第四十四話・訪問販売という名前の押し売り
昔は集合住宅というものは長屋以外あまりなく、どの家にいっても常に誰かがいました。そういう時代から訪問販売というものがありました。今よりもずっと対人間の交流が密だったと思います。パソコン自体なかったので、お金のやり取りも通帳自動引き落としではなく、人間が一軒ずつ訪問して集金に来られていました。郵便屋さん、銀行の人、保険会社、新聞の集金、クリーニング屋さん、酒屋さんなど。でも今はそういうのはなくなりました。どの家に行っても誰かいる時代はもう過去の話です。
近所の人が田んぼや畑の仕事が一段落して縁側の広い家になんとなく集まってお茶を飲みながらなんとなく会話する……ちょっとしたおかずの煮物や果物、お菓子のやり取り、そういうのもすべて過去です。
自転車をこいでのお豆腐屋さんや大八車で乾物屋さんもいました。行商人ですね。リヤカーを引いての屋台のおうどん屋さんやラーメン屋さんも。家にいながらにして、買い物ができました。人間が実際に売り物を持ってきての買い物ができた時代です。郵便小包は見たことはありません。宅配便も存在していませんでした。
ついでなので横道にそれて思い出話。屋台のラーメン屋さんの話。笛? を吹きながら町中を流して歩かれていました。当時は屋台の食べ物は、自宅から陶器を持参して中身を入れてもらいます。今のように使い捨ての容器はありません。そのラーメン屋さんは無口な人でしたが、子供の私が鉢をもってきますと笑顔で受け取り、薄いナルトを一枚おまけしてくれたりしました。ほんのりとした良い思い出になっています。三国人という言葉を教えてもらったのもラーメン屋さんのおかげ? です。在日の外国人を指していたのですが、土地がらみでトラブルが多かったようですが、屋台の人は大丈夫だと思われていました。かなり怖がられていたようです。私の家では徹底した日本食でしたので、ラーメンは寒い時期に食べる外国の食事といった感覚でした。袋入りラーメンはすでに売られていたと思いますが、母が専業主婦で家族にインスタント食を食べさせるのは、沽券にかかわると思っていたので、縁がなかったです。
それから数十年、実家のまわりの田んぼは年数がたつにつれ、全部つぶれてマンションになりました。これらの林立状態……昔は一面レンゲ畑だったと主張しても誰も信じないでしょう。以上前置き終わり。ここからがイラクサ。押し売りの話です。
昔もあったが今も押し売りはあります。両方書きますがどちらも善意を押し出して情に訴えるのが多く始末に悪いと思います。
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昔の押し売りは物品を買ってくださいと涙ながらに訴える人、威圧感丸出しで買ってくれるまで玄関先に腰をおろして帰ってくれない人がいました。今やれば通報されるでしょう。
子供のころは個人情報というものは存在しなかったので、どこかで調べた私の名前を連呼して呼ばれたことがあります。その人は笑顔で玄関の門を自分で開錠して入ってきました。それから庭をつっきり、このかわいいお子さんのために、この教材を買ってあげてください、と母に説得していました。母は聞こえぬふりをして庭で洗濯物を干していました。その人は相手にされず、うなだれて帰っていかれました。
今よりも人口が少なく、次の家に急ごうとされたのでしょう。具合の悪そうな子供を連れて手作り品を売りに来た人、大きな風呂敷を背負い杖をついてきた老婆、枕を抱えて一つでいいので買ってと泣いて訴えた人など。それらの人たちも生きていくために必死だった……母のつれない態度とセットになって、セピア色の思い出になっています。ごめんなさい……買ってあげられなくて。母は同情心で買うとまた来るからといっていました。我が家もまた金銭的には余裕がなかったのです。
