第四十六話・認知の歪みの個人的解釈
「認知の歪み」 という単語は、英語ではCognitive distortion と書きます。Cognitive が、認知、distortionが歪み、ねじれ、という単語です。
これは、認知行動療法の提唱者、アーロン・ベックが提唱した言葉です。アメリカの精神科医で著名な人です。彼と彼のお弟子さんのデビッド・バーンズが詳細に分析し、歪んだ認知パターンを文章で表し、対策を書いています。私はこういった心理学は現在に生きる私たちに役立てる学問の一つだと思っています。
超簡単に、一言ですませますと、
「対人関係でアレは歪んだ人間だね、といえる人の思考とその対策を文章」
で示しています。以下は彼らの分析に私なりの思考を乗っけています。私自身歪んでいるかも、と思えども完璧な思考とは何だろうと惑えつつ書いてみます。
現在発刊されている数多くの困ったさんの行動を示し、どうやって切り抜けるかなどの雑誌特集や心理学本の根っこはこういった心理学から解決を提案するものが多いです。
実際に起きた自身にとって都合の悪い事実、気分の悪い出来事が、気弱というかネガティブな気分にさせる。ついでにそのネガティブな気分を周りに伝染させたり、数年たってもフラッシュバックしてパニックになったりもします。これはどなたにもよくあることだと思います。私もこのあたりが人間らしい人間というものさ、ともう開き直っています。
アーロンやバーンズたちは、
① 認知の歪みで事実を不正確にさせ ⇒ 事実の悪い方を特に強調して覚えこむ(←重要)
② ネガティブな気分を強化 ⇒ 自分の恐れ悲しみ憎しみなどの悪感情を自分でより悪化させる (←重要)
③ つまり事実からくる感情ではなく、「認知の歪みがネガティブな気分を生み出す」(←最重要)
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で、「認知の歪み」 のパターンには種類があって大雑把に分けて十項目あります。有名なので知っておられる方も多いかと思います。
① 全か無かの思考
② 行き過ぎた一般化
③ 心のフィルター
④ マイナス思考
⑤ 論理の飛躍
⑥ 拡大解釈、過小解釈
⑦ 感情の理由づけ
⑧ ~すべき思考
⑨ レッテル貼り
⑩ 誤った自己責任化
私がなぜここで著名な心理学者の換骨奪胎文を書くのかというと、別に盗作ではなく、私を不快にさせた思い出の種々のイラクサは全部ここであっさりと分類がつくかと思うからです。人の感情も私の個人的な感情も、そして集団心理もです。私なりにちょっと書いてみます。「私なり」 にです。ここはエッセイですので本論とはかなりずれています。この点ご了承ください。
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① 全か無かの思考
少しでも欠点があると、全部がダメだと思う思考。それは己自身に向くこともあれば、他人への評価に向くこともあります。許容性がないということです。多少の失敗を許せず、相手の人格を全否定する人は軽蔑に値します。対策は相手にしないことです。客商売等で相手にせざるをえない場合は病的な場合は警察対応するしかありません。
② 行き過ぎた一般化
一時的なもしくは一定期間の悪い出来事がショック? のあまり、次も絶対にダメだろうという思考が固着してしまうこと。これは残念ながら、元いじめられっ子だった私にこびりついていて、初対面の人間に対して、この人もどうせ私のことが嫌いになるだろう、と思っていました。私は、人生の一部、損してます。法律上では犯罪ではなくても、こういう心理的被害の後遺症が残ってしまういじめは、犯罪だと思っています。
③ 心のフィルター
今まで良いこともあったのに、悪いことばかり思い出すのは、バーンズのいう「心にフィルター」 がかかってるかららしいです。これは今でもなんとかしなくてはと思っています。
④ マイナス思考
悪い方へと考えてしまう癖も年をとるごとに治ってきています。どうにもならないことはどうでもよいと思えるようになったのです。時間薬という言葉は事実だと思います。若い時はやっぱり私は損していたなあ、いや、これも③の心のフィルターがかかっている。だめですね。
⑤ 論理の飛躍
これは数少ない現象で、相手の人となりを全部わかったつもりになること。これは「お前はダメだからいじめてもよい」 思考の被害者としては許せない。対人関係において双方とも柔軟な思考は必要かと痛感します。
⑥ 拡大解釈、過小解釈
これは面白いです。己はダメだと思い込んでも、他人には最大の良い評価を、という話。しかしこれは人の性格と生育環境による影響が大きいです。また歴史観もあるので人種間に相当の違いがあるはずです。
⑦ 感情の理由づけ
機嫌が悪いので、例えば食事の支度をしたくない、など。誰でもそういうときがあるとは思うが、いつでも感情的な人もいます。一般的に気分屋さんと言われますね。幼児ならともかく、社会人なら幼稚な人格です。周囲の人が迷惑します。
⑧ ~すべき思考
私が法律ですよ~という人。今までの自分の経験がすべてで判断基準になり、人に対して命令する人。お前はこうすべきですよ、とか。よくネットの記事であげられている意地悪なお局さま、クソ姑がそうですね。私もその手の人は嫌いです。
⑨ レッテル貼り
これはコワい現象です。たった一度限りの行動を見て人格否定やわかったつもりになっている人。教諭には多い。田舎の村八分ルールもそれにあたる。医療従事者は患者に対してレッテル貼りはしてはダメだと自戒しています。
⑩ 誤った自己責任化
必要以上に自分を責めること。私がいるからダメになったとか。これはよくないです。この思考に取りつかれている人は気の毒です。
私は九歳ごろから、いじめっ子を冷めた目で分析するようになりました。いじめている相手が悪いから私はいじめられている。私は悪くないのに。悪いのは相手なのになぜ相手に罰が当たらぬのだろう。それも私がいるからか、私がやっぱり悪いからか。違うだろう、相手がおかしいからだ。そしてそれを誰も正すことができない世の中の方がおかしい……
このあたりの思考法は現在、年を取ってから文章を書くのに役立っています。
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実はこの学問は、ADHD認知行動学の分析やうつ病治療の根底になるものです。今回のエッセイは個人的に解釈をかなり拡大しています。読者様の中にはプロの精神科医や心理学者様もいるかもしれませんので、重ねてこの点をご了承いただきたく思います。