第三十二話・肥ったね~ VS ハゲたね~
肥ったね、と笑顔で言い合うのは、女性同士でわりとある。言った相手も言われる相手も、多少は気にしても「やっぱりそうか」「あなたもやせているとは言えないでしょうが」「明日から頑張ってやせよう」「一緒にダイエットしようか」 などと笑顔で返せる。
例外もある。冠婚葬祭で久々に会った親戚から、肥ったわねえ~と、うれしそうに言う人もいる。
ある人がそれを言われて事実だったにもかかわらず、怒っていた。他の親戚の皆の前で大声で言われたというのが怒りポイントだった。
作家もエッセイで書く人が多く、特に田辺聖子の作品にわりとそれに関する記載があったように思う。容姿のうち、目が大きい、小さい、口が大きい、歯が目立つなどは、自己ではどうしようもないが、痩せた、肥ったは生活習慣の変化と自己責任のうちに入るからだろう。一般的に世の中全体、痩せている方が美しいという認識がまだある。肥っている人は現在プラスサイズと言い換える優しい方に向かっているとはいえ、まだ痩せてほっそりしている方が美しいということになっている。(と思う)
会話の一端だから、意地悪な気持ちではなく、単純に会話しやすいというのもある。肥ったね、と言われても恨みに思ったりはなく、逆に痩せたいけれどどうしたらよいか、良い痩せ方はあるかなど会話の糸口になるからそれはそれでよいのだ。
明らかに細いのに私はブタだと悩むかわいい十代の少女から、五、六十代の中年肥り世代まで女性にとっては「あるある」 現象だろう。
しかし相手が同性でなく、職場の上司などからだと「どうしてお前に言われないといけないのか」 と思います。これは実体験から。
「あ~キミキミ。最近ちょっと肥ったかな?」
なんじゃお前、上司とはいえ、私の返事に何を期待してるのか、「そうなんですよ~」 といういわゆるテヘペロ系返答を期待か? バカですよ。部下のキャラを見てからモノを言ってほしい。
明らかにセクハラだが、相手が上司だと言い返せない。私がムスッとして黙っていると、そばにいた別の女性上司が代わりに怒ってくれました。
「ちょっとォ、女性に対して肥ったというのは、あなたにハゲましたねというのと同じですよっ、意味ワカル?」
その上司は口を閉じました。その人は確かにハゲてきているのを気にして、横の髪を長くして、簾 (すだれ)状にしていたからです。一度強風の日の出勤時の頭を見たら、横の髪が肩まで落ちている状態なのを見たことがあります。彼はそこまでして髪をのばして横に流しているのだ。相当時間をかけてセットしているのだろうなあ、と思っていました。だから彼にとっては強烈な一撃だったに違いありません。
私はハゲの人の涙ぐましい努力は、私の父親でも見ていました。彼は毛髪に良いとされる整髪料にお金の糸目をつけませんでした。だから、肥ったねというよりも「ハゲたね?」 と言われる方がキツいのかもしれないと思いました。
だが、女性は執念深い。その人はほかの女性にもそういう容姿に纏わる軽口をたたいていました。なので、いつまでたっても「ハゲのくせに肥った痩せたと文句をいうのはおかしい」 と言われることになります。いや、悪気なしに何気なく言ったことでも、言われた方にとっては「文句」 になりますですよ。ハゲている中年以降の男性は特にご用心。ふさふさ頭の男性よりは厳しく反撃されやすいとは思います。いや、女性の容姿についてコメントをつけるのは、優劣問わず言わないのが一番賢い人だと思いますね。言われた方は褒め言葉ではなかった場合、一生その言葉を反芻するでしょうし。
しかし、ハゲがどうして恥ずかしいのか? 頭髪はあって当たり前なの後退してくるのが悲しい? 単純に老いを認めたくない? どうでしょう……。
私は、ハゲていても大丈夫ですけどね。肥っていても痩せていたもその人の個性ですし、ハゲの人でも人格否定はしないです。実際ハゲているほうが職業としてわかりやすいお坊さんも多いですし、スキンヘッドの似合う俳優さんも多いし。
若い人でもカッコいいな、そのハゲ頭が似合ってるなと思うことも多いです。
個人的には肥ったね~はよく言われる方なので私は平気です。ハゲたね、と言われる方が衝撃を感じる度合いが強いかもと思っています。肥ったね、の方が気にする場合は食事などで己の心がけ次第で戻せます。一方ハゲたね、は気にしてもなかなか戻すわけにはいかず、髪形を工夫するか、カツラにするか、毛髪移植するかなど悩むことが多いのでは……いや、今回はつまらない話題だったかもしれません。ごめんなさい。




