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第六十一話 子供へのいじめの対応・謝罪前の親編その1



 子供さんがいじめで自殺してしまった親御さんがテレビのインタビューに出ておられました。お子さんの名前やご両親の素性を明らかにして「いじめをなくそう」 という啓蒙をされています。その中でのセリフで「いじめが親に知られた時点で赤信号」 だという一句がありました。

 聞くなり私は衝撃を受けました。まさにその通りだと思ったのです。私自身はいじめられっ子でしたが、親には知られたくなくて黙っていたのを覚えています。特に先生に「動きが鈍い」 と皆の前で背中やおしりを叩かれたことがありますが、親に告げ口は一切しませんでした。というよりか、ほぼ忘れていました。子供を持ってから野球やサッカーの話題になって「なぜ私は興味がないどころか、気分が悪くのなるのだろうか、ルールを覚える気も一切ないのだろうか」 と思い返してコレだと気づいた次第です。

 私にとっちゃ、野球やサッカーなんてこの世になくても大丈夫だよね? それ以外にも楽しいことはたくさんあるからね? と思っています。ただ子供には申し訳ないことをしました。一度だけ、野球クラブかフットサルのどちらかに入りたいといってきたとき、おかーさんがキライだからダメ、送迎もしたくないと言いましたから。

(著者注:送迎というのは、私の現在の居住地は交通が不便で車を出さないとクラブ活動ができないからです。親が送迎したくないというと、子供は何もできません。本当に悪いことをしました)

 球技は他人との連係プレーがたいてい必要なのでPTAバレーの試合ですら、億劫でした。人の和を大事にしましょうね、仲良くしましょうねということで親善試合の意義もわかりますが、正直にいうと今でも嫌いです。PTAの対抗試合は仕方なしにやっています。楽しいと思ったことなんて一度もないです。そのぐらい傷ついていたのだなあと思っています。以上横道にそれすぎたので本筋に戻ります。


 親の私はいじめられっ子でしたが、その子供もそうなりやすいのだろうか……統計がないのでわかりません。しかし子供もやられました。その時の学校側の対応と親としての心情を思い出しながら書いてみます。ただ私に関しては教職クソ説をとっていますが、子供に関してはよい教師に当たりました。それには感謝しています。しかし学校側としては、いじめという「事件が起これば早期に収束させたがる」 嫌いがあります。

 私がいじめっ子の謝罪を受けさせようと受諾の返事を急がせる教師に向かって「一体なんのために? それが一体なんの意味があるのですか?」 と問い詰めたりしました。私は普段無口だけど子供が絡むと鬼になれますね……今回はその話です。

 双方とも将来ある子どものため、細部の詳細は伏せ、特定されぬよう一部の事実を変えています。


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 私の子どもへのいじめが判明した時は本人は絶望的な顔をしていました。ホント知られたくなかったみたい……でも判明した時は我が子が無意識で出していたサインは確かにあったと愕然としました。私が気づかなかったのです。

 子供の年だけ明かします。当時十四才、中学二年生でした。魔の十四才。

 加えて私がこの人生で一番最悪な年も十四才でした。皆に無視されてよそのクラスから集団で私の席を取り囲んで「きゃーこっち見た、気持ち悪い~」 などと言われまくっていた時代です。誰も笑うだけで助けてくれません。私はずっと下を向いているだけです。

 教師もクラスメートも全員クソだったのに、よくもまあ毎日学校へ行ってたものだと自分でも感心します。でも不登校にはなりませんでした。当時は不登校は非常に珍しくそれをしたら人生が本当に終わりになると思っていたので頑張りました。あと図書室が心の癒しになっていました。もうどこになんの系列の本があるかなど全部覚えていました。

 しかしわが子は学校へは行けなくなりました。不登校です。そのいきさつをまず担任から話を聞かされ、それから本人に聞く。本人は先生から電話があったと聞いて観念したようです。子供にはある特徴があり、それをクラスメートには知られたくなかった。それをいじめっ子に皆の前で晒され、騒いでいたところを担任に見られ、それでいじめの実態が担任にもわかったのです。

 ここまでになっていたのに気づかなかった自分を母親失格だと思いました。今までのことをすべて話すと子供は言いました。

「お母さん、ぼくはもう二度と学校へは行かないよ。三年生になったらすぐ修学旅行もあるが、行かない。このままどこへも行かないよ」

 私は即座に言いました。

「行かなくてよろしい」

 私には心療内科や精神科に通院する児童や学生に接した経験があります。自死を選ぶ前にわかってよかったとも思いました。子供はすべてを話した後に主犯の名前を叫びました。

「あんなヤツ、死ねばいい」

 私はすべてにおいて子供に同意しました。この子は本音を叫ぶことができたことを喜びました。私は母親として返事しました。

「ほんとね、今すぐ死ねばいいわね」


 死ねという発言は、医療従事者としては不適切発言かもしれません。しかしこの会話は事実ですし本音です。我が子をここまでに追い込んだいじめの主犯が心から憎いと思いました。

 子どもは頷くと布団をかぶって寝てしまいました。半年前から部屋に閉じこもる様になっていたのですが、私は子供が思春期に差し掛かり第二次反抗期が到来したと思い込んでいました。だから些細なことに怒ったり、部屋をバシンを音を立ててしまって食事に出てこないのも……食欲が落ちたのは気になっていたのですが、背も急に伸びたのでそのせいかと思っていました。部活もだるいと休みがちだったのですが、いじめがあるとはまったく考えませんでした。朝ごはんぐらいは食べろというと余計に部屋に引きこもる。布団をひきはがすと暴力を奮う。無理やりすると、逆効果だとわかって口出しをしないようにしました。

 以前は部活や友人の話などを教えてくれたのに反抗期になったらこんなものか、母親ってさみしいなーと思っていたのですが、とにかく、そっとしてあげようと思っていました。それでいじめの発見が余計に遅れたのです。


 続きます。


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