第九十一話・思考と行動の強制
ある宗教系雑誌は無料で届けてくれたりします。仏教、神道、その他新興宗教もなんでもあり。ちょっとトンデモ系かなあという本も読みます。私は活字中毒なんです。読んだ端から忘れてしまう話もあれば、心に残ったのでまた読もうと手元に置いたりします。最近は年のせいもあって断捨離しないとなあとは思うが書籍はなかなか捨てられない。困ったものです。
新興宗教系は月刊誌といえども立派な装丁だったりします。信者の寄付から出版費用が出せる。そして購入ノルマがあるのでしょう。寄付や入会は絶対しないけど、無料なら読むという私のような人間には結構集まってきます。
その中での病気に対する考え方に興味があります。もちろんどれが一番という思考、宗派はないのですが、そこの神様を頼れば治る、身内だけというか熱心な信者向けのチラシにはがんでも直せると、医療法違反なことも堂々と書いていたりします。疑うことを知らない人向けに書いているのだろうなあと思うことも。難病が治るというのは、新興宗教では結構なドル箱になるかと思います。でも寄付の強制は良くない。あとで家族とのトラブルや裁判になったりします。一時は社会問題にもなったりしました。情報源のない人なら現代でも安易にお金を出してしまうのかとも思います。
私はその手の人には無料なら読むけど、入会はしないと念を押すのでトラブルは今のところはないです。逆に相談を受けることも。どう思いますか? と聞かれたらお礼や寄付がきついならやめたらいいよといったことがあります。でも脱会は仕返しが怖いという。もっと悪いことがおきる。今までの不運は信者でいたからそこで済んだ、もっとひどい目にあるぞと脅されるわけです。そこを思いきれるかどうかの問題でしょう。信者になるということは心と人生を把握されているということ。信仰はその人次第なので入信も奪回もその人の自由です。私のみならず誰しも他人の人生には介入できません。
署名もまたそうです。署名は基本しないのですが、断りにくい人の場合、主旨をよく読んでから断る理由を述べたりします。でもそれで怒る人や態度を変える人がいますよね……縁がないと思っています。政治的主張や選挙の人数稼ぎでは特に慎重に行動しています。一度職業関連の立候補者の後援会に無理やりカウントされたときは拒否しました。するとそこの後援会の顔役から「私の顔をつぶすの? あの先生は私も実際にあったけど立派な人よ? その先生の顔もつぶすの?」 と怒られまして私も逆に怒りました。
「あなたがその先生に心酔しているのは理解できるが、私はだからといって会ってもいない政治家を尊敬して後援会に入ると思うのが間違い」
私は絶対悪くない。私の承諾なしに選挙の応援人数に勝手にカウントしないでくだされ。政治家の写真入りハガキを私に押し付けて郵送料無料だから最低十人の知り合いに出せと言わないでくだされ。
あとで別の人から、あの人によくそんなこと言えましたね、私はあの人が怖いので署名やハガキを出すぐらいならいいかと思ってしちゃいましたよ、といわれました。私はそういうのは全然平気。生来のいじめられっ子気質だからかなとは思っている。はい、私、ぼっちメンタル強いです。
とかく宗教系、政治系後援会、政治的主張にしろ強制はよくない。そこは一番偉い自称神様、神様の代理人、申し子、議員様が「信者や後援者によく言い聞かせてほしい」 です。今回はそれを言いたくて書きました。今回はこれでおしまいです。
 




