第八十九話・都会モノ、田舎モノ、親不孝モノ
ある時、あるトラブルがおきまして私は警察に相談に行きました。相手はいわゆる都会の人間。私はいわゆる田舎住まい。現地の警察は私に同情的でしたが、相手の住所と名前を聞くなり、「あ~◎の人かあ。都会に住んでいる人は田舎住まいの人間をバカにするところがあるからね~しょうがないよ~」 と言い私は驚愕。警察が住んでる土地が田舎だから仕方がない、あきらめろと暗にいうなんてひどい。私はもちろん反論しました。
「その一言で済まされてもし何かあったらいけないと思います。私はそれで助けてもらおうとわざわざ来たのです」
警察は「それもそうだね、じゃ、見回り強化しとくね」 で終わりました。警察は私が殺されてからでないと本気で心配してくれないでしょう。事件発生前は誰も何もしてくれない。
さて、都会モノは田舎モノを見下すか……コレは真剣に考えるまでもない。相手の品格によります。性格が下劣な人間はどこに住もうが、ずっと下劣です。住んでいる場所によって性格が変わるはずがない。これにつきる。東京の大都会は元田舎住まいの人間であったが、親世代やもしくは進学して卒業時にそのまま就職してというパターンもあるかと思います。田舎はダメだな、という思いで都会に来た人もいるでしょう。
田舎は不便なところ、という認識はもはや古い。今はネットもありますし、食品のお取り寄せも都会の人がデパ地下に行く感覚で普通にできます。それでもまだなお、そういった見下しはあるかと思います。
以前、私が結婚した時に反対された話をしました。その時に親戚が言った項目をあげてみます。それと私のあげた反論も。人口が単純に多い、少ないからという理由で実家が都会、嫁ぎ先が田舎と認定された上での会話。
① 田舎に行ったら病気になったらどうするの?
⇒ 病院の数は確かに少ないが、仮に大都会に住んでもすぐに診てもらえるとは限らない。同じだと思う。
② 田舎に行ったら人間関係が難しいよ?
⇒ 人間関係は生きている限りついてまわる。そして縁のもの。どこに行ってもそれは同じだと思う。
③ 親はどうするの? 捨てていくの?
⇒ 親を捨てるの、とは、私が長女のため親戚からさんざん言われました。私の実家は父方、母方双方ともその地から出たことのない特殊な家であったせいもあります。長男、長女は親を看取るのが当たり前の思考です。母親本人から私の見捨てるのね、あんなにかわいがってあげたのに、と恨みがましく泣き叫びながら言われたとき、私はやっぱりこの親を捨てて逃げようと思いました。罪悪感はあったのですが、この親の情にほだされては私の人生こそ台無しになると思いました。その選択は正解だったと今でも思う。
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かくして、私は都会モノから田舎モノになった変わり者、親を捨てた親不孝者と罵られて生きました。
都会モノとして過疎の田舎に嫁ぐ私を見下し、夫となる人が座布団から降りて正式な挨拶をしても、横を向いた親戚たちも……一体どれほど偉いのかと思います……経済的なことはともかく、心理的にどこに行っても私は居場所がないのかとも思いました。父親が出てきませんが父親はある理由があって空気同然でした。いずれ書くつもりですが私は寡黙な父が好きでした。泣く母を説得し、結婚後の関係修復をしたのも父です。少し話がそれますが……私が過疎の田舎住まいになる人と結婚を告げたとき、父が一番最初にしたことは本屋に行って現地の地図とその地の観光と歴史関連の書籍の購入です。当時はまだネットが普及してなくてゼンリンの地図などがどこの本屋にも一角を占めていたものです。そしてずっと地図や本を睨んでいました。
標高の高さと気象関係を探してきて、本当に住むのか、大丈夫かと私の身を案じてくれました。私がどこに住もうと、私の身を一番に案じてくれた父は良い親だったと思います。母が「親を捨てる気なの?」 と叫んだのと、エライ違いです……母は母で母なりに心配はしてくれていたのですが、介護とセットになっていたのよね、と思います。
今は私は母を引き取っていますが、「女の子を産んでおいてよかった。ちゃんと介護してくれるもん」 と言い放つ。年老いた母と議論する気はまったくないので、「そうですか、そうですね」 と相槌をうつだけです。一応私は女の子を産んだので「あんたも年をとったらあの子が介護してくれるわ」 という。私は介護要員作成のために子供を産んだのではありません。でももう母にはうっすらとした微笑でしか返すしかない。死が目前ですし、このままの思考で死なせるのも親孝行の一種です。
今回の話はそれでおしまいです。
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追記もついでに。
私は婚家先の一部の田舎の人たちからは逆に都会の人と称されてこれまた閉口しました。田舎住まいになってから究極の某夫婦と出会い、それが田舎嫌いの小説ができあがり、多くの人に読まれ共感を得られたことに関しまして怪我の功名というコトワザを思い出します。どういう経験でも意味があるということを私は実地で学ばせていただいています。
親に対する行動も、私の子供は見ています。私が年老いた後の介護はできるだけ子供に負担をかけないようにと思っています。それに気づかなくても親の介護に対する思考も後々の参考にはなるでしょう。
また私自身も元気なうちに準備をしておかないとね。とりあえず葬式は直葬だ、と今から言い聞かせています。