第七十話・万引き目撃
万引きは犯罪です。たった一つ盗っても、万引き、万を引く、といいます。表現としてのこの日本語は、大変良くできていると思います。つまり、金額の多寡は関係なしで万引きできる人は根底から「善悪の区別」 がわかってない、つまり、なんでも盗っていくだろうという意味合いも含まれているのです。
さて、私の行きつけのスーパーは、売り場の一部が百円均一商品になっています。そしてレジは一つ。小さいところなので、私服の万引き監視員などはいないはずです。子供がそちらにノートを買いに行き、私は生鮮コーナーへ夕飯のおかずの材料をさがしにいきました。子供には学用品代として先にお金を渡してあります。
買うものは決まっているはずだが、なかなか帰ってこない。ノートのついでに、シャーペンの芯も欲しいといっていたので商品の場所に迷っているのかなと思いつつ、私の方が先に買い物を終え、駐車場で待機していました。やがて子供が戻ってきました。
車中に入るなり、「万引きっていうのを初めて見た。今からでも店員さんに教えた方がいいのかな、どうしたらよかったの?」 と聞きました。犯行現場を見て我が子は固まっちゃったらしい。レジでノートを買うときにも言えなかったらしい。
帽子をかぶった男性だったそうです。片腕にはそのスーパーのマークが入ったビニール袋、おそらくすでに購入した物品でしょう。子供の証言によると、きょろきょろとして様子が変だなと感じたそうです。それから、ガムテープをつかみ、持っていたビニール袋に入れてそのままスーパーを出て行ったと……持って行ったガムテープは一個だけです。百円ショップなので、定価は税込みで百八円、それを万引き……子供は文房具コーナーの展示物の隙間からばっちり見たそうで……どうしようと思っているうちに犯人がさっさと出て行ってしまった……というパターン。
レジはあっちだよ、と声をかけた方がよかったの? と子供が聞くので、私はあわてて首をふりました。
「だめよ、店の外だったらそれを聞いてもOKらしいけど、店内でそれを聞いたら、ちゃんと払うつもりなのにと聞いた人の方が怒られるのよ」
特に商品入りのビニール袋を片手で持っていたというのが、もうね、言い逃れできるような持ち物もちゃんと用意している。常習犯ではないかと思う。そして子供は「今から警察に行くの?」 と聞く。なんと、うちの子はレジの人どころか、警察に己の見た犯罪を教えにいかないといけないと思っていました。私は警察に行かないと告げました。確か万引きは現行犯でないと逮捕されなかったはずです。私は犯人の顔は見た? と聞きました。見た、という返事。今度会ったらわかるという。お店の人に知らせなくてもいい? お母さんがついてきてくれるなら、お店の人にガムテープ一個なくなってると言えるよ、という。
子供は万引きは犯罪なので通報は見た人の義務だと思っていました。私は心苦しくまた後味の悪い思いをさせたその万引き犯に腹がたちますね……どういう人かはわからないけれど、もし我が子が素直に犯人に向かって「勝手に持って行ってはだめだよ」 と言ったら、犯人が逆上して暴力をふるう可能性もあるのです。それを考えるとぞっとします。罪悪感が欠落している人間もいるので、だからこそこの世には悪人を逮捕できる警察も必要ですし、刑罰も存在する。
正直、こんな世間を見せたくなかったですが、そうはいかない。こうやって子供は世の中の汚いところも見ながら育っていくものでしょう。私は学生時代の同級生で遊び感覚で万引きをした人も知っています。また私自身も同級生にお金を取られたこともあります。これが現実というもので私はそれらの存在すら残念に思います。
その万引き犯の男性はガムテープを盗れて良い気分でしょう……こういう人も人権がありますものの、真面目に生きている人に対して、つまり、対価を払うのが当たり前で真面目に働く人々をこうして静かに脅かし、かつ不快にさせていることに気づきはないのでしょうか。