第七十三話・証拠
Iさんは三十代の女性で小さな会社に勤務していました。ある日の勤務中に社長Kに暴力を奮われ入院しました。診断書も出て警察に被害届を出しました。しかしKは無罪になりました。理由は簡単、証拠がないからです。
暴力を奮われたのは社内とはいえ、二人きりの密室の中。事件発生時刻は隣の部屋に一人だけ残って仕事中の同僚がいました。この人が犯人がさっさと退社したあと、怪我をして動けないIさんに気付いて救急車を呼んでくれたのです。Iさんは警察に被害届を出しました。Kは警察からの事情聴取は受けたのですが、知らない関係ないの一点張り。そして助けてくれた同僚は職を失ってまでKを告発したくなかったのか、事件に気づかなかったといいました。Kの犯罪ではあるが、立件できませんでした。ならばと賠償を求めた民事裁判でも原告Iの敗訴となりました。社長Kがやったのは明白でも証拠がないとそうなる。
判決を下すのは裁判官という第三者ですので、原告被告のいうことが正反対は、よくあること。というわけで証拠の提出をもって事実の確認をします。原告Iさんの証言だけではダメ。偽証をした同僚の罪を問うのはまた別口の問題です。まずKの罪を問いたいのにできない。結果、Iさんは泣き寝入りしました。Kはそのまま平然と日常生活を送っています。会社も事件なぞ何もなかったように経営状況も順調です。偽証同僚にも良心の呵責というものがあろうかと思いますが、Kからもらうお給料がそれを吹き飛ばすのでしょう。救急車を呼んでくれただけマシかも。
この話を教えてくれた人はボイスレコーダーを持ち歩く時代がすでに来たといっております。それを聞いて私は過去電車の宙づり広告を思い出しました。横断歩道中の人々の間を縫って飛ぶ無数のドローンが飛んでいるシーンです。監視社会というキャッチコピーがついていたと記憶していますが、あれはドローンの広告ではなく、私立大学の宣伝であったような気もします。なんでも証拠、証人、そして己の行動の記録。媒体はどこにでもあり、どこにでも記憶させるべき時代が到来しました。
二十四時間作動しているコンビニなどにある監視カメラの存在は犯罪発生をある程度は減らしたと思います。犯罪の被害者となるのも巻き込まれるのも皆嫌なもの。でも避けようがないので、どこまで証拠になるかは不明なれどもそういった自衛も必要かと思います。
逃げ切ったKに天罰が下りますようにと思っても現実はそんな因果応報はない。身から出た錆が起きますようにと思っても思うだけで確約ではない。被害者はやられっぱなし。ある宗教家が「人生は修行」 といいましたが、そう思う方向へ舵を切るしかない。忘れるのは難しい。身体の傷は癒えても受けた心の傷はなかなか癒えない。でも思い切るしかない。生きていくしかない。
罪をおかしても反省せず逃げ切ることができる人が存在することも認めなければいけない。肉眼で判別できればよいが、わからない。あの人は私に危害を加えそうだ。罪を犯しても反省もしないだろう、そういった見極めもわからない。良いことも悪いことも予測はある程度はついても確約ではない。運命は自分で切り開くといっても不測の事態もある。己の境遇、不運、不幸を嘆くのは当たり前の心理であるものの、そこからどう割り切って、かつ開き直って生きていくかがそれぞれの人生の課題になるのかな……。根っからのサイコパス、ナルシストはそのあたりは全く悩むことがない。確かに人間ではあるが一般的な人間の情愛を持たぬ人間ということ。別の生き物ですね。