第五十八話・取材記者
記者やライターは書いた文章が活字となって不特定多数の読者さんに読まれます。すごくよい職業だと思います。良い文章にあたるとこれを書いた人はどんな人だろうと想像します。若い時はあこがれの職業の一つでもありました。
そういうあこがれのイメージを壊された話をします。どうしてわざわざ書くかというと、新聞や雑誌など広範囲で拡散される記事や写真を出す人には誇張や誇示、その場にいた人への気遣いが皆無であった人に実際に会ったからです。
取材される側としては、記者を通じて世間に好感されたい、知名度、売り上げを伸ばしたいという欲があり、キーマンとなる記者にへりくだった態度をとる。その日常的な積み重ねで一部の記者は偉そうになるのではないか……私は実際にそういう勘違い記者に出会ったことがありまして数年経た現在も不快です。読者のみなさんもまた今後どういうことで取材対象もしくは取材の現場を見ることがあるかもしれません。
同時にその記者に、媚びた態度をとる取材対象者の経営者さん等を見て、影響力という無形の一種の権力の存在を認識しました。つまり、経営にあたって過去から現在までの目に見えぬ努力を、初対面でわずかの時間しか対面していない記者さんの記事一発で吹き飛ばされる懸念があるということです。
今回は、その類のアホ記者には絶対に書けない文面です。そういう人は己のことを悪く書かれることなぞ思いつきもしない。新聞や雑誌などのマスメディアになんのしがらみもコネもない無名の私なら書ける話です。以上前置き。
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名前をW新聞のW子とします。イニシャルではありませんので念のため。Wは全国新聞。そして記者であるW子はまだ若い。
取材対象は、できたばかりのダンス系のお教室でした。まだ耳新しいジャンルです。好奇心が強かった私は、受講していました。あるとき先生が「W新聞さんが取材に来られています。一緒にレッスンを受けましょう」 と、とてもうれしそうにおっしゃいました。
Wは最前列にいましたが、私たちにはあいさつなしでした。一人で取材しにきたらしく、大きなカメラとノートをレッスン場に持ち込んでいました。一人で取材するのは大変ですよ、それはわかる。
私が嫌だったのはその先生の態度。
少し踊るごとにW子をちらちら見る。あきらかにWこだけを意識しています。生徒にダンスを楽しさを教える態度ではありません。取材者イコール超初心者のW子にかかりきりで、はっきりいって私たち生徒はほったらかしです。私たちの中に気の強い人がいて、腰に手をあてて、W子を見てあごをしゃくり、不満の態度を示していました。そりゃお金を払っている以上は、学ぶ権利は等しくありますがその先生はあきらかにW新聞のW子を構い過ぎだったのです。
そしてW子は、受講内容を記事にすべく、私たちに向かってシャッターを切っているのに、終わるまで一言も話しません。先生にはいくつかの質問をしても、です。
極めつけは、着替えるスペースも無言でした。友好的な態度ではなく、仕事だからいやいやきたのかと思いました。とはいえ、口には出せませんので、W子を遠巻きにしてみている感じです。双方ともフレンドリーさのかけらもなかったです。今から思えばW子の記者としての心配りという神経が欠落していました。これも大新聞の後ろ盾があったからこその態度であると思います。私たちもよく取材に来てくれましたね~とは全然思いません。また取材を受ける先生の態度も、浅ましく感じたからでもあります。
先生は、W新聞に紹介記事がでるということで、掲載後の影響力、生徒の集客効果が期待でき、かつ楽しみだったに違いありません。しかしこういう先生の態度は、その新興とされるダンスそのものの楽しさを伝えるものにはならない。私はW子が嫌いになっていましたが、根本的にその先生の態度が問題だったと感じてはいます。
後日W子が書いた記事には写真も出ていました。先生をわきに控えさせ、W子が中心にポーズをとっています。W子の性格がやっぱり変だなと思ったのは、取材記事の最後にこう書かれていたからです。
お教室の紹介記事の最後の文面はなんとW子自身の母親に向かっての言葉。記事はとってないので、うろ覚えですが、母親への呼びかけの言葉でした。
「お母さん、変なポーズでしょ? こんな娘でごめんなさい」
多分W子にとって今までしたことのないポーズ、照れ隠し、読者受けで笑いをとりたかった……?
この記事を読んだ私は非常に気分を害しました。私が習っているのはそんなに変なポーズですかね? はじめてお試しでレッスンを受けて上手にできないことは、当たり前の話。それを先生のようにできない~恥ずかしい~と連呼するような記事。W新聞のW子さん,あなたは残念な人ですね……彼女の終始の仏頂面の後で、こんなつまらない記事を読ませられた私は、そのダンスに入れ込んでバカになったように感じました。その記事がきっかけでレッスン熱はあっさりと冷め、やめました。
なんとそのお教室自体も、一年もたたぬうちにつぶれました。集客効果どころではない。W新聞の記事のせいではなく、先生の性格による運営上の問題もあったのではとまで邪推していますが、例のW子の記事を読んでぜひやってみたいと思う人がいるでしょうか? W新聞のデスクも、ちゃんとW子の過去記事や記者の性格を見てから取材要請をすべきでしょう。もしかしたらW子はそこへの取材、特にダンスジャンルは嫌だったのかもしれないので、あんな投げやりな記事にしたのかと今にして思います。でも掲載はされるんだ。あんな記事でも……。
別件での話もついでに。
某温泉に入っていたら、私を含めたほかのお客に断りなく、私服で大きなカメラを抱えて入ってきて、撮影されたことがあります。カメラマンが女性であったのは幸いで、もちろん彼女たちは温泉客の裸を撮るのはさけてはいましたが、なんの説明もなし。
法被をきた係員も私たちには説明なしで記者さんに一生懸命に湯質などを説明中。私は不快だったのですぐにあがったのですが、同じようにしてあがった人と一緒に、アレナニと言い合いました。
クレームこそつけなかったのですが、温泉の偉い人らしき初老のおじさんたちが、さきほどの若い女性記者兼カメラマンに館内の土産の箱を積み、何やら説明していました。あきらかに温泉側が、記者側に、へつらっていてどちらが優劣にいるかまるわかりの状況。これは、通りすがりの客としては大変見苦しい。
雑誌名はあとでその某温泉を去るときにレジの人にきいたら、有名旅行雑誌でした。
そういうところでは欠点などを指摘された記事を書かれたら観光事業として即アウトなので、あのへつらった態度なのか、と思いました。転じてマスコミの人の優越感はそういう積み重ねで出てくるのかもしれません。
記事は公正に、平等にとはいえ、特に政治経済にかかわると複雑な大人の事情もかかわるでしょう。私のように世の中の末端の平民からして、普通に生きていても、こういうのを垣間見ますので、大新聞の記事の重みは時として人の一生を、時には国の繁栄をもかかわってくるのも当然かと思います。公平的な記事に見せかけて、我が国の不利なように書いて情報操作して平気なところもありますので、残念に思います。