第八十八話・慣習
少しだけ用語解説。
月命日とは、仏式でいう故人が亡くなった日のこと。たとえば一日に亡くなったら毎月の一日が月命日となります。
冠婚葬祭のうち、葬式は実家まわりは仏式なので面倒です。いや、面倒といっては怒られますけど……日本古来の葬式で仏式の場合はとにかく儀式が多い。おそらく多いと感じるのは私だけでしょうけど。
月命日のたびに部屋を掃除し、ご住職を呼んで戒名をあげてもらい、お茶を差し上げ折々に世間話をして……これって昔はどこの家でも専業主婦がいた名残りの行事だと思うのです。フルタイムで働いていては無理がある。母の体調が悪い時に月命日にかかると、実家に帰ってお坊さんをもてなしてくれ、というので一時は頑張りましたけど勤務先と実家は新幹線の距離がある。月命日の読経自体は三十分ぐらいだけど、そのために仕事は休み、子供は留守にしちゃうのでPTA行事にかかると休みの連絡をし、同時に切符の手配、お土産の準備……もう体力的に限界がある。
家族の弔いはどこの家にでもありますが、仏式だと死んでからもあっさりとしてない。初七日 一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌と延々と続く。さすがに十三回忌以降は先祖と一緒にさせていただくが、面倒です。私のような一般的な家でもコレなので、旧家はもっと面倒なはずです。いや、面倒といっては怒られますが……。
葬式自体も面倒なことが多い。私の実家の宗派は死んだらできるだけ早く枕経といってご住職を呼んでご遺体の枕もとでお経をあげてもらわないといけないなど決まりがありました。通夜、葬式とフルコースでご住職はつきっきりになります。お礼は総額三桁万円を超えました。もちろん葬式代やおふるまいに要した金額は別です。私はそういうものだと思い込んでいました。
やがて私は遅い結婚をしました。婚家先はまったく違った宗派でした。とてもあっさりした祭祀でカルチャーショックを受けました。戒名がない。過去帳もない。ところ変われば品変わるとは言いますものの、私の実家の葬祭ってなんと面倒でお金もかかることだろうと、驚愕しました。
義父母は実家の葬祭の様子を見て「まさに葬式仏教だ、葬式を出すと大変だな」 と申しました。しかしながら別宗派の人からそういって揶揄されようとも慣習というのは変えようがない。その上、同じ宗派だから仲良しだとはいえない。結婚式と同様、葬式でも式場やご住職、その他の手伝いの人へのお礼や心付け並びに葬祭の段取り果ては料理にモノ申す人がいるので、イヤでした。
というわけで私の代になったらおかしいところは当然変えますし、私自身の葬式は家族葬も葬式代がもったいないので直葬でいいと子供に伝えています。葬式仏教と揶揄されるほどの慣習があるものは早晩すたれるでしょう。今までがおかしかったと思う。ただ母にそれをいうと「なんというバチあたりな」 と泣いて怒るのでもう口に出していうまい。ここで書く。
まだある。
父の死後、世帯主が母になりました。すると周囲の態度が微妙に変化したのに気づきました。いわゆる女所帯です。一段下に見られます。今は多様性が重視される時代ですが、まだ親戚や縁戚関係が重視されるようなところでは古い慣習が残っています。私はそれにどっぷりつかるのもイヤでした。母どころか親戚全員が反対する結婚をして逃げ出して正解だったと思っています。
で、その女所帯ですが、親戚同士のつきあいで父が寝たきりであっても存命であったら、やはり男性優位で父の名前で金品を出します。祝儀、もしくは不祝儀専用の袋に入れて。お金をやりくりするのは母や私でも、受け取る側の人間はやはり男性の名前で見ます。父が所用で葬祭に出席できぬときは名代できたとしても父が出てこれなくてすみませんと謝罪しないといけないような暗黙の決まりがあります。受け入れ側にとっては、招待した一家の代表が来てくれないと沽券にかかわる、と、なりますので。
父の死去後、母の名前で出すようになったとたん、葬祭の返しをしないところがありました。母は私が女だから見下げているのだろう、と申しました。女所帯は何をされても文句を言えないところがまだある。平成の終わりになってもまだこういう慣習が残っている。ちゃんと半返ししろとは私も言いませんが、この上なくバカバカしいことです。でもそれも母の代までです。
今後は国外から移民も大量に来ますし、こういった慣習は早晩すたれます。古き良き、といってもこれは悪習だと思っています。日本古来の良き習慣や思考は移民の方にも理解の上広まったらいいなあとは思いますが日本人の気質からしてこれもないかなあ、と思う。こんな慣習も鎖国状態が長かった日本ならではの話。海外から日本に住まうようになった人々には特に通じない。
しかし海外云々以前に、日本古来の慣習を重んじる人々からは見たら私は異端者です。母にはこの話をすると発狂したように怒るので口に出して言えない。私は罰当たりです、いや、彼らから見るともう罰は当たってると思われるでしょう。だって持病あり、貧乏、ゆったりとした自分の時間ないし、ということは好きなことができてないし。
私の現在は、どちらを向いても介護家族がいる状態です。私自身が倒れるか精神をやられる一歩手前かな。だからこのイラクサエッセイがさくさくかける。百話できりよくやめるつもりだが、まだまだネタがあるので愕然としてしまう。