第二十九話・宗教的洗脳の話
宗教系に関して。
私の数少ない友人の一人、Jさんが新興宗教に洗脳されてしまいました。私はその宗教の独特の教本を勧められて読みはしたものの、共感はまったく得られなかった。それなのにJさんは嬉しそうに「読んでくれたからには一緒に救い主? を崇めましょう」 と私を無理やり勧誘するようになりました。ここに入れば世界が変わるよ、と熱心にいいますが、私はJさんの性格が変わっただけのようにみえました。
Jさんはあることでつらい思いをしていました。だけど信仰で前向きに生きることを教えてもらったといいます。それはいいですが、私に信仰を強制するのは間違いです。
この体験は私にとっては強烈で宗教とは何かと真剣に考えるきっかけになりました。この思いを小説にしようかと思った時期もありますが、星の数ほどこの手の話は多いのでそのままです。現在Jさんとは完全に縁を切っています。
まだある。
昔、文通というものがはやりました。現在のようにネットがなかった時代での話です。雑誌を通じて知り合ったその人は私と同じ年、バードウォッチングと読書が趣味で話があうと思ったのです。Kさんとします。数年手紙のやり取りが続きまして、それで一度会おうかということになりました。中間地点の駅の前の喫茶店を指示されて私はどきどきしながら待っていました。その時の話から題名の話に続きます。
Kさんとはあらかじめ写真も交わしていますのでわかりますが、もう一人満面の笑顔の女性がついてきています。私たちよりやや年長な感じです。私はKさんに会いに来たはずですが、Kさんは「どうしても会わせたいのでついてきてもらいました」 という。
しかしどう見ても姉妹ではなく、友人でもなさそう。Jさんがその女性に対してめちゃくちゃ気をつかっている様子です。
今の私ならばこの時点で「おかしい」 と感じて席をたつところですが、当時はまだ二十代前半でまだ世間知らずでした。
Kさんは私に肝心の小鳥の話ではなく、「もっと大事な話をしたい」 といいます。「?」 と思っているとなんと横の女性に恭しく礼をして「先生、どうぞ」 というではないか。
するとその女性はすっと背を伸ばして「でははじめます」 とおごそかに話し出す。それが「滅びに向かうこの世を憂える」 から初めて淀みなく滔々と今の日本の将来を心配する話です。
さすがにのんきな私も「ヤバい感」 満載の女性二人を前にしてぼうぜんとしました。私の頭の中で危険だよ、逃げろよ~と思ってはいるが体が動かない。しかし勇気を振り絞って席をたちました。あんなに楽しみにしていた初対面をKさんの信仰する「宗教勧誘のダシにされた」 という怒りでいっぱいでした。
私は注文したパフェの代金だけをさっさと支払い、帰ろうと駅へ向かいました。するとKさんが追いかけてきました。泣きそうな表情で「お願いだから話だけでも聞いて」 といいます。本当に必死な表情で数十年たっても私は彼女の泣き顔を思い出せます。
Kさんは涙を流していました。マジな話。
「日本は滅びようとする直前なの。みんなその事実を知らない。せめて某某某某某という唱和だけでも覚えて帰って。これはあなたのためでもあるの」
コレ、本当に凄いです。
他の通行客がいる面前で私の両肩をゆすって縋りつくようにいうのですからね。Kさんは完全に洗脳されていました。
たぶんあちら側にすべての個人情報を譲り渡している。つまり、本日のこの時間、この駅前の喫茶店で私と会うこと、私がどういう人間か住所も名前も知らせているはずです。
Kさんのいう唱和に特徴があり、あとで調べてみるといわゆる強引な勧誘で有名な新興宗教でした。今もありますが強制はよくないと思っています。もちろん以後は没交渉でした。電話を何度もかけてこられたのですが、Kさんと分かればすぐに切りました。当時はナンバーディスプレイがなかったのでそうするしかありませんでした。
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次の話。厳密には宗教がらみではないですが、一種の暴露話。
私は昔は占いの類が好きでした。特に霊感ゼロだと思っているので、霊感を持っているという人にあこがれていました。幽霊話の類も大好きで虚実問わずに神霊界や占術の本を片っ端から読んでいた時期もありました。
それは十代後半から二十代前半にかけて、己が何者であるかなにをすべきかわかっていなかったからでもあります。占術師さんは私の生年月日を見ると「大器晩成、名前が良い意味で後世に残りますよ」 とみなさんおっしゃるので私は年を取るのが楽しみでした。でも、全部、はずれました。
そして結婚に関与する話も全てハズレました。
どういう言い方をしても占い師は政治家と違って嘘八百いっても罪にはなりません。気楽でよいお商売だと思っています。
ある時期、唐突に私の母がある占い師さんの信仰をはじめました。私の結婚の時には反対され、例の占い師さんのところへ行けといわれ、勝手に予約を取られてしまいました。その時に待てよ、と思い、母のいうとおりにその人に会ってみることにしました。
そして私の情報を一切に出さずに試してみました。試すという言い方は悪いですが、果たして彼女は母のいう観音の生まれ変わりだろうかと知りたかったのです。
結論 ⇒ ただ情報が聞き取れない占い師はどうにもならぬということはよくわかりました。
これは占い師が私を信用しないと占いができませんということと同じです。質問に答えないで先生の直観で私に関することをなんでもおっしゃってください、といいますと、大変に困っておられました。首を何度もふって「私を信用しないからあなたに関する神のお告げがない」 といいます。
専門の知識はなくとも心理術に長けている占い師は人の人生を自由にできます。それが楽しいと思える人は一生安泰です。信仰されて何をいっても「ありがとうございます」 といわれる。当たれば感謝、当たらなくとも「悪いことを回避できてよかった」 と感謝。
うまいことになってます。
これに至る思考は、ある時期にイラストや雑文を書いていた時期に占いライターの話がきたことによります。雑誌の巻末にある十二支もしくは星座占いの話でした。編集の下請けさんで今もやってると思います。 別のところでもこの話を書いたので割愛しますが、やっぱりそうなんだと思って、占いがもっと嫌いになりました。とはいえ、テレビでつい悪いことを言われてしまうと気になってしまうのは私の性分で心に弱いところがあるからだと自覚しています。
悪いことを避けるようにしてやるから金をよこせという占い師、祈祷師や宗教は詐欺。くれぐれも気をつけて自分だけの人生を他人に左右されることのないようにと願っていますです。
私はある人からその手口を詳細に聞かされてびっくりした話があります。生まれたばかりのお孫さんに難病が見つかって……数か月の命のところを私の祈祷で一か月百万円で永らえさせてやると言われた人はそれに乗ったそうで。コレ、警察案件の詐欺ですよ。
残念ながらお孫さんが亡くなられたとき、その祈祷師は私の力はここまででした、と頭を下げたそうで。なんというか医師や看護師その他の医療従事者のことよりも意味不明な祈祷師を信用する人がいる! とぼうぜんとしました。でも金持ちはやっぱりすごいです。被害にあってないと考えているので他人の出る幕はありません。
これも余計なお世話になるので、私は私自身に迷惑をかけられるのではない限り、批判も断定もしません。ただ肉親がひっかかっていたので、それは嫌だなと思っています。それだけです。
熱狂的な信者を増やしたい救い主側にしたら、運営に都合のよいように世俗から隔離している間に洗脳するほうがいいのだろうなと思います。




