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第五十六話・いきなり食べ物を取り上げて食べられてしまった経験があります。

 以下の書き方、書き出しでいいのかの懸念はあるが書いてみる。知的障碍者が何かの事件にかかわってニュースになるたびに思い出しますので。


 まだ子供が未就学児の頃の話……あるファーストフードの店内でハンバーガーを子供に食べさせていたら、通りすがりの男性にポテトを食べられてしまいました。その人はぼんやりとした笑顔で口を動かしている。危害を加える人ではないのは、すぐにわかったのですが「……ちょっと」 と声をかけても笑顔です。目線もあわない。病的な意味で常識が通じないことがわかり困惑しました。


 それはほんの数秒の間の話で別の男性が飛んできて「さあさあ」 とその人を誘導していきました。私はその引率者に「あの、食べられたのですが」 といおうとしたら、私に構わずその男性の腕をひっぱり「こっちだよ」 と入り口近くの席に連れて行きました。

 謝罪なしかっ! 本人の行動は責めても仕方がないにしても、この引率者はどうかという態度です。

 気短な人でしたら、きっと「ちょっと待てよ」 になるでしょう。謝罪もなしでスルーされるというのは私らしい出来事ではありますが、通常は間違いなくトラブルになるでしょう。明らかに知的に問題ある人でしたので、罪には問えないのはわかっているにしても……。

 私は業務上そういった障害者に接する機会もありますし、責めても仕方がないので子供がけがをしなくてよかったと思うことにしました。だから黙りました。そのかわりにその場で席をたって帰ることにしました。


 グループホームのレク(著者注、施設関係での催しの一環のこと、レクレーションの略)で外部で食事をするのはめったにないことだと思われます。その一角では奇声ともいえぬ独語をあげている女性もいました。店内の客はポテトを食べられてしまった私も含めて静かにその一角を注視しています。でもその一角はわれ関せずでした。例の男性もおとなしく座って何かを頬張っています。先ほどの引率者以外にシャツを着た若い男女が立ったまま見守っています。彼らは一人では行動できないから介護者並びに引率者がいるのです。職務として引率する人の苦労もわかりますし、普段外出できない入所者さんが楽しみにしているレク上でのことで仕方がないとも思いました……というか思わないといけないと思うのです。


 暴力傾向のある入所者を除いて社会経験を積むという名目のレクも必要です。また引率兼介護者の人員も限られ、とかく問題なくレクを成功させるという感情が先走って本来ならば謝罪するところだが、それどころではないのだろうと思うことにしました。つまり私はここで怒るのはよくないと感じたのです。もちろん命にかかわる危害を加えられた場合は話は変わってきますが。


」」」」」」」」


 以前の勤務先で外出許可をもらった入院患者さんが事件を起こしたことがありました。何らかのきっかけで悪い方のスイッチが入り、なんの罪もない通行人に大けがをさせたのです。守秘義務がありますので詳細に書きませんが、病棟では細長いろう下の窓の下で背中を丸めて将棋盤を眺めている人でした。日々穏やかに過ごされているので、事件を聞いた時はまさか、と思いました。事件後は警察の事情聴取でも興奮状態が収まらず、その日のうちに病棟に戻されました。知的もしくは精神疾患者を罪には問えないのがよくわかる事件です。責任を問われるのは外出許可を出した主治医と院長です。この件は裁判になったかと思います。理不尽な大けがをさせられた側としては「どうしてくれる?」 になるのは当然です。


 社会とはお互い支え合い助け合うものと精神がここでも生きています。人生はそんなものかも。双方とも悪気のない交通事故と考えるしかないのかとも思います。背後にいる責任者の責任も被害者感情も折り合いというものが片方がこの辺でしかたなかろうと思いきるまで収束しません。謝罪と金銭でまとめられる話が多いでしょうが、元凶となる加害者本人にとっては「ソレナニ」 でわれ関せずです。こういった表現で事件になるほどの行為を受けた側、もしくは加害者側の関係者様を感情を害する意図はないです。しかし、私はこういう案件も見聞きした側ですので被害者の心情を思うにつけ心理的な折り合いのつけ方は無いに等しく災厄とはまさしくこういうことだと感じます。


 この世は理不尽なことの連続です。過去に拘泥されるのはその人の性格によって、己を責めて病み、もしくは加害者や他者を責めて病むかのどちらかです。過去の思い出に生きて拘泥されるということは現在と未来を見ないということです。

 苦しい過去であるほどそれに拘泥され、現在大切にすべき人や出来事を見過ごしてしまう危険性があります。過去は決して取り消せない。ですが未来を見ず、過去に拘泥されるだけで動けなくなることは、一度限りの人生なのに、もったいないと自戒しています。


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