さて時代下って平成。田舎の婚家先の話。現在でも家に訪問してモノを買ってくれという人はいますが子供時代よりは激減しました。今でもあるのはボランティア関係。ここで本題に入ります。私の姑、義母は善意? の人なのでめぐまれない子供のために買ってあげてという人には必ず買ってあげていました。それはいいのですが、怪しい人がいるのが問題です。私が在宅しているときは一貫して「別口で寄付をさせていただいております」 で撃退していました。田舎ではその類の人たちは老人を狙えと言われているのでしょう。義母が応対しているときに私が顔を出して断ると「ああ、だめだこりゃ」 という態度でさっさと帰ったりしました。義母が一人でいると小さな子供用のソックスを「三千円」 で買ってくださいという。それで恵まれない子供が救われますという。百円ショップで売っているような白いソックスです。
アフリカの子どもを救うためですとはいう。時にはユニセフですともいう。しかしパンフレットなし、身分証明書なし。ユニセフなどの大きな団体ならば領収書も出すし、それは確定申告の時にも使える。パンフなし、領収書ナシではこちらは詐欺だろうと思ってしまいます。個人で外国の子どもを救おうとするのは立派な心がけですがその類の人が何人も来るので本物か、と思ってしまうわけです。多分それは善意の塊である義母のせい。あそこの家に行くと寄付してくれるという情報が流れているのではないか、と都会? から来たスレた嫁の私は考えるわけです。ソックス一足三千円で購入した義母は夫である子供にも叱られてしょんぼりとしていました。
別件でボランティアだと名乗り、一口千円で寄付を募っている地味な若い女性が来ました。斜め後ろには見張り役というか初老の男性がいます。目つきが鋭いので訳アリだなと思いました。他人には聞こえぬアラームが鳴る感覚……これは田舎育ちの人にはわからないと思います。
私がその女性に、どちらの団体? 身分証明書は? その子供たちの写真をよく見せて、小さすぎて見えないじゃないの? と言ったら逃げていきました。私は義母からはかわいそうと言われてしまいました。確かに寄付の名目で千円あげたら済む話なのです。どうせ私は鬼嫁です。
田舎では老人世帯が多く、流行に無知な人が多い。不便な土地なので銀行や郵便局にめったに行けずいざというための現金を持っている。それを見込んでの訪問販売も多いです。他県ナンバーの自動車で売りつけにきた業者から時計を十数万で買った人もいます。お孫さんが絶対に喜びますよと殺し文句を必ずいうらしいです。
私はそういうのはすれっからしなので保証書は本物かと疑う方です。外国に行けばそれこそ偽モノブランドが激安でたくさん売られているのを見ていますから……もし壊れた時の保証は? と思います。それを思えば移動販売車での時計や貴金属はコワくて手が出せません。
訪問販売では店舗がないので売る側にしては自由に動けるというメリットはあるかもしれませんが、無責任な販売業者にもメリットになるのがイヤ。カモにされたくない。
私はある英語教材の訪問販売員からこの地区では◎◎さんが買った、▽さんも買ってくれたと名前を列挙されたことがあります。数十万円もする英語教材ですが買ってくれた人の名前を漏らすなんて論外です。断ると思い切り玄関の戸をバンと閉められました。◎◎さんの紹介で来たといっていましたので、◎◎さんには私の子どもの名前と年令をあんな人に伝えて購入させようとしたと良い印象を持っていませんでした。販売員なりのノルマがあってのあせりから来た行動でしょうが、お子様がどうなってもいいですか、買ってあげないとお子様がかわいそうでしょ、とまで言われました。そういうのもあって訪問販売員のイメージは非常に悪いです。私個人の経験値から避けて通るが吉になっています。
果物やパン屋さんなどの移動訪問販売は毎年同じ時期に来たり特定の曜日に来られますので顔見知りです。この場合は安心できます。多少高価でもガソリン代が上乗せされているのは知っていても久しぶりですね~と喜んで購入させていただいています。
というわけで一発購入で関係が終了する寄付関係や「お子さんの将来のために系」 は我が家には来てほしくないです。ボランティア関係では義母が最初ほいほいと購入していたので別口の人たちが続いて来た時期もあってうざかった。嫁の私が質問攻めにして追い返してからは来ないようになりました。家と顔を知られてしまっていますので逆恨みをされる危険性もありますので、それで良かったのか悪かったのかはわかりません。