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第四話・教師教職

 今回私は幼少時から私に関わった先生は大多数がイマイチだったことを告白しないといけません。九十%ぐらい。しかし先生自体は基本どの人も悪い人ではないです。教科書通りのことは教えてくれました。

 そして現在の私は既婚者で子がいます。我が半生に出会った先生とは雲泥の差で、我が子に関わった先生は九十九%は良い先生でした。特にいじめ問題で不登校に至った時にはお世話になりました。(これは後の項で差支えのない範囲で考察をUPします)我が子は恵まれていて、本来ならばそれが普通の状態です。私と縁があった先生はアタリが悪かったと思っています。


 まず体罰の話からします。昭和四十年代の昔の話ですので、小学校は特に男子には体罰は普通にありました。私は女の子でしたのでひどい体罰こそなかったのですが、お尻をたたく、頭を平手でたたくのは普通にやられました。現在でも運動部などは、堂々とした体罰も未だにあるらしいですが、さすがに病院に受診しないといけないぐらいになるとそれは体罰にはなりません。犯罪です。昔は今のように体罰がマスコミに報道されることはなかったように思います。だから「体罰」 の言葉自体が世間に浸透していなかったのではないかと思います。

 力任せに思い切り生徒を殴る先生はいなかったのですが、私が小学生六年生の時の担任は、特定の男子ばかり殴ったり、気に入りの女子をクラスメートの面前で膝に座らせて抱っこして頬ずりしていました。その気に入りの女子が病欠後、登校してきたら喜んで「キミがいなくてさみしかったよ~」 と抱っこしたまま授業しました。

 私たちはさすがにおかしいと思っていましたが、黙っていました。静かな教室内で先生一人だけが幸せそうにお気に入りの生徒を抱っこしている異様な感じ、今でも思いだせます。先生に抱っこされていた女子は身を硬くしていました。そりゃ拒否はできないでしょう。だってまだ小学生ですよ。私はそのことを親に言いましたが眉をひそめるだけでした。今よりも先生に苦情が言いにくい時代でしたので、そのままです。

 余談ですが、いつも殴られていた男子数人は卒業作文では先生に対する怨みの文章を寄せました。小学校の思い出として、体罰の話を書いたのです。その先生はいつも腕時計をしていたのですが、男子を殴るときはその時計をはずすのです。それで「あ、今日も俺は殴られるのか」 と覚悟していた話を正直に書きました。卒業作文を読んだ先生の反応は覚えていないが、書きなおしはさせてなかったのはそれだけマシな先生ということでしょうか。先生と呼ばれる人たちの権力? が強かった時代の話です。後年、その担任は別の小学校で校長に昇格しました。そのニュースを聞いたとき、私は中学生になっていましたが、子どもからの評価って人事委員会は聞きませんもの、大人同士の評価ってアテにならんわと思いましたです。

 記憶の糸がほぐれてきたのでもう少し続けます。小学生一、二年生は新米の若い女性が担任でしたが私とはかかわりがなく、ほとんど覚えていない先生です。

 三年生の担任は私をけなしてばかりの先生でした。「覚えが悪い」「どこを目がある?」「動作が遅い」 散々です。私にとってはワーストツーです。球技のルールを間違えて覚えていたことを皆の前で罵倒されてお尻をたたかれたりしました。この時のトラウマで私は野球やサッカーには一切興味がありません。ルールも知らないですが、それでも生きていけますよ。団体球技なんて今でも大嫌いです。高校野球だけは家族が大好きなので見るけど。

 その先生は親との面談の時も私が書いた絵をけなして「人間はこんな大きな目をしていません。家でもちゃんとモノを見るということを教えてください」 といった人です。個性と言うものを一切認めてくれない先生でした。後述する四年生五年生の先生が一番マシでした。


 良い先生の思い出はただ一つかな……詳細は忘れたのですが、短い文面を書いた私をすごくほめてくれました。担任ではない年配の先生です。これ私にくれる? と言われ、どうせ捨てるだけだし、とあげたら喜ばれたのを覚えています。でもそれぐらいです。この件では私は他人からほめられることはなかったので、強烈な印象が残っています。うれしいというよりも、びっくりしたという感じかな……。


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 中高生時代では担任は一応いても小学校時代を思えば接触率というか親密さ? は下がります。それぞれの教科に先生がいても私とはあまりかかわりがありませんでした。影の薄い生徒でしたから余計にね。

 生徒から人気のある先生は、いつも笑顔でした。しかしそういう先生が気にかかる生徒というのは、目に見える行動、つまり万引きや校則違反をするなどの生徒です。そして彼らに大変時間をかけます。私の場合は一貫して自己主張をせず、それでいて黙々と学校には来て黙って帰る、一切問題を起こさない。つまり面倒を起こさぬ手のかからない生徒という感じでどの先生にも目をかけてもらった思い出がありません。

 新校舎の階段にだるそうに腰かけて横を向いている問題児に、一生懸命に話しかけている先生をしり目に、重たい学生鞄を下げて私は俯いてその前を通って帰宅していました。

 中学生の時は私には誰一人友人がいませんでした。クラス全員から嘲笑を受けている生徒ですが先生から何も聞かれたことはありませんでした。高校生の時は今でも交流が続いている友人が二人だけいまして、彼女たちは大事に思っています。見くびられてるなあと思いつつ我慢してつきあっていた人たちとは五十才になった時に断捨離しました。

 話があちこち飛びましたが今回は私は生徒の立場からは教職と縁がなかったということです。大学もです。

 大学は知性のある人が多く子供時代のようにビジュアルで罵られるなどの不快な思いをすることはなかったのですが、ある教授が美人とブスをはっきり区別する人でした。その話をしてみます。

