第六十話・人脈
今回は告白系。対人関係が苦手な人にとってはあるある話かもしれません。
敷居が高い……なんとなく入りにくい場所ってありませんか。例えばドアマンのいるハイブランドの店先、格式も料金も高そうな店……まあこういうのは、縁がないと割り切ってしまえば平気です。
しかしお金を徴収しないといけない自治会の仕事、めったに会わぬ遠縁との冠婚葬祭での同席や義理のお見舞い……行かねばならぬと思いつつ気が重い……この際、そういう場所も敷居が高いといいます。今の若い人はもう使いませんかね……敷居というのは和風の住居で、部屋と部屋の間にある横木のことをいいます。そこに溝があって襖ふすまを開けたり閉めたりできるようにしています。観光地などで古い民家に入ることがありましたら、外と家、蔵、馬小屋などの境目を見てください。またいでみてください。昔の実際に敷居が高いと入りにくいです。それを心理的に表現したのが「敷居が高い」 という言葉……日本語はおもしろいです。
しかしこの社会で働き、生活していると、どうしても義理がからむことが出てきます。義理がたたない、不義理をするというのは社会人としてどうかなと思うこと、思われることです。義理もへったくれもない生き方をしている人は、社会へのつながりとも無縁のはずです。それはそれでいいのですが、私に限ってはそうはいきません。今回はその義理で行かねばならぬが敷居が高くてできればスルーしたいができぬという話です。
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私は初対面の人が苦手です。聴力が劣っているせいもあり、若い時は新しい場所や出会いというものが苦手でした。休日は家に引きこもって本ばかり読んでいたのでまだ人との距離感が未だにわかっていないところがあります。特に男性。そんな私でも大学生になると付き合いというものが自然発生してきます。それでも女性ばかりいるところで気楽な部活をしていたのですが、顧問の先生が男性のドイツ語の教授でした。ドイツ語という言葉の響きによく似合う、重々しそうな表情の男性で部室に来られてもあいさつはするものの、避けていました。気さくに世間話をする先輩を横目に己の部活に精出していました。当該の教授からは愛想のない学生だと思われていたでしょう。
その年の忘年会だったか、くじ引きで座席を決めることになっていて、私はなんとその苦手意識のあった教授の隣に座ることになってしまいました。女性オンリーの忘年会だしと思って参加料を払ったのに、一度も話したこともない教授の隣なんて……私は固まってしまいました。先輩方は私が一種のコミュニケーション障害があるとは薄々感じていたと思います。教授はこっちを見ています。
私、硬直中……教授がこっちを見ている……話すことも話したいこともないのにどうしたらいいのだろう……というより今から早く家に帰りたい。忘年会になんて参加しなきゃよかった。こんなのだったらティッシュ配りのバイトの方が数千倍ましだ……席に座りもせず無言でつったっている私に察しのよい先輩が聞きました。
「えーと……教授の隣だけど……座れる?」
私はあわてて首を振りました。
「帰ります……」
忘年会が始まる前から周囲を盛り下げる私に先輩もあわてました。
「いや、帰らなくていい。私と交代ね。あなたはこっちの隅っこでいいわよ、ね?」
「……はい……」
教授は私の事を絶対嫌ったわ……変なコだと思われているわ……いや、先輩は美人だしお話し楽しいしこっちが隣に座ってくれてほっとしているわ……こんなネガテイブなことばかり考えながら食べました。味なんか覚えていません……ほんと、私はこんな性格の暗い女でした。ただ部活では賢い先輩ばかりで、小中高校によくいた思考が低レベルの人間がいなかったのは幸いでした。
今では笑い話になるでしょうが、当時は知らない男性と話すのは恐怖でしかありませんでした。教授は私の在学中に亡くなられて私は後悔しまくりました。今の私だったらドイツ語の面白い話など聞けただろうに……つくづくバカだったと思います。
対人関係は苦手な私でも医療の道に入ると患者さんとどうしても話すことになりますので、それで性根が入ったと言えます。他人様にとってはつまらない思い出かもしれませんが、精神科受診の患者さんで人が怖いというセリフを聞くと「わかる」 と共感してしまいます。私の場合、受診するほどではなくともこのコミュニケーション不足で失ったものも多いとは思っています。私は人脈面ではそうやっていろいろなチャンスを失っています。残ったのはこのサイトで細々と小説やエッセイを書くことですね。母からは私が変わった話をするので、しゃべるなと言われていたし、案の定いじめにあったし……現在の状況は、当然の結末だと思っています。
口は災いの元だと今でも思います。でもコミュニケーション不足は口は災いの元ではなく、将来の人脈の一部を自ら摘み取ることになります。誰かに甘えるわけにはいきません。頼りになるのは、己だけです。仕方がないと思っています。