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第五十九話・自称妊婦様


 二十年ほどの前の話。夜行日帰りのバス旅行で東京ディズニーランドへ行ったときの話。以下英文字Tokyo Disney Land、頭文字を取ってTDLとします。今もそうですが、地方からのTDLへは、添乗員なしの団体バス旅行が一番安い。

 いろいろな客層がありますが、バス泊なので、さすがに小さな子供はいません。体力のある学生グループ、女子、おばさん、カップルが圧倒的です。私は早くに予約していたので前の良い席にあたりました。良い席というのは、足元がゆったりしていたのです。昔のバスを知っている人はわかると思いますが、車輪の上にあたる席は振動が激しい上に座席の占有率が狭くシートが車輪の形に微妙に盛り上がって座りにくかったものです。公営バスがそうだったのですが、安い旅行会社だったので夜行バスでその型だったのです。当時はバス内にトイレはなく、そのかわりに無料のお湯の蛇口がついていて、コーヒーやお茶をセルフでいただけるようになっていました。

 トイレがないので数時間おきに、高速内のサービスエリア内にトイレ休憩があります。最初の休憩の時、バス運転手さんが私と同行者が座席に戻ると呼び止める。


「妊娠しているかもしれない人がいるので、後ろの方の座席を代わってもらえぬか」


 私は不思議に思いました。

「妊娠ではなく、妊娠しているかもしれない……というのですか? 夜行バスに乗って一日中ディズニーランドで遊んで、その日の夕方に日帰りでこちらに戻るのですか、その人、大丈夫なのですか」

 運転手さんも困ったように言います。

「はあ、何かあったらどうしてくれるとおっしゃるので……」

 その時点で妊娠何か月かは不明、安定期かも不明です。出産を切望する女性ならわかっていただると思いますが、私なら旅行を取りやめます。同行者ならやめさせます。私は無駄に想像力があるので、望まぬ妊娠で最初から下ろすつもりなら話はわかると思いました。それでも妊娠しているかもしれないから、座席を譲れとは……運転手さんは他の人には断られたらしく、本当かしらと疑う私に必死で頼みます。かわいそうになって、じゃあ、と譲りました。カップルはまだトイレ休憩から戻っていません。

 先に座ろうとすると、後ろから三番目の席です。案の定、バスの車輪の上で狭く、まだ出発していないのに振動がする。

 さて、バスに乗り込んできた自称妊婦かもしれない女は妊婦に見えない。カップルできて、男性の方はちゃらい感じ……運転手さんに言われたのが、男性が後ろの網棚の上の荷物を取りにきたときに、狭い座席に座っている私たちに向かって小さい声で目線もあわせず、「どーも」 と一言だけ言いました。

 それを聞いて同行者は怒りました。それでいて怒る態度は絶対に見せなかった。こういう怒り方もある。彼女は、立ち上がりました、そして気分が悪そうにハンカチで口を押えて、よろよろと歩きながら、運転手さんの方に言いに行きます。トイレ休憩からほかの乗客が戻りつつある。バス内の通路は混雑。その間を縫って前に行く。私はついていきます。同行者はバス運転者に言いました。

「急に気分が悪くなりました。その男は妊娠してないのでしょ? 私、しんどいから。元の場所に戻してくれるぅ?」

 私は、なあんだと思って、笑いだしたくなりました。明らかに演技ですが、私も彼女の背中をさすってつきあいました。二人のカップルをチラ見しますとカップルは「……はあ?」 という顔。

「つまり、元の席に戻してほしいのです」

 と私。

 あのカップルが一言でもすみませんといえば、いいけど「どーも」 というようなラッキーというような態度が許せませんでしたので、絶対に元の席を取り戻すつもりでした。

 運転手さんは立ち上がります。でも立場上、妊娠しているかもしれないと言い張る人間にどけとは言わない。他の客に言いました。

「えっと、すみません、気分の悪いお客さんのために、どなたか、席を譲ってください」

 同行者はきっと顔をあげてダメ出しします。

「いえ、運転手さん、私、元の席がいいです」

 自称妊婦かもしれない女は言い返しました。

「ワタシ、妊娠してますけどっ!」

 頭に来た私も言い返します。

「でもお隣の男の人まで妊娠してないでしょ?」

 どこからか笑い声がしました。おそらく他の乗客です。先に言われて断った人かもしれません。周囲も何でもめているかわかってきたのです。例の女は強硬に言い返す。

「二人一組だからカレも一緒に決まってるでしょっ」

 あ、厚かましい……こんな女がTDLに行けるのか。どうせこの格安旅行も彼に全額ださせているだろう。この嘘つき女の顔をばらしてやりたいわ、ですよ。


 結局、押し問答を見かねた運転席近くに座っていた、おばさんグループがこう言いました。

「では、こうしませんか? 気分が悪くなった人のため、この二人は最初の席にもどしてあげてください。私だけが後ろの席に行きます。妊婦のあなたは私の席に座りなさい。男の人は私みたいなおばちゃんで悪いけど、朝まで一緒に座るのよ、ね、それでいいでしょ」

 カップルは黙りました。まさかこうなるとは思わなかったに違いない。

「さあ」

 おばさんのきっぱりした言い方に、抗えないものを感じたのか自称妊婦女は、おばさんの席へしぶしぶと座りました。カレの方は憮然とした様子で、後部座席に戻りました。私たちはゆうゆうと元の座席へ。

 次のサービスエリアのトイレ休憩で、改めてそのおばさんに礼をいったら、バッサリと言う。

「あの子、妊娠してないわよ。後部座席が不満で嘘をついてでも楽をしたい人ね」 

 指示に手馴れているようでしたので、何をしてる人かと伺ってみると「看護師」 と言っていました。さすが。

 朝に目覚めてみると、何がどうなっているやら、カップルは元の後部座席に一緒に座っている。おばさんたちは元の席になっていました。そしてTDLは目の前! 私たちが寝ている間に何があったのかはわからない。多分彼が彼女と一緒にいたくて、元に戻ろうとしたのか、その逆か。カップルで来たらやっぱり一緒に座りたいよね……? それにしてもお似合いすぎるカップルだった。あの後、バカ同志で結婚したのかしらね。


 今回は妊婦は大事にされるべきという不文律を逆手にとって、妊娠しているかもしれないと優遇を要求した女の話です。世の中こうしてわたっていく若い女性もいますね。確かに。

 今回はつまんない思い出話にしかすぎませんが、もし彼女が本当に妊娠したらそりゃもう妊娠しているかもしれない、よりももっと強気で「妊娠中ですオラ」 と吠えているだろうなと思います。次に「赤ちゃんがいますオラ」「赤ちゃんが熱を出していますオラ」とかね。子供がいなければいないで、「生理中だオラ」「頭痛がするぞオラ」「私はオンナだオラ」 とやっているに違いない。なんにでも嘘をついて周囲に優遇要求、いや強制して一生を過ごすだろう女ですよ。

 こういう女も私は嫌い。なのでイラクサ案件に入れときました。

 これでこの話は終わりです。














 


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