第七十一話・動く賄賂 □
ワイロは漢字で賄賂と書きます。意味は「ある目的を達成する為に、不正に贈る金品」 をいいます。不正とは正規の手順を踏んでいないということ、つまりズルいことです。特に税金で動いている議員を含む公務員に対してそれをやると双方とも罰せられます。贈ってもだめ、受け取ってもだめと言われますが、古今東西、世界的にあります。いろいろな目的があろうかと思いますが、相手が一種の権力を持っているのは共通しています。贈った側は期待感でわくわく、受け取った側は、じゃあ便宜をはかってあげよう、ということです。阿吽の呼吸で双方ともウィンウィンで誰にも知られず、というのが一番良い賄賂方法でしょう。が、バレたり、結果が逆効果になることもあるでしょう。
お中元お歳暮は日ごろの感謝をこめてと物品であらわすもの。これは我が国ならではの季節の挨拶も兼ねての優しいイメージ。受け取った本人もその家族も喜ぶもの。しかし相手とやり方によっては「プチ賄賂」 にあたるものになる。以上前置き。
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先日、お供えの和菓子を購入の折、前のお客さんがご自分の購入物の包装時に「この商品券も中にいれておいてください」 と店員に伝えておられました。そっと様子を見ると小柄なそしてお金のありそうな年配の女性。七十代後半から八十代か、相手は重要な取引先、息子の上司、主治医あたりかな……と想像してしまいました。私はそういう行為をしたことはありませんが、老舗のデパートは同封がOKなところはありますね。ごく当たり前にある光景かもしれませんが、「いつもありがとうの感謝」 と「コレ差し上げますので私を優遇してくださいね」 の柔らかな強要行為を併せるのはとても日本的な現象でしょう。双方ともはっきりと言わない。忖度宜しくとも言わない。ミもフタもなく、はっきり言わずで奥ゆかしいです。こういうのが付け届けになるのだな、と感心しました。
さてこういう私は過去某病院に勤務していた時に賄賂の手先として利用されたことがあります。その時の思い出話を書いてみます。
とある親戚をJとします。Jの勤務先の重要な取引先の人が入院しました。Kさんとします。私はJからKさんに挨拶するようにと言われました。もう二十年前ぐらいの話なのにその指示が非常にイラクサでして今でも覚えていますので書いてみます。
「あんたね、そのKさんは某の経営者だからね。決して粗略な扱いをしないように、そしてきちんとあいさつするように、Kさんが退院されるまでに快適な入院生活を送れるように気を配りなさい。わかった?」
私はそのKさんとやらとは面識はない。エライ人なのはわかるがJと親戚というだけで、挨拶しないといけないのか。Jのいう大事なヒトというのは、私の大事な人とは共通していません。それでなくとも超忙しい職場なのに、用もないのに病棟へ、しかも担当病棟でもないのに挨拶をとはこれいかに。私は普段からそのJという親戚が、私や私の両親に対して高圧的な態度をとるのではっきりいって嫌いでした。金持ちなので気が向くとぼーんと高額なものをくれますが、いつでも強気で跡取りとされているJの兄を差し置いて金銭的に家を采配しているというのもあります。親戚なのでわかりますが、外側から見て羽振りがよくても家の中は殺伐しているということもありますね。
勤務先で仕事の合間にJの手先? 動く賄賂? になるのは、たとえ小遣いをあげるからといわれてもイヤでした。このあたりが私がJから偏屈だの変わってるだの使えないコと悪口を言われる所以です。だからいつまでたっても、独身なのよ、とかいろいろ言われました。私は気を使うのも使われるのもイヤなだけ。仕事の時は、仕事の事だけを考えたい。Jはどうしてこの辺りのことが思いやれないのだろうと思います。
Kさんには、あいさつはしておきました。Jの言いつけと思うと腹がたつが、めったに会えないというエライ人の顔を見に行くだけ、と思えば腹はたたない。当人はご病気なのに奥様ともども「まあ、Jさんのご親戚の」 と接していただき逆に恐縮しました。でも本当に私はこういう役目は嫌ですね。
そしてJから電話で「どう? ちゃんと不自由のないようにしてさしあげてるわね?」 の確認に私はどうせ嫌われ者だし、というわけで「一度だけあいさつしたけど、あとは知らない」 と返事しました。怒られましたが、どうでもいいです。多分私は他人の手駒になるのがイヤなんですよね。あとでJから見返り? があったとしてもね。
これ、JのKさんに対する友情や思いやりではなく、今後も業務上有利にやっていきたいという思いが見え隠れするからでもあります。権力志向とはこういうものでしょうか……Jのような「やり手とされる人間から見て私は社会不適格者」 だろうと思います。
私は世の中の小さい世界だけの権力者は嫌いです。Jはおそらく賄賂の重要性を感じて生きているが、私は感じない。この違いをJに言っても言うだけ無駄なヒト、理解できないヒトだと思っています。実は今も犬猿の仲。年令は三十才ぐらいあちらが上ですが、そういう性格に限って長生きするのよね。口も達者でぼけないのは偉いとは思います。つい先日再会したのですが、命令癖がまったく治ってない。そういうわけで書きました。
私自身は子供のおけいこごとの先生などにお歳暮を贈っています。遠方の親戚とも双方の土地の美味しい名物を交換しあう形になっちゃっています。日頃の感謝をこめて、かつ遠方には生存確認と時候の挨拶を兼ねる。こういう気風は風情があって良い習慣だと思います。お中元お歳暮自体を賄賂とはしていませんので念のために書き添えておきます。




