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第四十九話・聴覚・前編


 先の題名に音痴の話がでたついでに書いてみます。人間には五つの感覚があって大部分の人間はその感覚があって当たり前と思っているでしょう。しかしその感覚の一部が何らかの理由で遮断もしくは一部遮断されてしまうと精神的な苦痛ははかりしれないものがあります。


目は見えて当然、⇒ 視覚

耳は聞こえて当然 ⇒ 聴覚

鼻は匂いを嗅げて当然 ⇒ 嗅覚

口は食べ物の味わいを感じて当然 ⇒ 味覚

手はいろいろなものの感触を感じて当然 ⇒ 触覚


 それらがあって当たり前と考えられる人は普段から健康で当たり前と感じている人です。ある意味幸せな人。一生その状態でいくことができるかといえば、こればかりは誰にもわかりません。ただ一ついえるのは、加齢とともに、誰しも衰えが見られるということです。何を当たり前のことをさっきからずらずら書くのか、と思われる人がいたら、これからもっと当たり前のことを書くのですみません。どこか別のお好きなところにワープしていただけましたら幸いです……。

 これら五感の分類は、古代ギリシャの哲学者、アリストテレスによるものです。それが現在に至るまで引き継がれています。ついでにこれら五感の他に霊感を第六感という人もいますが今回の話とズレてきますので除外します。


 この世の中には完全な人間はいません。健康な人よりも「病気の人の方が多い」 のではないか。医療職だと毎日会う人がほとんどがどこか悪い患者さんなので特にそれを感じます。どんなに健康そうに見える人でも、どこかしら悪いところ、気になるところはあるものです。

 今回は音痴話の続きで聴覚に特化して書いてみます。実は私の音痴は原因があります。感音性難聴があるからです。幼少時に罹患した滲出性中耳炎の後遺症です。幼少時から現在に至るまで私は音の微妙な違いがわかりません。シャープやフラット記号が読めても実際に聞いたらわかりません。高低の音域の聞き取りにも差がありすぎ、ある人の声は聞こえても、ある人の声が全く聞こえなかったりします。かなりいい加減な聴力です。

 以下は幼いころから感音性難聴のある人は共感してくださると思います。口元の動きや全体的な表情で相手方の言いたいことを理解できる面がある一方、マスクをするなど口元を隠されますと会話が成立しにくいです。また人間関係におけるコミュニケーションに確実に障害ができます。子供はまだ発展途上なので素直に怒ったりバカにしたりしてきますし、成人してからは相手のいうことが不明で接客に困ったりすることもあります。

 感音性難聴者は杖や車いすの人と違って見た目だけではわかりません。私自身は、幼少時に聞こえなくて無反応だったり、逆に聞こえていても内容がわからなくて何度も聞き返すだけで軽蔑の目を向けられたことが何度もあります。もういいですと言われたこともあります。あれだけ呼びかけたのに振り返りもしないなんて、と、私にとっては、いきなり怒られたこともあります。いや、怒ってくれる人はまだマシです。私の行動で相手になにが不快にさせてかがわかるから。それから理由の説明、私の聴力についての説明ができるから。こういう人とは、わかってもらえるのでそれだけで縁があると感じます。

 でもせっかく呼びかけてくれたのに無視されたと感じる人もいるでしょう。私に何も言わずに「感じの悪い人ね」 と思われるだけもあったでしょう。幼少時にそういうことが続くと、子供は引っ込み思案、自己卑下感が増します。それで余計にいじめられるという悪循環になります。成人した今では縁がないと思っています。

 私は聴力が悪いせいで、どれだけ人間関係に支障をきたしたかと思うと残念ですが、これも仕方がありません。本当に「仕方がない」 と、思うしかありません。家庭では母が私の聴力のことを「ちょっと悪いだけ、あなたは正常」 と言い張るので正常と思い込んでいたこともあります。聞こえているはずだと何度怒られたかわかりません。この件については、もっと根源的な話をすると耳鼻科へ早期に受診しなかったせいです。小さい子供が受診できないという原因はただ一つ、保護者が連れて行かなかったからです。これはどうしようもありません。重い腰をあげて受診させてくれたのは、別に虐待ではなく、「うちの子に限って病気ではない」 思考からきています。ですので私に関してはかなり精神的に特殊な成長をしていると思っています。

 治療開始が遅れたものの、いざ開始されると学校を休ませてまで熱心に通院させてくれました。早く治癒できるようにとドクターショッピングまでしました。奇妙な祈祷師や占い師さんの元にも連れていかれましたし、うさんくさいマッサージ師のところまで行きました。

 しかし後遺症が残りました。そして私の母は「私が他人よりも聴力を劣っているという事実を認める」 ことがありませんでした。私が聴力が明らかに低下しているというのに、それでもなお、母は我が子(私のこと)の聴力低下を認めることはありませんでした。

 聴力が劣ると人間関係に支障がどうしても出やすいですが、あらかじめ周囲に事情を話し、できれば大きめの声をお願いと頼むなどやり方はいくらでもあります。しかし耳が悪いと誰も教えてくれない子供はそのままです。周囲の子どもは耳が悪い私のことを「呼んだら無視された」「つんぼ」「どんくさい」「見たくもない」 などといって避けました。

「私の娘は耳は悪くありません。普通の子どもですよ」 という担任にいう母のセリフを今でも覚えています。先生のとまどったような顔も。現在老いた母にその話をすると、母は覚えていないといいます。人生そんなものです。

 別件の話になりますが、ネットニュースの三面記事的なサイトで娘の第二次性徴を疎む母親が取り上げられていました。必須なのにナプキンやブラジャーを買ってやらないという話を読みましたが、これも一種の虐待、ネグレクトにあたります。私はそれを聴力でやられたと思っています。母は五体満足の完璧な娘が欲しくて耳の悪い娘は不要だったのです。幼い私はそれを敏感に察知していつでも聞こえるふりをしていました。聞こえていないときも聞こえるふりをしなさいとも言われました。そういう子供はどこでも嫌われます。生半可な安請け合いの返事をするので、小さい子供同士とはいえ、人間関係に破たんをきたしました。

 幼かった私は初対面の人間とのあいさつがうまくできたのに、二、三回目ではよそよそしい態度を取られる理由がわかりませんでした。耳が悪かったからですが、何を言っても反応がないので自然と人が離れていくのでした。それがわかったのは中学生ぐらいでした。それでも私の母は絶対に認めませんでした。補聴器の使用は私から母にどうしても欲しいといって買ってもらいました。母は補聴器をつけた私が不満で髪を長くして隠しなさいと言いました。それで補聴器を隠して学校に行きました。その状態はなんと私が大学生になって卒業するまで続きました。私は母に逆らえない娘だったのです。母の見栄のせいで私はどれほど人間関係に支障をきたしたのかと思うと母とは愛憎が交錯してしまいます。今回は母への感情の話ではないので、仕切り直します。


」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」続く」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」



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