 病院職希望でしたので調剤学のゼミを取りたかったのですが、希望数が多く面接で選抜すると告知がありました。学生課の掲示板にゼミ志望生の名前が記されています。そして指定の日と時間内には教授室にいるので、志望理由を言いにきなさいと言うわけです。二人三人と連れ立ってもOKでした。

 私は実験の合間を縫って教授の提示した時間内を見計らっていくつもりでした。すると、ゼミ生志望先が一緒だといってきた山本という女が来ました。名前のあいうえお順に実験グループが決められていたので山本は知っているがあいさつ程度のつきあいしかない。授業の選択先も違うのでめったに一緒に受講しない。なのに、今から一緒に面接に行こうとしつこく誘われました。

 しかし私には特殊な事情というか教授に話すべきことがあります。だから一人で面接を受けるつもりで断りました。するとその山本は「お願い」 というのです。ま、あとで受かってから事情を話そうと思って一緒に行きました。私はテストの成績だけはよかったので合格すると信じていました。

 いざ教授室での面接に入ると、教授は山本の方ばかり見て話しかける。私には一切話しかけない。内容も志望理由ではなく、趣味はなにかなどの世間話的です。

 私は「?」 だったのですが結果は不合格でした。教授と笑顔で楽しそうに話をしていた山本は合格でした。学業や就職に関する話題が一切なかったので教授は性格のあう人を選んだのだと思ってその時はあきらめていました。当時から私自身には人間的魅力というもの、コミュニケーション能力が極端に欠いているという思い込みと自覚がありましたので。

 しかしなぜこの話を書くかというと、これには後日談があるからです。別のあいさつ程度の知人から私の不合格を知ってわざわざ話しかけてきました。「あなたは山本にはめられたね」 と言うのです。ここでも「?」 だったのですが実はその教授はゼミ生ではより美人の生徒を取る、研究室に入れるといううわさがあったのです。つまり女生徒二人で連れ立った場合は、美人な方を取ると院生に言っていたらしかった。ゼミ事情に疎い私は、それを知った山本に己よりも確実にブスなコと面接に行こう♡というわけで私に声をかけたわけです。仮に山本の方が成績がよかったとしても、面接の時のあの態度はないだろうと思っています。ゼミ内の教授はゼミ内だけの専制君主です。教授が決めたことならば、縁がないってことで私はあきらめました。私をダシにした山本にはもちろん腹がたっています。

 ゼミ選抜のように、狭い世界の狭い選抜だと似たような話があります。別の某教授も成績が飛びぬけてよかった同級生をゼミ選抜で落としました。理由は彼女が誰が見てもわかるユニークフェイスだったからです。これもうわさになりましたが、教授の権力は非常に強いので表だって何も言う人はいませんでした。本人も騒がない、現実はそんなものです。

 社会は美人を優遇する。これは事実です。ましてや狭い世界では余計に。

 昭和時代の学内は私の母校では女性教授は存在しませんでした。私はあえて言い切りますが、教授が男性である場合は、ゼミ内の権力内で思うがままのことをします。好みの美人が来たらもちろん喜んで指導もするし、成績が低迷しても就職も有利に世話してやる。大学教授といえども実態はこんなもんです。院生までいくとより閉ざされた世界になりますので、アカハラ(アカデミックハラスメント)も児童虐待の如くひそやかに進行していくのも知っています。


 つまり人間は、いくつになろうが子どもの時から変わってないのです。私は小さいころは大人ってすごいなー私も大きくなったらなんでもできるようになるなーと思っていましたがなんのことはない。私は別の教授のゼミに入って卒業論文を書き、国家資格も取得し無事病院に就職しました。

 ただ、ここで山本って名は出してやろって思って書いたのはまだ怒っているから。私と一緒に面接に行けば、教授は絶対私よりも確実に美人の山本を選んでくれるというわけですよ。情弱な私は利用されたわけです。受験や就職もゼミも結局は他人を蹴落とすが勝ちで、私は負けたわけです。山本の友人には同じ調剤学ゼミ希望の美人もいましたからね。私は利用されたわけです。ちなみに山本はそれ以降私の前に姿を現すことはありませんでした。狭い単科の大学なのに。用済みにされたいうよりは、私の前に出にくかったからだと思っています。

 悪意ある世の中。時には悪意ばかり。その中をどう泳ぎ切るかというよりも、どう流すか、で生きやすくはなるかと思っています。


 私はおそらく教師という仕事に対するごく軽いPTSD……心理的外傷を持っているはずです。私は医療職で個人情報の詰まったカルテを職務で閲覧しますが、患者の職業が教職だとわかると、この人はどういうタイプの教師だろうかとつい考えてしまいます。誰が相手であっても仕事の話ならば平気ですが教職だけは身構えてしまう。小中高のクラスメートで性格が悪いのに教職になったのもいるので尚更。もちろん私は教職だからといって態度を変えたりはしません。私の会った教師は良い反面教師であったと思っているぐらいです。

 先述した実家の母も担任教師からいじめを受けたと思い込んでいる人間ですので「教師というものは、他人の子どもを上から目線で過度に怒る権利があるからヘンな性格になる」 とまで言い切ります。教職のあたりの悪かった私も「そうだな」 と思うところはあります。これをとがめることのできる教職はいない。私にとってはそれが真実だから。

 逆に教師の当たりがよくて、私には恩師がいます、と言える人は幸せな人ね、と祝福します。それも私以外の人の人生の真実だから。


 ◎◎◎ 第四話のまとめ  ⇒ 「教師がエラいわけではない」 と幼心に悟った話。 ◎◎◎


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