第六十四話・容姿
あるある話だけ書いてます。
ものすごくおおざっぱに人間の容貌をわけると三種類あります。私は日本人ですので、
① モンゴロイド、俗に黄色人種という部類に入ります。そのほかに、
② 白色人種のコーカソイドいわゆる白人、
③ 黒色人種はネグロイドいわゆる黒人。
多少の皮膚の色の薄い濃いはあります。いまや白人、黒人ということばすら差別用語ではないかというご指摘に怯えつつ、このエッセイを読む人の大半が日本人と仮定しての話をすすめます。
さて世の中の大半はやせていて顔のつくりがコーカソイドつまり西洋人的な方が美しいとされています。男性的女性的という性差も声高に言う人は今は昔ほどいませんが、現在どういう人が「外見上美しい」 とされているかというのはテレビや雑誌のグラビアである程度は把握できます。
目は二重でぱっちり、鼻筋がとおっていて、歯並び良くて髪の毛はちゃんとある。ほっそりしていた方が有利ぽい。肥満体型でも人気のある人はいるが、容姿重視のモデル専業では活躍が限られてくる。もちろん若いということも重要なキーワード。
それ以外の人でももちろん好意を持たれている人もいるにはいる。容貌に関して通常は不利な人、例えば通常なら本当のことでも口に出すと悪口になるハゲデブチビブスな人の場合でも、メディア上に連続して露出し、大衆に認められている個性は、その存在自体が記号化していることが多い。
テレビには街頭インタヴューでごく普通の容貌の人も多く出ますが総じてパッと見て感じの良い人ばかりです。この日本にはどの家庭でもテレビはあるでしょう。テレビをつけますとどういうアップでも見るに耐える男女が出てきます。女優さんでなくとも感じの良い人。何かの試合では応援している観客のアップは選手家族の他は、かわいくて若い女性が大きくうつされる。高校野球の試合では特に顕著に思える。
少なくともテレビにはいわゆるユニークフェイスや知的障碍者は何らかの特集というか主張のある報道特集番組以外には出ません。ああ私は今地雷を踏もうとしています。でも最近どうせもう老い先短いし思うことを書いてもいいだろって心境になりました。と名もなき草が吠えてますけど、近年の異常気象の熱風もしくは寒風でかき消されて大丈夫でしょう。
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さて容姿で得する人は大変得します。特に未婚の男女は顕著でしょう。顔さえよければ性格が悪くてもつきあいを好んでする人がいますから。
容姿と性格のつながりに関しては話が別になりますので今回はなしとします。私に関しては容姿が悪い方に入るので、美女美男に秋波を送る人を傍から見れる立場にありました。終始、空気でよかったと思います。美しいがゆえに親切にされる人を見ている方が気楽です。モテている人が、ある男性を振った時に、私が男性の嘆きを見かねて、こんなに思われているのにもったいないよと言ったら、「あれが欲しかったら私はいらないので、あげる」 と言われたことがあります。そのつもりで言ったのではないし、彼にも心はあるはずなのに、彼の心をも左右できると思っている美人って余裕あるなあ、と思いました。
お花だってそうでしょう、美しく新鮮な花は鑑賞され心を和ませ丁寧に扱われますから。どうでもよい形のおかしい花だって一応は花です。が、はさみでちょんぎられてゴミ箱に捨てられます。かように醜さと美しさとは外部からの扱いが雲泥の差です。花でも人間でもそのあたりはそんなもので仕方がないと思わねばいけません。
そのかわりその美しさは一時です。いつかは死にますし、美しさは徐々に枯れてきます。この場合、美しいと自他とも思われていた美女の嘆きと恐怖はいかばかりか。そして悲喜こもごもの事件が生まれる。
だからこそ、美醜をテーマにいくつもの芸術作品の傑作がでる。老いへの憎悪と死への恐怖は、いつかは我らもああなるのだという根源的な罪悪感と嫌悪感を抱かせる。美しさが限定とわかっていてもそれはお互いさまでだからこそ。短い人生を沿うならできるだけ美しい人間と出会い美しいもの&便利&食べ物なら美味なものを侍らせておきたいと思うこと自体が人間の「性」 というものかもしれません。
現在、詐欺メイクということばがトレンドです。素の顔とは別人に、つまり美人の方にメークができる本などが人気。詐欺という名称は犯罪ぽいですが、見た目で喜んだりがっかりするような第一印象の美醜感覚が崩れつつあり、多様性が認識される証として喜ばしいです。