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第八十七話・かわいい子には旅をさせよ



 私の実母は悪い人ではないが、私のことを己の分身扱いしていました。幼少期は仕方がないけど私の意思や意見を尊重しない。また私自身も母に反対するということは一切考えてはいけないと思い込んでいました。

 母の言いなりの人生ではダメな人間になると覚醒したのはなんと成人してからです。今回はそのきっかけになった話です。

 ある休日の昼下がりに親戚の女の子が訪問に来ました。従妹のUちゃんです。彼女は当時高校生でしたが、英語圏の国に長期留学するために家まであいさつにきたのです。留学への希望に燃えていてUはまぶしいほど輝いていました。

 母は機嫌よく応対しました。そして餞別にいくばくかの現金とお菓子の詰め合わせを渡しました。Uちゃんは私たち家族と名残を惜しみ去っていきました。このUちゃんは、高校時代だけの留学のはずだったのですが、大学院までその某国で過ごし帰国後もそのまま日本の大学院に入り卒業しました。数か国語を操る超エリートになり今なおキャリアを積んでいる素敵な女性になっています。このUちゃんへの母の対応が私のイラクサ。Uちゃんを機嫌よく見送った後、母は玄関のカギを閉めながら異国への留学を許可した母の兄弟夫婦を罵倒しました。

「日本が一番安全で暮らしやすい国なのに、よりによって数年間も異国に留学をさせるなんてその神経がわからない。女の子なのにもしものことがあったらどうするの? 異国人の男性と結婚してしまったらどうするの?」

 私はびっくりしました。私の周囲でも留学をしている人たちがいます。短期が多かったのですが、高校時代……ちょうどUちゃんの年に学内で姉妹校への留学希望者募集をしており「私も行きたい」 と言ったら拒否したのに。

 実際に行くUちゃんに笑顔で餞別を渡し、笑顔で激励する。なのに、そんな悪いことばかり連想するのか……私の知人の姉ですが国際結婚を決めた人がおり、面識があるので結婚祝いを贈ったよ、というと会ったこともないのに、母は「生まれも育ちも習慣も思想も違う人と親戚になるなんて信じられない」 と貶める。

 とどめは別の親戚の女の子が数週間の辺境の異国を旅行してきてお土産をもらった時です。この時も休日で私が在宅していまして、母は「よくある観光地ではなく辺境といわれる不便な異国を旅行するなんて偉いわね、尊敬してしまうわ」 と褒めちぎっていました。その子が帰ると母は同じく豹変して私に向かって「あの子、よく無事で帰国できたわね。あんたは絶対に海外に行ってはだめ。私は許さないからね」 ときた。

 愚かな私はやっと己の母がヘンなのに気づきました。私の母は飛行機嫌い、外出嫌い、ばりばりのインドア派の女性なのです。母は世間的には物わかりのよい愛想のよい女性です。でも私には、変化のある生活をさせてくれない。母のように家からほぼ出ないお金の心配もない苦労もない人生を歩まそうとしているのです。それで見合いの話が来てもこの職業だとお給料は低いのではないか、一軒家を持っていない男性はお金で苦労するなどといって、私に話す前に断る。

 当時の私は生来の引っ込み思案で恋愛には奥手ですが、さすがに結婚相手を母が決めるのはおかしいと感じました。この海外留学と海外旅行の件で私は母に対してはっきりと嫌悪感を持ちました。私にやっと反抗期がきたのです。その時の年齢が恥ずかしながら三十歳前。

 例の実妹Zは私を含めた家族にとっては頭痛の種ですが、母のおかしさはZは幼いころからちゃんと見抜いていたのではないかと思いました。Zのヒステリックに己の要求を通す様子……私はこの母に人生を介入させないための自己保身もいうあったと意味合いもある。それが事実ならば、母の言いなりの私よりもずっとZのほうが賢いと愕然としました。お金を要求するのはZの悪い癖ですが、私は要求しない分母の選んだ服や食べ物を素直に受け取っていました。私はそのことにも初めて気づきました。


 この件で頭に来た私は、もう夜でしたが、「出かける」 と母に告げました。母は驚いて「これから夜なのに出歩くのは危ない」 と言いましたが、私はすでに施錠された実家のカギを開け、自転車に乗って駅へ向かいました。追いかけようとする母を振り切り、電車に乗りました。終着駅構内の旅行会社前にずらりと並べられた海外旅行のパンフレットを見て以前から行きたかった某地への一人旅行をその場で決めました。当時はネットが普及してなかったので旅行会社の人と相談しながら予約しました。それが私の初めての海外一人旅行でした。

 母にはこのことは内緒で職場の先輩にだけ言いました。母にはその先輩と一緒に泊りがけの研修旅行に行くとだけいいました。仕事がらみであれば、講演会や学会のためにの二三泊の旅行は不審や詮索なく許可が下りたのです。

 これが二十年ほどの前の話でいまだに母はこの話を知りません。母が私が新しい何かをしようとすると全部反対するのも覚醒後に理解しました。

 猛然と漫画や小説を書き始めたのもこのころです。案の定、母は私が部屋に閉じこもって絵や文章を綴るのを嫌がりました。読書ならOKな家でした。私は節約をして家に入れるお金はそのままにして、月々の貯金の金額を給料のほぼ全部につぎこみ、借金をして分譲マンションを購入しました。母の大反対を抑えて。

 一人暮らしをはじめてから、才能がないといわれてやめたバレエもやっぱり好きだからと内緒で再開。休日は文章書き。親の反対があった以上、住宅ローンという名前の借金漬け。給料のほぼ全額は返済にあてる。銀行でなく民間の金融機関からも大金を借りていましたので超絶貧乏な喪女でした。それでもやっと自由になれたと思いました。

 私の反抗期は遅く、成人後だったので勝手にマンションを購入し、つきあいを反対していた男性とさっさと結婚したと思っています。親不孝者、親を見捨てて結婚するなんて、私を捨てるなんてという母の絶叫は今でも耳朶に残っています。

 それでもZのことがあり、母は別居した私を直後から頼ってきました。本年、母が倒れ、私が引き取りました。私が今もなお小説を書き、バレエレッスンを嬉々と続けていることも入院中の母には内緒です。私は母の存命中はそのままにしてあげよう、素直ないい子を演じるのも親孝行だからと割り切っています。

 私が心配だからというよりも、母にとっての己の分身だから心配しているのでしょう。

 かわいい子には旅をさせよ、といコトワザは本物です。私は覚醒が遅かったが自分で自分を旅させています。今もです。でも本当に親から解放されるのは母の死後でしょう。全部書かないけどまだいろいろあるので。



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