葉のボキャブラリーは豊富で私は必ず負けていました。そのうちZは小学生にして親を凌駕する喧嘩言葉を駆使して親をも言い負かすようになりました。五十年後の結果はエッセイシリーズで書いた通りです。頭が私よりいいのは確かですが使い方を間違えていると思います。根は悪いことはない。我が家にZが欲しいだけのお金がないだけです。それと両親と姉である私にZの我がままを百パーセントきく度量もないからね。無理ですよ。
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映画を見て女性が悪役にタンカを切る潔いシーンがありますね。特に女性が弱いとされていた時代劇でそれがあり、女性側が勝つと、おおっと思います。祖父がファンだったので一時期は見ていた水戸黄門シリーズに多いかと思います。最後に黄門さまが印籠を出して、はは~とやる。定番といえば定番ですが、弱きものが悪役をこらしめるのは庶民の願望で国民的時代劇とされるのも日本人気質からして当然かも。でもさすがの黄門さまも外国人移民が増えて、その文化的習慣などの摩擦から来る犯罪もこのまま増えてしまったらどうなるかわかるまい。そのあたりは、私は世の中のすみっコぐらしだけど、できるだけ長生きして見届けたいと思います。
喧嘩のボキャブラリーが多いほど、言い負かしたらすっきりするかと思います。でもその場限りです。相手が黙り込んだら勝ったと思うのは間違いです。謝罪をされてもです。そこには慢心がある。人生勝ち負けなんか最後まで本人にしかわかりません。勝ったと思った時から、不満と不平が負けた側の心に渦を巻く。勝負ついたのではなく、逆に始まったのです。賢い人は顔に出さず、負けたふりして勝とうとする。だから表立った喧嘩は派手なほどばかばかしいと思う。歴史に登場する人物でもそれで政治的な失脚をした人もいる。負けるが勝ちという言葉があるが、昔の人はうまいことをいう。
戦国時代の最後の勝者であり、江戸幕府を三百年もの長きにわたって存続させるその礎をつくった徳川家康。この人の人生の最初は負けてばかり。少年時代は人質として他家に間借りして軽蔑を受けていましたからね……負けるが勝ちというと私はこの人をまず考えてしまう。
徳川家康の遺訓の一つにこの文句があります。
……勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る……
この文句を伝えた家康の脳裏に織田信長の雄姿があったと思うが想像がすぎるだろうか。その意味は勝利の快感だけ知り、周囲の気持ちを無視し自分の思いのままに行動していたら、反動がくる。引け際が見定めることができなくなるということかな。もちろん解釈はいろいろですが、私はそう考えています。
もう一人。第二次世界大戦で日本が敗北したのちに首相になった吉田茂。実はこの人は近衛上奏文事件に関与して憲兵隊に拘置されていました。敗戦半年前からこの戦争は負けると天皇に上奏し軍部を怒らせたわけです。いや、この事件自体詳細や正確な意図は流布されていないので浅学な私にもわかりません。しかし戦後の政府は放っておかなかった。彼は外務大臣を経て首相になった。吉田茂は戦勝国のアメリカに向かって「戦争には確かに負けたが外交では勝った」 と言い切りました。日本を切り回し高度成長期に向けて尽力したのは事実。彼の脳裏にもまた「負けるが勝ち」 のことわざがあったかと思う。私はお二人のどちらの思考も好きですし本来は朴訥で罵詈雑言のボキャブラリーが多くなかったと思うのです。
外見は派手でなくむしろ地味で中身は腹を割ってみないとわからない、という歴史的人物像が私の好みというのはある。名を遺した人物は魅力ある人が多く、その人物の死後に生前の発言や行動などを俯瞰して学べるのは私の人生では役に立たないが幸せを感じます。単にそういうのが好きなだけかもですが。