第八十四話・有難迷惑な過干渉
実母は悪い人ではないのですが、私に対して過干渉でした。私の中高生時代、また大学生になっても予定より帰りが遅れると徒歩十分の駅の改札口でじっと待っているような母でした。私が少しでも熱があるとパニックになるような母でした。部活動も早く帰れるところとしたら選択肢はほぼない。成人になっても当然門限がありました。大学ですら自宅から通えるところでないとダメと決められていました。当時の私は、子供は親のいうことを聞くべきだという考えに固執していてそれを異常だとは思いませんでした。このエッセイでも取り上げている実妹Zの態度がひどかったので、かわいそうな母のために私ががんばらないと、Zのかわりに私がイイコにならないといけないと思っていました。それでいて私の全人格を掌握しているつもりの母に対して、もやもやとする感情がありました。感謝とは違う感情です。でもそれも母に対して表してはいけないと思っていました。
そう、私は「素直なイイコ」 だったのです。私には反抗期がありませんでした。Zの家庭内暴言と暴力がありましたので、その分私は「イイコ」 を演じていました。無意識に。Zは私を「イイコぶりっこ」 と罵っていましたが、確かにそうかも……Zのいうとおりだったかも。
Zが親に対して激しく反攻するほど、両親の私に対する評価があがったのは仕方がないと思います。私には摂食障害はなかったし親を殴ったり噛みついたりすることはなかった。なぜ人間が人間を殴れるのか不思議だった。しかも親に対して。その思考自体もZにとって怒りの元であったかとも思う。でも私には争うという選択肢はなかった。でもZのほうが正常であるとはいいがたい。
外見に関しても私は母の人形だった。Zは母の選ぶ服が幼いころから気に入らずお金をもらって好きな服を購入していました。その分私は学校の制服は仕方ないにしても、私服は好きなものを選ばせてもらえなかった。大学でバイトしてやっと好きな服……黒いドレスを着たら思い切り馬鹿にされたし、息苦しさは感じていました。このままではいけない……その積み重ねで、母の反対をよそに一人暮らしを強行し遅い結婚をきっかけに実家から遠く離れた場所に嫁ぎました。現時点では後悔はしていず逆に離れてよかったことが見えてきました。
遠い土地に嫁いだ私を母は母方親戚ともども絶縁と言い渡されたぐらいです。それでも子供が生まれ交流が復活し、規則正しく日々を送っていたら人の態度も変わります。離れて暮らして逆に実家を俯瞰できる立ち位置になり、鮮明に見えてくることがあります。過干渉の理由も過度の自慢癖も。
母方の親戚達からは、母の過度の私びいきで逆にZが貶められてかわいそうに、と不自然に睨みつけられたことがあります。私は過去親せきの男性から母親の愛情を独り占めせず、Zと仲良くしなさいと説教されました。私はそのつもりはなかったのですが、お説教を黙って聞いていたらどうも社交的なZが家庭の不満を私のせいにして相談したようです。その人は私を可愛げがないと思い込んでおられる。Zがその男性に何かを吹き込んだのは明らかでした。後年その男性の姉に当たる人からも、Zが私のことを「私の家のよいところを先取りして全部吸い込むひどい姉」 と直接評されてもいます。その人も私に対して嫌味満載でZに同情的でした。誰も私の言い分を聞いてくれないのです。私の普段知っているZと親戚が思っているZとはあまりに違っていて驚きました。暴言の内容を絶叫するほど連呼し、とうとう近所から苦情の電話がかかってきたほどなのに、親戚にはそうやっていい顔をするのかと不快でした。姉妹の仲は埋まらずそれは現在に至るまで続いています。
話を変えますが、政治的にどうやっても日本を貶めるのに腐心している国家のニュースが時折出ます。この溝も永遠に埋まらぬだろうなと思います。政治家はもちろん外交努力をされているだろうが私は悲観的……その原点をたどってみるとZの存在に意識が飛ぶ。母の過干渉は本当に迷惑だったが、それもZの私に対する怒りに確かに輪をかけている。でもそれは幼少時のことからで、私はそれを当たり前と思っていた。もうどうしようもない。それが私の政治的観念にも私的に影響を及ぼしていると思うと愕然とするものがあります。
もしZがこういう私情を文章で綴る私に気づいたらどうするだろうか、すでに殺してやりたいといわれているので、実際に殺しに来るかも……Zの病的な私に対する憎しみと、母の過干渉による息苦しさ……申し訳ないけれども彼女たちと離れて暮らした時の解放感を思い出すたびに深呼吸してしまいます。