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第七話・盗作された思い出と踊ることを妨害された思い出

 今回は私的な事柄を書いて考察してみます。学生の頃、私は周囲の人からは終始、格下に見られていました。今でも格下だと思われている方が気楽なところもあります。小学生の頃に孤独感に慣れて「ぼっち系メンタル」 だけは鍛えられていたので、別にどうでもいいやと思っていました。対人関係にはやや投げやりで、修復の時間が惜しいのでフェイドアウトします。その分読書や落書きに時間が費やせています。

 しかしこれだけは許せないという中高の思い出があります。古川と高松の話。本名です。

 ぼっちの私でも「おはよう」 ぐらいはいう相手がいました。斜め前の席にいた古川です。いつも髪を真ん中分けにして両肩あたりで二つにくくっていました。寒がり屋さんなので冬場はストッキングを二重にして履いていた。古川は私をバカにすることはなかったので、私も普通に接していました。


 しかしある授業で事件がおきました。先生が前回の宿題の作文に優秀作が出たので、読みますと言いました。そして実際に読み上げました。

 それは私が書いた作文でした。夏休み中にプールにいってそこに潜った時の水面の様子を書いたものです。じっと聞き入る教室の同級生たち。私はどきどきしていました。優秀作……書いた甲斐があったとうれしかったです。

 ところが先生は作文を読み終えた後、「この文章を書いたのは古川さんです。本当によく書けていました」 と褒めました。皆は拍手しました。呆然とする私。そこへチャイムが鳴りました。授業終了です。

 当時の私は先生には「あれを書いたのは私です。古川は私の作品を盗作した」 と訴える考えは微塵もありませんでした。今でも言うべきだったかと思いますが、どうせ私のいうことは信用しないだろという考えがこびりついていたのです。他の教室の生徒から、通りすがりにヘンな顔をされたり、通せんぼをされたりしていた私ですから。ゴキブリ呼ばわりもされていますからね、今でも忘れてはいません。

 斜め前の席にいる古川は、私から顔をそむけています。その態度は意図的でした。明らかに古川は私の作文を見てそのままそっくりに書き写したのです。でも古川は、いつ、どこで? 私の作文を見たのか。

 そして先生は提出された作文のうち、そっくり瓜二つであった作文を見たはずです。私と古川の席の位置関係で教壇から見て前の方の古川の作文を優先したのでしょう。

 つまり、盗作したのは私だと判断された……斜め後ろの席からは古川が書いた作文が読めるだろうと判断したのでしょう。しかし先生は私に一言でも聞いてくれたら私だって話せたのに。私は先生からもバカにされている……さすがにぼっちに慣れていた私でも屈辱の涙が出ました。数十年たっても、あの時の悔しさが思い出せる。あの先生は盗作した古川を評価し褒め優先したのです。

 後日返されてきた作文には何のコメントもついていませんでした。先生は瓜二つの作文の提出物があったら双方に聞くべきだった。

 私に屈辱感を味わせた先生。いつの日か私が小説で大きな賞を取れたら、この古川の下の名前と先生の名前を公表して皆の前で謝罪させたいです。


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 もう一つ。高校生の時にはダンスの授業があり、創作することになりました。私には友人はほぼいなかったのですが、バレエをしていたのは皆知っていたので、一緒にやろうと声をかけられました。普段バカにされていた人たちだったので、私は黙っていました。振付を押しつけられたりするのは構わないですが、いうことを聞いてくれなさそうだったからです。絶対うまくいくわけがない。

 結果、普段からボッチの人と組になってしまいました。私は組になった人に、一緒に踊ろうといっても首を振ります。創作ダンスにはまったく関心がない人でした。そのうちの一人は後年国立大学に入学した秀才だったのですが「当日は生理中なのでお腹が痛くなるので踊れない」 といいました。悪い人ではないのですが、ダンスや美術関係には徹底的に関心がない人でした。もう一人は「体が悪く踊れない」 と言いました。事実身体の弱い人でしたので、踊るのは無理でしょう。

 がっかりしながらもこれで一人でも踊れると思いました。ダンスの先生には、他の人は踊れないようなので、一人だけで踊ってもいいか、と聞きにいきました。その先生はよくある仲間割れと思ったらしく、ニヤニヤしていました。下卑た笑顔を数十年たった今でも思い出せる。しかし私には踊らないという選択肢はありませんでした。私は踊る機会があってうれしかったです。

 そしていろいろと自分で振付を組み立てました。練習は狭い私の部屋です。ダンス発表が近づくにつれて、学校で昔バレエをしていたという高松がやたらと話しかけてくるようになりました。

「皆、体育館で踊ったり、運動場で練習してるのに、どこで踊ってるの?」

「狭いけど家で踊ってる……」

「だったら今、ここで踊れる? 見たいから」

 私は嫌な予感がしました。

「それは、イヤ……」

 高松はしつこかったです。

「ダンスでなくバレエでしょ? 踊る気なのでしょ? どんな曲よ? 教えてよ」

 音楽ぐらいならと私は曲目を教えました。高松の知らない曲で高松は「へえ……」 と言いました。アニメ曲です。高松は急に笑顔になりました。それを聞いてみたいのでぜひ貸してくれという。今と違ってスマホはない時代です。その場で音楽を流せないレトロな昭和時代の話です。

「聞いたらすぐに返すから」

 仕方なく私は翌日レコードを持ってきました。すると高松はなかなか返してくれない。私は困って高松に「先生に相談する……」 というとあわてて翌日持ってきました。しかし、そのレコードに傷がついていた。広範囲でがりがりとこそげている。カッターナイフや、やすりを使っているようにみえました。私はびっくり。もちろん再生できません。高松はそこまでして私に踊らせたくないのか、なぜ……? 一人で踊るのがそんなに気にいらなかったのか? 

 あんまりだと思った私は高松にレコードが傷ついていて、再生できなくなったことを告げました。すると高松は「最初から傷がついていた。私も聞いていない」 という。明らかにウソですね。なんてひどいことをするのだろうか……私が高松の顔を見つめていると、背中を見せて逃げていきました。

 ウソだとわかっていても、最初から傷がついていたと言い張るなら、水掛け論です。私はお小遣いの中からお金を出してもう一度レコードを買いなおしました。

 今でも私は高松に「ダンスを妨害された」 と思っています。見下げた相手には何をやってもよいだろうといういじめの心理をここでも見れます。ここでいじめというより、嫌がらせだろうと感じる読者さんもいるかもしれませんが、いじめですね。私なら何をやっても大丈夫、困った顔を見たいという、いじめです。

 私はその時の嘆きを今でもリアルに思いだせる。

 高松に対してはこの思い出をどう思っているか、きれいさっぱりと忘れているか心理学的な興味もあるので聞いてみたいです。子どもがいるならば先の古川もあわせて、子どもにいじめの話をどう教えているかぜひ聞いてみたいものです。




◎◎◎ 第七話 まとめ ⇒ 心のよりどころを邪魔されたことは一生忘れられない ◎◎◎


受賞しましたので約束通り公表します。古川恵美子です。同姓同名が非常に多いので大丈夫でしょう。昭和三十年代の生まれですけど。

バレエ関係は後日公表します。(子育て関係の人と同姓同名ですが年代が違うのでこれも大丈夫でしょう)こんなことを書いても意味がないけれど、このエッセイは私の遺書でもあるから。



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